[4者対談]前編 リニューアルをひかえ、共同運用となったイン神山とその先にあるもの 

しごと2016年9月16日

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投稿者:ともかわ

 2008年に開設された本サイト「イン神山」は、これまでの9年間、NPOグリーンバレーが運営を担い、アーティスト・イン・レジデンスでまちを訪れるアーティストの情報源や神山で暮らしたい人とのコミュニケーション窓口となり、神山の日常を発信してきました。開設から月日が流れ、リニューアルの必要が出てきたことから、今年4月に設立された一般社団法人神山つなぐ公社と共同運営をしていくこととなりました。
これを機に、あらためてイン神山の歴史を通じて見えてくる、神山で起こってきたこれまでの動きと今後について、グリーンバレー理事長で神山つなぐ公社理事の大南信也さん、4月にグリーンバレーの事務局長に就任した竹内和啓さん、神山つなぐ公社代表理事の杼谷(とちたに)学さんと、イン神山開設時にプランニングを担当し、その縁で2年前に神山に引っ越し、現在は神山つなぐ公社の理事を務める西村佳哲さんにお話いただきました。(2016年6月21日収録)

*イン神山のリニューアルは2016年10月末頃を予定しています。
イン神山とは?
NPOグリーンバレーとは?
神山つなぐ公社とは?

(聞き手=友川綾子 神山つなぐ公社 つたえる担当)

【4者対談 前編】

すべてがオープン、すべてを共有、ありのままを伝える「窓」

— グリーンバレーと神山つなぐ公社との共同運用になったイン神山で、今後の情報発信を考えていくにあたり、大南さんが2008年の開設時に書かれた記事「ようこそイン神山へ」を拝読しました。

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コットンフィールドのラウンジスペースにて対談をおこないました

西村:「それをつくれば彼らがやってくる If you build it, they will come.」ですね。覚えてらっしゃいますか?

大南:映画やな。『フィールド・オブ・ドリームズ』。

— 西村さんがグリーンバレーの活動に対し、「すこやかですね!」という言葉をかけたという話から始まる記事です。この中で、大南さんは「イン神山」を、神山で暮らす人、暮らしたい人。神山に来る人、来たい人。神山で夢を実現したい人、可能性に挑戦したい人のためのサイトと書いてらっしゃいます。そして、すべてがオープン、すべてを共有。入りたい人は拒まず、出たい人は引き止めずで、出入り自由と。
その自由さがいいなと。そして、「可能性」という言葉をこの頃から書いてらっしゃるというのが、あらためて新鮮でした。神山つなぐ公社の情報発信のテーマは「可能性が感じられる状況をつたえていく」なんです。

大南:もとを辿れば1991年の青い目の人形「アリス」の米国への里帰りに始まり、いろんなことを進めてきたわけですね。やっていること自体に対して見返りを求めているのではなしに、目の前にあるちょっと面白そうなことに対して、仲間で反芻しながら、楽しみながらやっていく。見返りを求めていないから、結果はあくまでも結果であって、妙な目標をたてたりせずに、自由にやってきとると思うのね。
仕事になったら成果を求められて、「目標と違うじゃないの」みたいな話になるけれど、そういうことがなかったんで、さらっとやってこれた。で、そういうような状況を西村さんが見て、「すこやかですね」という言葉になったんじゃないかなと思うけどね。

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グリーンバレー理事長で神山つなぐ公社理事の大南信也さん

— その「すこやかさ」は、現在まで?

大南:グリーンバレーとしては、「結果として」という言葉が、一番しっくりくる言葉なんよな。あんまり目標を定めないとか。ほなけん、目標を掲げないということころから派生して、型にはまらないほうへ動いていっとるから、「型にはまらない場」に対して、いろんな人達が反応してきてくれると思うんよな。
自生するという言葉をよく使うんよな。そこの土壌とか、空気に合ったものが育ってくるはずやと思うんよ。例えば、移植するってことは、条件の違う所で育ったものを移してくるということで、植物でも水の管理や肥料の管理を間違ったら、枯れてくる可能性は大きいやん。自生してきたものは、根の張りかたも違うだろうし、そこの場所の栄養状態におうたものがすっと伸び上がってくるから、育ち方がすこやかという気がするよな。

— 地域づくりでは、地域にもともといるのが「土の人」、外から来る理想をもって地域を動かしていく「風の人」なんて言葉がありますね。イン神山は「土の人」がやってきたという感覚はありますか?

大南:土の人がつくってきた活動に、西村さんのような風の人が来たことによって、ありのままの姿が、押し付けがましくなく、にじみ出るように発信されていったという感じちゃうかな。情報発信というのは、恣意的な部分が働くやん。「こう読んでもらいたい」みたいなところが、出てくるんやけど、そういうところがなく、さらっとした感じで、そのままの状態が、外に流れていったという感じがしているな。

「する」とか「される」ではなく、一緒に楽しめそう

— 西村さんはイン神山のプランニングをされた時には「風の人」だったわけですね。その頃、大南さんのお話をどんな風に聞いていましたか?

西村:最初は渋谷のカフェでお会いしたんでしたよね。僕は非常に緊張していて、大南さんも緊張していたらしいのですが、お互いに緊張して、なんか、笑ってた。

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開設時にイン神山のプランニングを担当し、現在は神山つなぐ公社理事の西村佳哲さん

大南:ここで上手くつかめんかったら、うちのサイトつくるの終わりやなみたいな、追いつめられた状態ではあって。

西村:他にも候補はいたと思うんだけれど。僕は東京生まれの東京育ちで、地方や地域とよばれる場所に関わった経験はまったく無かったので緊張しました。大南さんと会って、神山町の話をしてくれるわけですよ。でも、「この人が神山町全てを代表していると思っちゃいけないんだろうな」と思いながら聞いていて。いろんな人がいるんだろうし、まずは行ってみないと自分たちが関わるのが適切なのかも分からない。それで、「仕事を受けるかどうかをまだ決めないフラットな状態で、2泊3日で神山に訪ねられないか」と、相談をさせていただいて。そしたらあの時、横にいたんだっけ? 長谷部さん。

大南:そうそう。長谷部さんついて来てくれとった。

西村:引き合わせてくれた四国経済産業局の長谷部さんが講師派遣の枠組みを提案してくれて、大南さんたちも僕も持ち出しなく非常にフラットな状態で神山を訪れて、グリーンバレーの方々にもお会いでき、ミーティングをして、最後の日にどうしようかって話し合ったんですよね。3daysミーティング(注1)と同じことをやっているね (笑)

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当時のミーティングの様子 右が西村さん

— 大南さんが話してくださった「恣意的なものではなく、ありのまま」という形の情報発信については、当時からおっしゃってたのでしょうか?

西村:おっしゃってました。その当時はまちづくりの話よりもアーティスト・イン・レジデンスに対する姿勢に打たれたんです。毎年、全世界から100件を越える応募があり、海外2名、国内1名の招聘アーティストの審査を、基本的に自分たちでやっている。すごいなと思って。「まちづくり」じゃなくて、「生えてくる」「自生する」という言葉の通りで、基本、出会いベース。計画に合うものを選択的に取ろうとしているわけではないというか。様子を見ていると、自分たちがまず「会ってみたい」とか、「一緒につくってみたい」、ということに審査のウェイトを置いているように感じた。そこには「すこやか」という言葉以外にないよね。

— その「すこやか」とはどんなことですか?

西村:人間関係において人を自分の利用価値で見るというのが、非常に不健康だと思うんだよね。そういうところが感じられなかった。みんな一緒に楽しんでいて、すごいなあと思ったの。他人を自分の為に利用しようとしていないというか、一緒に楽しもうとしているわけだから。大南さんと会う直前に、巨額の予算を投じて運営している別のアーティスト・イン・レジデンスの施設を見ていて、そことのコントラストもすごくて。

— 予算規模もずいぶん違いそうですね。そのコントラストを見て、西村さんとしては、神山のレジデンスの方がよいと思われたんですね。

西村:「する」とか「される」という感じではないところで、一緒になにかできそうだなと感じたんだと思います。だってこう、グリーンバレーの人達からは、もう全然、先生扱いされないんだもん(笑)

大南:(笑)

西村:「はあ〜、来てくださって」みたいな、へりくだった感じが全然ない。かといって「こいつ何者だ?」って人を審査する感じもないし、本当に対等な感じがあった。子供の遊びでいえば、「遊んであげる」とか、「遊ばれる」というわけじゃなくて、ふつうにじゃれあうわけじゃないですか。いい関係やすこやかな関係ができる時は、いつもそうだなって思うんだよね。

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神山アーティスト・イン・レジデンス2016 ウェルカムパーティー

— ウェブサイトのプランニングには、デザインや編集的な力、「ありのまま」というより恣意的に見せる力がはたらくと思うんですが、その辺りはどんな風に考えてらっしゃいましたか?

西村:デザイナーは、その人たちの見てくれを拡張するというか、良く見えるようにする人が多いんですよ。僕とたりほ(西村さんのパートナー)は、そういうことがちょっと苦手で、したくないと思っていたし、大南さんたちグリーンバレーに対しても同じだった。
なんというかな、ありのままなんだけれども、真ん中から膨らむというか、あったまるデザインをしようというスタンスなんですよね。なるべく身の丈にあったちょうどいい仕事がしたいなと思っていて、イン神山をつくった。わりとそんな感じになったかなと、その時は思った。

「ITサテライト・オフィスのまち」の下地となった光回線事業

— 神山はいま、「ITサテライト・オフィスのまち」として知られていますが、その下地でもある光回線のインフラ(注2)がどうして神山に? ということについて、実はあまり知られていない部分だなと。もとは地デジの難視聴対策だとか。杼谷さんは役場の職員として、かつて光回線事業を担当され、事業説明ために、各集落をまわっていたそうで、その辺りのことをお伺いしたいです。

杼谷:事業自体はたしか2004年度の事業なんよな。前年度に基本計画を策定するんやけど。2002年頃から地デジの話があって、徳島県は関西の電波を受けよるんで、地デジになったらテレビが見られなくなるよと。それで、大南さんからも廊下ですれ違いがてら、「おいおいおい、テレビが見えんようになるって知っとるか?」って話を受けたことがあって。

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神山つなぐ公社代表理事の杼谷学さん

— イン神山が開設される、おおよそ5年ほど前のことですね。

杼谷:当然、これからの時代にインターネットは絶対に必要だという気持ちがあったんで、NTTにも電話をしたら、「神山ではやりません」ときっぱり断られたんで。

大南:採算が合わないと。

杼谷:では、「行政がやるしかない」となって、いろんなところから見積もりをとって、ある業者は30億っていうような試算をしたり。莫大な金額なんで、これほんまにできるんかと、当時の総務課長と山口さん(現・神山つなぐ公社 監事)と僕と3人で、役場の前にあった寄井食堂で、お酒飲みながら「どうする?」っていう話をして。でもまちにとっては絶対にやらんと、これからの若い人達が出て行くし、年寄りにとってもテレビが見えんようになって、娯楽がなくなる。それで話をすすめていったんかな。

— 当時、首都圏から離れているところで、光回線を通す事例はすでにあったのでしょうか?

杼谷:愛知県の足助町ぐらいですね。そこが一番最初に光をやったんやなかったかな。あそこに、視察にいったんですよ。

大南:山ん中やな。

杼谷:山ん中ですね。豊田市に合併したんかな。そこを参考にして。その前から神山出身でテレビトクシマの佐々木さんという方に相談もしながら技術提供を受けたという形ですね。

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光回線事業の波及効果で生まれたといえるサテライトオフィス集積施設「神山バレー・サテライトオフィス・コンプレックス」
2013年に開設

杼谷:光回線事業の説明会は、各地域で2003年ぐらいから、各公民館がある地区、上分、下分、神領とか、鬼籠野、阿川などでやって、そこに来た人に、「小さい集落でも説明に行きます」と、告知をして。で、「来てくれ」「来てくれ」という感じになって、わりといろんな所に行った。

西村:集まった人達の反応は?

杼谷:ほらいろいろですね。テレビの共同アンテナを引っ張っとる家が多かったんやけど、その共同アンテナをやめられるんで、管理しよる人は良かったなというような所があったりとか。やっぱり年寄りが多いんで。テレビ見るのにお金を払うということがまず、抵抗がある。当初から月2,500円ぐらいという話はしとったんですが。
「お金高い」「年金暮らしで困っとんのにいらんよ。まだ4、5年先の話でえ」といいよったんだけど、補助金がついたときにみんなが入ってくれたら、比較的安い金額でできるけど、後から入ったら、機械代とかは自己負担してもらいますよと。それで、みなが入ろうという形になってくれたというか、加入率は当初から85%くらい。

大南:加入率低かったら、事業として採択されんという側面もあったんではないかな?

杼谷:あるのはあります。あるけど、そこまで高い加入率を国は想定してなかった。たぶん30%くらい。インターネットの事業なんですよ。テレビは二の次。

大南:ああ、なるほど、プラスα?

杼谷:空いた回線を使っての配信なんで。インターネットがメインで、その予備として、もう1回線、2回線を引き込みますと。それで、余っているのがもったいないので、テレビで使いますという形で、総務省はその時から、地デジ対応という形で了解してくださったんですが、会計検査院に理解してもらうのに苦労したんです。

— 国からはインターネットという未来のニーズのための施策がきているんだけれども、地元のお年寄りにはテレビという今のニーズがあって、そこをエンゲージするところにいたわけですね。その後、光回線は、まちの未来をどんどん変えていくようなことになっているわけです。


徳島県チャンネルより「徳島は宣言する。 山奥でも速い、日本一のネット環境を。 」 2015年5月17日公開

杼谷:最初は国から「どんなシステムつくるん?」って言われたんやけれど、なんか、行政がつくってもいいものができんので、とにかくインフラ整備ができたら、使うんは、みんなが考えてつかうだろうということで、あんまりここにお金をかけずに、使う人に考えてやってもらおうと。

—環境だけつくって、使う側に任せようという意識があったと。

杼谷:そう。国は利活用のことで、「福祉のシステムを入れたらば?」とか、「医療のサービスもできるんちゃう?」みたいなことがあったんやけど、まあ、「生えてくる」というか、グリーンバレーがイン神山を開設したのとか、そういう感じやし。一般の人でも映像や動画をみることができて、そういうのが神山でもできるようになったことが大きい。

西村:コンテンツ志向でなくて環境志向性みたいなことは、グリーンバレーと通じるものがあると考えていいのかな? 環境とか場をつくればというか。

大南:あとは任せてみるみたいな、な。そうやな。

杼谷:無理してなんかしようとしても、いいものってできんのでね。

西村:環境をつくっていく人と、コンテンツをつくっている人は、また別ってことかもしれないですね。

新たな出会いやつながりが、新らたな状況を生む

— これまでの神山のまちづくりに対する、私の個人的な視点なのですが、アーティスト・イン・レジデンスで、ぽこっとステージが上がって、光回線×ITでサテライトオフィスが開設されたことでまたぽこっとあがって、いまはその次のフェーズ、地方創生戦略のために神山つなぐ公社ができましたというところで、これからまたちょっと、何かがあるのかなという感覚があります。

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神山町の地方創生「まちを将来世代へつなぐプロジェクト」を推進する 神山つなぐ公社メンバーの集合写真

大南:ステージが上がるっていうのは、その時点で新たに「新たらしいものの見方」ができる人間が入ってくるっていう話やと思うんよな。例えばアートで外国人も含めたアーティストのような人達が、ここで動きはじめるということでな。それで今度はネットの回線ができて、そこで情報発信できるようなことになって、今までと違うような人達が集まってきて、またそこで変化を起こしてきて。
いままでの神山は、行政と民間が車の両輪という形では、あまり動いてなかったところに、ちょうどそこを両方カバーできるような神山つなぐ公社ができて、また新しい人間が入ってきて、いろんなものをつなぎ始めるっていうような状況やと思うのね。公社がボンド役をしていって、そこに新しい出会いが生まれて、今までになかったものが、補充されたり、今まであったものが、パワーアップされるみたいな状況やと思うんよな。

—もともとあったものが、つながりを持つことによって…。

大南:そう、出会いによって、新しいことが起ったりとか、一緒に起こしたりとかいう形よね。

杼谷:行政は、いままであんまりなんもしてこなかったという批判をいっぱい受けるんですが、でもまあ、行政ってそんなもんじゃないかなぁというところはあって。動きにくいというか、計画段階の予算があって、それを計画通りに使わなんだら、使いにくい。柔軟性がないというか。うまくものが進んで行かない原因のひとつではないかなと。行政内部に地方創生の推進課みたいなのをつくっても、結局は動きにくいのではないかなと思ったんで、それだったら民間と行政が一緒になったような、公社をつくる必要があるんじゃないかなと、最初のほうからそう言いよったですよね。

後編へつづく

 

注1)仕事と人材のお見合いイベント。2泊3日のプログラムを通じ、互いや地域との相性を確かめあう時間を持つ。参考リンク:地域性を表現する公営住宅づくり、協働設計者の募集

注2)2011年の地上デジタル放送移行を前に、2004年神山町・佐那河内村が連携して、山間部の情報格差、難視聴対策としてケーブルテレビ兼用の光ファイバー網を整備。町が希望する全戸に回線を引き込んだ。町内の利用料は月2625円。

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ともかわ

神山つなぐ公社の「つたえる」担当です。山暮らし初心者。どなたか、野菜と雑草の見分け方を教えてください。 Facebookはこちら

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