自分の根源のなかにある景色、それは記憶であり、何にも変換される事はない。。。。3年ぶりの古里との再会。

それは景色であり、空間であり、やはり人とだった。

富丘八幡神社の秋祭り。 それは私にとっては祝祭の場所そのもので、幼い頃から思春期を経て大人と云われる歳になった今でも、祭へのじりじりした想いは相変わらずだ。  昔、わるさばかりしていた同級生たちも、今では地域の要となり、祭を支えていた。

だんじり

そんな頼もしい姿に再会できたのも、それは私の古里だからだろう。ここはいつまでもなくならない。

それでも島の過疎化は深刻で、大きなだんじりを担ぐ若い衆もかつてよりは激減し、ぎりぎりの状態で、、「しゃしゃげ」と云うだんじりをおもいきり高く掲げて放り投げる仕草は人でも足りないところもあって、、、

そんななか、島の内陸部の棚田を囲む 大鐸(おおぬで)地区の三つの集落は、お互いにそれぞれの「しゃしゃげ」を手伝っていて、3種類の法被(はっぴ)が混ざり合いながら、高らかとしゃしゃげる姿が頼もしく見えたのだ。その集落はいまでも農村歌舞伎を地域の人たちの力で大切に守り抜いている地域でもある。

彼らがいるから、ここは大丈夫だ。妙にそんな心強さを感じた。

私には何が出来るだろう、、そんなことを考えながら島を離れ、神山に帰ってきた。

そうして、寄井座では中央の円筒形の藁を積み上げ作業をもったいぶりながらやる。

稲藁1

単純作業は、思考の堂々めぐりを誘発する。島への想いと、ここでの制作のよろこびといろんな気持ちに浸っていた時、外からのぞく小さな顔が二つ。。。

一旦トンネルの入り口まで来て、様子を伺って去って行く。。

その砦は自分で越えるほうが気持ちいいに決まっている…だから私は扉を開けひろげているのだ。

数分後、2人は4人の僕(しもべ)を従えて、その砦を越えてきた。

折り紙ギャング4年生

女の子「ここでなにしよん?」「ほかのことせんのん?」「ここで住んでるの?」

と最初は質問攻め。だんだん慣れてくると、、 

女の子「看板を見つけて、気になって入ってきてみたけれど、最初は怖かったから弟たち連れてきたん」

女の子「今日は学校が早かったから、ふらふらこのへんあるいとってな、なんか急に面白そうやな、って思って入ってきたん。。」

私「ふふふ、私もそういうの好き、好き。」

飛行機ばっかり

彼らとの会話にはいろんなヒントが隠されていて、暫くの間彼らとの思索の時間を楽しむ。

寄井座では、毎日一期一会の濃ゆい時間があって、私はその出会いに包まれている。

記事のシリーズ : 神山でアート
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コメント一覧

  1. 今度課外授業に行く神領小学校の子どもたちの訪問ですね。
    折り紙はだいぶたまったでしょうね。それをあの空間に吊るした状態をはやく見たいものです。

    そうですか、安岐さんのふるさとも若者の定住が少ないですか・・・・。でも、お祭のだんじりの様子にぎやかそうですね。

    徳島では担ぎ手がなく、地域によるとだんじりを軽トラに乗せて回ってるところもあるらしい・・・・。「しゃしゃげ」って、だんじりを高く放り投げることですかね?

    2008-10-19 04:39 | 中原 亨

  2. 3種類のはっぴを混じってしゃしゃげをする話はちょっと涙を誘うんだな、、、やっぱり帰省って甘酸っぱいもんだね。

    このエントリーを英訳したのでよかったら見てください:
    http://www.in-kamiyama.jp/en/art/2899/

    2008-10-19 19:57 | Claire

  3. 中原さん
    そうです、高くは厳しいですが、大人数で呼吸を合わせてポンとあげる感じです。
    神領小学校の生徒たちは、私がワークショップで伺うのを知らずに、本当に自分たちで見つけて来てくれたそうです。

    クレア!!
    甘酸っぱいなんて、言っちゃうなんて、わかってるねーさすがだー。
    そして英訳ありがとう。クレアの心遣いに涙が出そうです。

    2008-10-19 21:31 | rika

 

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