農村環境改善センターで出会える風景

 神山町農村環境改善センター(通称:改善センター)に来る人は、多種多様。
そんな人達の共通点は、「どこか楽しそう」なところ。

 親子で静かに本を読む、町内外からピアノを弾きに、地域のいろいろなグループが焼肉のタレ、よもぎ団子、こんにゃくを作る季節の活動。高校生が音楽イベントを開催すれば、大人たちはそれを本気で楽しむ。かと思えば、数年に一度は選挙会場になり、バッチリスーツの大人たちがずらり。かつては、結婚式の披露宴まであげていたとか。

 非日常と日常の光景が同じ場所、同じ時間に起きている不思議。
でも、どれも改善センターらしい光景だなと思います。

 さて今日も改善センターに、チラホラと町の人が集まってきました。玄関ホールで交わされる挨拶が聞こえます。ここへ来れば、きっと誰かと立ち話をすることになるでしょう。 

神山町農村環境改善センターの歴史

 「農村環境改善センター」が建てられたのは、日本が戦後復興から近代化に邁進し、80年代後半のバブル時代に突入しようとする頃でした。設置目的は、「都市部と農村部の生活格差、農村人口の減少の格差改善」。国の「農村総合整備事業」※の目玉の一つでした。

 昭和50年に神山町も計画実施地区として指定を受け、昭和55年(1980年)の設計から2年をかけて、昭和57年(1982年)10月1日に落成。当時も今も、役場所有になりますが、2007年からはNPOグリーンバレーが指定管理事業者の委託を受けています。今年で42歳のこの建物は、町の人たちから「改善センター」もしくは「改善」として現在も親しまれています。


落成式当日の改善センター


落成式に催された文化協会の柿落としイベントのチラシと新聞広告。
町にとっても、町の人にとっても一大ニュースだったことが伺える。


改善センター2F・生活研修室(結婚式場)の様子
                            
※「農林業の近代化」、「農山村の生活環境の整備」、「福祉の向上」の3つを軸に、飲雑用水の水質改善、圃場の整備、用水路の整備、道路の整備、ゴミ処理所の整備、公園の整備などが含まれていました。この施設は、全国各地に設置されており、地域ごとにその機能は様々。徳島県内にも複数箇所「農村環境改善センター」という名前で現在も使用されている場所があります。 

改善センターの運営について

 そんな改善センターの管理・運営を担当しているNPOグリーンバレースタッフの河野定子さん(以下、定子さん)にお話を伺いました。

 施設管理を通して見えてきた町のこと、町の人のこと、施設管理のこと。
定子さん、教えてください!


河野定子さん


ー定子さんはいつからここで働いていますか?

定子さん 2006年かな。最初は、神山町役場の臨時職員としてここにおったな。ほんで、2007年からグリーンバレーが指定管理に入るようになって、そのまま私は残ったんよ。

ある日、大南さん※1が改善センターに来て「あんたはおりいよ」って言うけん、「はい」って言うて返事したら18年もおってしもたなあ。
※1:大南信也_神山町出身。NPOグリーンバレーの立ち上げメンバーの一人で、初代理事長でもある。

ー改善センターで働いていて、嬉しいことってどんなことですか。

定子さん この施設でおって嬉しいなと思うことは、子供達の声が聞けること。
誰でも使える施設やけんな。こんな多世代の人に使われる施設ってなかなかないね。選挙もするし、乳児検診もするし。町のイベントとか、文化協会に入っている団体とか、地域の寄り合いとかね。

ー改善センターは町の人にとってどんな施設だと思いますか。 

定子さん みんながきて楽しんでいる施設。これほど面白い施設はないな。
ほんで、そういう楽しんでいる人たちを見よるんが、面白い。施設に来る人と話して、その時期、時期の話が聞けて、コミュニティができて。

話をすることで、その人が住んでいる地域のことが少しわかったり、関わることによってまた違う関わりができたり、その人と繋がりが広がるし新しい発見も多いよね。18年おっても飽きがこん。

ー飽きがこない施設ってすごいですね。定子さんが、施設管理で大事にしていることってなんでしょうか。

定子さん コミュニケーションが一番大事じゃわ。この施設におったら、なんでも学び。
話を「うんうん」て聞いてあげることと、「元気にしよったん?」とか、こちらから問いかけたりすることも大事やなあ。ここにくる人たちがどれだけ使いやすくて、居心地がいいかっていうことは、私たち(施設を運営する側)の一方的な考えでは難しくて、その間には必ずコミュニケーションがいる。ほこを気をつけんといかん。お互いに関わり合うから、いい施設になるよな。

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 話は尽きず、「昔は、文化協会がこんなことをやったり、あの団体がこんなことしてたり・・・」と定子さんから語られる、神山弁で飛び出す改善センターと神山のかつての姿も、今と同じようにやはり楽しく賑やか。
 聞き馴染みのある団体の話が出ると、そんな時から活動している団体なのか!と驚いたり、「ヨガダンスの教室があったりしたんよ」と今は無い使われ方に想像を膨らませたり。使う人が変わっても改善センターは変わらず老いも若いも境なく、永く親しまれ使い続けられて、40年間まちの文化活動の拠点として町民の暮らしを明るく楽しくしてきました。どんな利用もその包容力で、受け入れてしまう。そして、噛めば噛むほど、味わい深いこの施設。今日も誰かの文化活動を支えています。