神山町旧役場文書(13) 「青少年義勇軍書類昭和17年」

なんでも2010年5月26日

アバター画像

投稿者:稲飯 幸生

旧鬼籠野村役場文書

○昭和13年頃から成人男性の満州入植が少なく困難となり、代わって15才から18才の少年が満蒙開拓青少年義勇軍として満州に入った。
「片手に鍬、片手に銃」をモットーに全国から8万5千人の青少年が満蒙へ渡ったが昭和20年8月、ソ連の侵攻によりその夢は破れそれからは苦労の連続であった。

○満蒙開拓青少年義勇軍内原訓練所入所ニ関スル件
昭和19・2・27
鬼籠野村長~入所予定者
・入所場所 茨城県下中内原訓練所妻村
・郷土出発 19・3・4(高徳線経由) 徳島駅出発11:32
岡山駅経由
・引率者 県並ニ地方事務所・国民学校職員
・集合場所・時刻 3・4 午前8時 西ノ丸運動場
・服装 出発当日ハ平常ノ学生服着用
3ヶ月ノ訓練終了後、渡満ノ節ハ制服・制帽・ズック 靴・ゲ~トル・飯盒・水筒・食器ナド支給サレル
・携帯品 印鑑・寝具・帯・下駄・手拭い・歯ブラシ・チリ紙・針・糸・学用品・両親ノ写真
・托送ノ荷物ヲ最寄ノ駅ニ持参シ荷物札以外ニ「義」ト朱書シ荷物ノ両側二付スルコト。コノ荷物ハ優先的ニ扱ワレル
・旅費 自宅ヨリ徳島駅マデノ汽車賃・車馬賃ハ県費支給
・宿泊 徳島市紙屋町 高十旅館 食事ハ持参ノコト
宿泊料ハ一人1円50銭 自弁トスル
・徳島駅ヨリ内原マデノ汽車賃ハ県費支給
・弁当 4日出発ヨリ車中3食分ハ各自携行。ソノ後ハ県支給
・小遣銭 5円乃至10円トシ、不必要ニ金ハモタナイコト
・其他 出発前ノ暴飲暴食ハ禁止
神社参拝・親戚・近隣ヘノ挨拶ヲ忘レザルコト

○昭和18年度義勇軍割当表(名西郡内国民学校)
上分22(高等科2学年在籍数)~4(義勇軍割当数)
下分32~5 左右内8~2 神領30~5 鬼籠野28~7
阿川34~7 広野30~5 入田26~3 高川原36~6
藍畑35~5 高志21~4 高原31~5 浦庄31~5
石井26~5 計 390~68

○満蒙開拓青少年義勇隊員内地一時帰国(自宅)療養者ノ取扱ニ関スル件
17・10・28 勝名地方事務所長~村長宛
・本人及保護者願出ニ基キ結核性胸部疾患者ハ内地一時帰国 自宅療養ヲ認メタルモ、内地特別訓練所ノ設立並内地結核予防対 策ニ即応スルタメ自今左記ノ通リ処理致スコトニ相成候
・結核予防上爾今開放性結核並結核性胸部疾患ノ一時帰郷自宅療養ハ之ヲ許可セザル方針トス
結核性胸部疾患者ハ義勇隊医療機関ニ収容ス
・自宅療養許可スベキ範囲ハ左ノ病類ニ限定ス
レウマチス性疾患(関節筋肉)、神経系疾患、(精神病・神経衰弱・癲・癇・其他)
註 癲(テン・ヤマイダレ)  癇(カン・ヤマイダレ)

○満蒙開拓青少年義勇軍郷土訪問ニ関スル件
18・6・5 勝名地方事務所長~村長・学校長宛
郷土中隊ハ本月内原出発、釜山経由ニテ渡満致ス事ト相成候所渡 満途次本月10日、11日、12日中隊長引率別紙日程ニヨリ郷土訪問可致候
・第1班(10日、11日)、第2、3班(11日)、徳島市ノ各旅館ニ分宿ス
・父兄ノ訓練生トノ面会ハ11日午後2時ヨリ5時マデノ間千秋閣ニテ行ウ
・長途ノ旅行ニツキ不当ノ飲食物等与エザルコト

○名西郡義勇軍壮行式ニ関スル件
20・2・20 名西郡教育会長~村長宛
・集合場所・時刻
徳島公園内千秋閣
壮行会開始 3・1午後1時30分
終了時刻 午後2時30分
出発 第1班(美馬・三好・阿波・麻植・那賀・海部)
午後3時10分徳島駅発高徳線経由
第2班(名西・名東・勝浦・板野・徳島市)
午後5時30分徳島駅発高徳線経由
式次第
開会ノ辞
国民儀礼
知事訓辞
記念品贈呈
来賓激励ノ辞
義勇軍代表答辞
植民ノ歌合唱
万歳三唱
閉式ノ辞

アバター画像

稲飯 幸生

神山町文化財保護審議会長。

稲飯 幸生の他の記事をみる

コメント一覧

  • 今で言えば、高校生が極寒の満州へ送られたわけですね。 名西郡に68名の割り当て。学年の1/6。かなりな数です。 携帯品には両親ノ写真がある…。 また西ノ丸運動場という懐かしい名前もあります。 貴重な記事をありがとうございました。これからも楽しみにしています!

    2010年5月26日 15:05 | 大南 信也

  • 西ノ丸運動場・・・僕らの「高校総体」はあそこでした。 徳島新聞へ行っていた(今も行ってるかもしれないけど)斉藤君 が応援団長で、僕らも母校、城北高校の応援に行ってました。 僕は、城山の西側の中腹から、さぼりながらの応援だけど(笑)「高校総体」の時期は、“ 全生徒は応援に行きなさい!”と学校が言ってたから、授業が無かった気がする。 あぁ~・・なつかしぃぃぃ・・・・・。 「靴」のことを、昔は「ズック」と呼んでいました。 なぜ「ズック」って呼んでいたのかわかりません。

    2010年5月26日 23:38 | ニコライ

  • オランダ語の doek(ズック)から来ているそうです。 麻・木綿の繊維を太く縒(よ)った糸で織った布地。 勉強になりますなぁ!イン神山(笑)。

    2010年5月27日 07:51 | 大南 信也

  •  稲飯先生の神山町旧役場文書シリーズ興味深く読ませてもらっています。  昭和十七年の青少年義勇軍の文書、私の生まれた年です。もう少し早く生まれていれば私も義勇軍に招集されていたのですね。考えるとぞっとします。

    2010年5月27日 10:32 | 中原 亨

  • 何でも、よぅ知ってます・・・大南さん。 トオルちゃん。ヒロ子さんから “ 義勇軍に招集されていればよかったのに・・・・・” とか言われてませんか? じ・・じ・・・冗談ですよ。(冷や)(笑)

    2010年5月27日 22:44 | ニコライ

コメントする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * 欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください