もちなげとはひろいもの
「パフ、パフ、パフ!!!」
森づくり最中の大粟山に豆腐屋のラッパが鳴り響き、ニコライ隊長の大声が流れる。
「仕方やめ~!今から白桃さんちの棟上げに、もち拾いの戦いに向かいま~す。」
森づくり隊は急きょ「もち拾い隊」になり軽トラ数台の荷台に鈴なりになって上角のお八幡さん(カリン&パットの展示場所だった神社)へ向かった。
もち投げをする棟上宅は、グリーンバレーにもいつもお米の差し入れをしていただいている白桃さん(美味しそうなお名前)。いつもありがとうございます。
少し遅れをとって会場に到着してしまったが、そこではすでに幸せな戦いが信じられないほどの人数で始まってしまっていた。
「オー・マイ・ガアッ!」
オランダから来たアメリカ人作家アダムが思わずうなった。
無理もない、事情も知らされずいきなり頭上からとにかく大量の白い塊りが雨あられと降ってきたのだから、拾うより逃げろと思うのが正しい外国人の判断かもしれない。
私もすっかり少なくなったもちなげに、小学生のころから三十数年ぶりに参加したのだった。
もちに巻かれたテープの色でいろんな副賞(お酒やら植木)までもらえるので真剣そのもの。
子どもからお年寄りまで、それこそモチになりながら笑いあい真剣に拾いあう。
久々に腹の底から笑える拾いもののイベントだった。
三時のおやつにいただいた粟飯原さんのぜんざいに、国子さんたちの戦利品が仕込まれていたことは間違いないだろう。
帰り道、緊張して「もちひろい」に参戦したアダムもすっかり笑顔になっていた・・・。




アダムがいい表情で写ってる。一生に一度のいい経験だったと思う。
ところで、「モチ拾い」って、拾うことより拾う人を見る方がオモロイ・・・(笑)
2009-01-26 21:46 | 大南 信也
確かに、みんな笑顔に勝る褒美なしの様子で転げまわってました。
2009-01-26 22:02 | 仁木島 昭
豆腐や隊長、ニコライです。
「ヘルメット」に、「鉄芯入りスパイクシューズ」と、出で立ちは、良かったのですが、戦利品(おもち)は少なかったです。
原因は、
1,上を見ていたこと。
2,場所取りが悪かった。(もう少し前にいた方が良かった)
白桃さん。もう一回、「もち投げ」しませんかネ?
2009-01-26 23:18 | ニコライ
棟上げの餅なげかぁ….懐かしい。
というのも子供のときに自分の家の棟上げで、拾う側ではなくてどうしても投げたくて、でも女の子は棟にあがってはダメ!と親族一同みんなから強く抑え込められ、男の子になりたいと真剣に思った私。
そしてその感情をずっと引きずって多分彫刻とかの学校を選び、今に至っている….
そう云う意味でなんだか自分には特別な想いがわき起こる儀式。
でもなんで女の子は棟にあがってはいけないんだろう。
土俵が女子禁制みたいな感じなんやろうか?
そして、アダムさんにとってどんなふうにみえたんでしょうね、もちなげ。。
2009-01-27 09:19 | rika
安岐理加さん こんにちわ。
そういえば、「棟上げの餅なげ」を、やっている女性の姿
って見たことがありません。
こわいけど、上から投げるのって、気持ちいいのよね。
あなたも、ブランデンブルグ門から、「お餅」投げて見たら?
じ・・・じ・・冗談ですよ。(笑)
アダムさんに、感想を、また聞いておきます。
2009-01-27 11:27 | ニコライ
餅投げの様子が載っているのを見つけうれしいです。
餅投げは今昔を通じて大イベント。
子供のころからワクワクしていました。
今の時代の子供たちもやっぱりうれしそうに参加しているのを見ると、時代を超えて、大事な文化は残していきたいものだなあと改めて痛感しました。
晴天に恵まれてよかったよかった!!
2009-02-01 10:45 | 福原トモモ
ほんと大切な文化のひとつだと思います。
神山に残る文化を閉ざすことなく残していくことが、いろんなまちの未来の子供たちへの贈り物だと思います。
2009-02-01 19:16 | 仁木島 昭
モチ投げが珍しくなったのは、昔ながらの日本建築の工法が姿を消しつつあるのが原因だよね。最近のプレハブだと、朝、材料を積んだ重量車に出合ったと思ったら、夕方には組みあがっている・・・。
このままだと大工さんの技術の伝承さえ困難になるのでは・・・。現在ある古民家をできる限り保全して置かないとね。(後世の研究者が復元できるように・・・。寂しい話ですが。)
2009-02-01 22:01 | 大南 信也
ニコライさん
ふふふ、さすがにブランデンブルグ門は高すぎてちょっと登れないかな、凍ってて危険だし(笑)
棟上げの餅投げは、一つの家の始まりを地域に広めるという意味合いもあると思うのですが、その魅力は地域社会における老若男女、振る舞う側と振る舞われる側、それぞれの視点でエキサイトするハレの場所がその時だけ発生し、その場にいる人だけが共有できるということ…
別の記事にも繋がるのですが、麦踏みや森づくりも同じで
個人個人の興味の視点はおのおのありつつ、その人々が同じ時間と場所を共有すること、それは個人の日常生活と地域社会を結び付けるとても大切な時間ー空間の共有だと思うのです。
そして、いろんな方々が神山に惹かれ集まってくるのはその構造を転換して次々とグリーンバレーがサイトスペシフィックな転換していく行動力なのだと思います。
2009-02-01 22:58 | rika
rikaさん、 鏡に映った後ろ姿の思いで、あなたの分析に目を凝らしておりまする・・・(笑)
2009-02-01 23:33 | 大南 信也
大南さん
それはまた素敵な表現を(笑)
ぴったりと同時に、しかしながらバラバラにそれぞれの踊りを踊る鏡に映った後ろ姿のそれぞれの視線の先にある大きな円環を思い浮かべてしまいました(妄想しすぎ?)
2009-02-02 01:36 | rika
バラバラのハーモニーつうことやね。
2009-02-02 09:03 | 大南 信也
ニコライです。
ブランデンブルグ門に昇ると、“ ゲシュタボ ”が追いかけてくるぞ!・・・逃げろ!・・・(笑)
というギャグで逃げようとしていたのですが、
「サイトスペシフィック」とか
知らない言葉がでましたので、神山の「神通の滝」で
凍っておきます。(笑)
2009-02-02 23:48 | ニコライ
ニコライさん
はい、凍ってください(笑)
先日ニコライ教会に行ってきましたよ。
改修中でしたがこっそり中に忍び込んでドイツ人の巧みのワザを盗み見していると、見つかったので、にっこり笑ってそそくさと逃げてきました。
サイトスペシフィックとは、美術用語として扱われることがほとんどで「その場所固有の」というような意味の言葉です。
その場所でしか成立しない作品や様式を指しますが、私はアートだけに関して当て嵌まる言葉ではないと思っていて、日常目をこらしてみて見れば、そこここにサイトスペスフィックな現象は今更始まったことではなくあるわけで、そういう意識があるからこそアートという呼び方をされる前から現象は起きているのだと思っています。
で、現代社会のアートの現場って、どこなのだろうでしょうかね?
すみません、餅投げからずいぶん遠くに来てしまいました(笑)
2009-02-04 06:37 | rika