井上唯

2011年度 神山アーティスト・イン・レジデンス招聘作家
2011/8 - 2011/11 神山町滞在

 

愛知県出身。愛知教育大学造形文化コース卒業。金沢美術工芸大学大学院染織コース修了。"織"から始まった興味が、次第にそれをとりまく空間へと広がっていった。現在は繊維を主な素材として、特定の「場」に対して「何か」を存在させることで、その場の囁きが静かに浮かび上がってくるような働きかけをしたいと考え制作している。少し立ち止まり、日常で忘れているささやかななにかにハッとさせられる時、自分の身体のなかのほうが小さく震える。それは生きていることを純粋に嬉しいと感じている瞬間なんだと思う。( →井上唯 HP  )

「宙の家」 井上唯 2011               撮影:小西啓三 ⒸKAIR

■KAIR2011 作品

そら
宙の家 (インスタレーション / 劇場寄井座)

素材 リネン( 麻布 )
技法 藍染め、絞り
サイズ H300×W300×D350 cm

こどもの頃から"おうちに帰りたい"と身体が思うことがあった。こどもの頃の〈おうち〉は、家族のいる自分の生まれ育った家のことだった。大人になり、ひとりであちこち転々と暮らすようになったいまは、一体どこが自分の〈おうち〉なのか、自分でもはっきりしなくなってしまった。けれども相変わらずその感覚はふとしたときに訪れる。

これまで家のカタチを作品に使うことが何度かあった。毎回違うニュアンスなのは確かなのだけれど、自分のなかでなぜ「家」のカタチなのかよく分からないままでいた。

神山で生活を始めた頃、アラスカ先住民族の語り部であるボブ・サムさんの『かぜがおうちをみつけるまで』という物語を直接聴く機会があった。それは"ひとがけものと はなしができて けものもひととはなしができて どんなものにもこころがあった むかしむかしおおむかし"のお話だった。ボブさんの声はいつのまにか情景になって届いてきた。その情景は、神山で改めて感じ始めていた自然の美しさや有り難さを、そしてすべてのものの繋がりを、身体の記憶として思い出させてくれるようなものだった。

家に帰り、その本を開いた。眼で文字を追うつもりだったのに、いつの間にか口から声がこぼれていた。ひとりで繰り返し繰り返し物語のなかを進んでいった。そんなことは久しぶりだった。自分が風になって、貝殻になって、人間になって、いろんなものになれた。

山々に囲まれた神山は、大きな宇宙の片隅にある。雨が降り、水が流れ、光が注いで、いろんな生きものがいて、そして人々が寄り添いながら暮らしている。そんな神山の一角にある寄井座は、日々を確かに暮らしてきた人々の賑やかなざわめきが聴こえてくるような場所だった。真っ暗な闇に覆われる夜には、空にたくさんの星が遠くのほうで静かに瞬いているのが見える。鹿が近いような遠いようなところで叫ぶように鳴いている声が耳に届いてくる。ここにいると、時間と距離の関係がなんだか分からなくなる。

考えたことより、感じたことのほうがわたしにとってはとても重要だ。頭が生み出した考えより、自分の身体が素直に感じとったもののほうに本当のことがある気がする。はっきりと言葉にならないような、するのに違和感を感じるようなそんな曖昧だけれど新鮮な印象が自分のなかに溜まっていって、それらが徐々にくっつきながらひとつのイメージへ繋がっていくときに、作品ができるのだと思う。

"どんなものにもこの世界のどこかに〈うち〉がある、それを忘れずにいるのは大事なことだ。 ・・・この世界はすべての生きとし生けるものが分かち合う〈おうち〉なのだ"

引用『かぜがおうちをみつけるまで』話 ボブ・サム/ 訳 谷川俊太郎