【Interview】シャーロット・ブリスランド

アート2008年5月15日

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投稿者:Art in kamiyama

2005年度 神山アーティスト・イン・レジデンス招聘作家
ドイツ在住

日本社会や神山について、最初は戸惑ったり、よく分からなかったけれど、のちに解決できたことはありますか?
文化の違いに時々戸惑いました。西洋育ちの私にとって、プライバシーを持つこと、他人のスペースに入るときはノックをするということはごく当たり前のことでした。でも、日本ではそうじゃないわね。つい最近まで日本人はドアにカギがあるということすら聞いたことがなかったのではないかしら-日本の家は紙で仕切られているのだから。日本文化は伝統的に集団意識を大事にしてきたし、今でもそうだと思う。何時でも自由に相手の家に出入りするというのもこの意識と関係があると思う。ある意味では、これはいいことかもしれないけれど、私には抵抗があったわ。それと、座るにせよ、横になるにせよ、変に床が近くて落ち着かなかった。ただ、これも捉え様によっては別の見方もできるのだろうけれど。

神山でのおもしろいエピソードや楽しい思い出は?
一度、KAIRが貸してくれた6人乗りのバンに乗っていて急斜面のわきに落ちそうになったことがあったわ。デ・ステイル建築様式の家を見つけ、もっとよく見えるところに行こうと思って狭い道に入ったんだけれど、周辺に民家が立ち並んでいる山のど真ん中で動けなくなってしまったの。ひき返そうとしたら、道は40度か50度の急傾斜になっていて・…。あの道は本当は車道じゃなくて、単なる小道だったのね、入り口は車道のように思ったんだけれど。坂があまりに急で、車が前に進まなくて、思いっきりブレーキをかけたんだけれど効果がなくて、ずるずると後ろにずり落ち始めてしまって・…。私の目の前には山があったのだけど、窓越しに見えたのは雲一つない青空だけだった。道が狭くて、向きを変えることもできないし、汗だくで、フットブレーキからハンドブレーキまですべてのブレーキをできるだけ強くかけ、何とか不安定ながらストップさせることができたの。携帯を掴み、ドアから安全な場に抜け出たんだけれど、バンは不安定なままで、道の下は民家でしょう。今にもずり落ちていくのではないかと本当に心配したわ。まだ日本に来たばかりで、あまり知り合いはいなかったけれど、少ない知り合いのひとり、チャンさんの電話番号を持っていたので、電話したの。泣き泣き事情を話すと彼は笑い飛ばして、すぐにだれか助けを送ると言ってくれ、その後すぐに、中原さんが助けに来てくれたの。おそらく彼は私のバンの前部分と彼の車の後部にロープを結べば済むだけの簡単なことだと考えていたんじゃないかしら。私は車に乗りこみ、エンジンをかけ、フットブレーキはかけたまま、ゆっくりとハンドブレーキをあげたの。すると車体全体が中原さんのバンを伴って、後ろに傾いてしまって、私は冷や汗もので、ハンドブレーキをかけ直したの。中原さんも真っ青になっていたわ、明らかに思ったよりも深刻な事態だということがわかったのね。今度は彼も自分のバンに乗り込み、エンジンをかけて、やっとバンと私を坂から引っ張りあげてくれたの。

来る前にに知っておけばよかったと思うことは?
相手が名刺をくれたら、両手で受け取り、話が終るまで、テーブルの上に置いたままにしておくのがマナーだということを知っておけばよかった。この時期(レジデンス期間中)は非常に暑いので、サンダルを持って来ていたらよかった。基本的な日本語は知っておくべきだった。TOPIAのことを知っていたら、基本的なサバイバル術を学んだり、新しい友達をつくる機会も増えただろうと思う。

神山であなたにとって特別な場所はどこですか?
下分(宿舎)の橋の向こうにある神社。赤色の巨大な鳥居があって、いつも人気はなかった。神山は忘れられた楽園のようで、不思議な魅力を持つ町だと思う。あの神社は私の願い事をたくさん叶えてくれたし、大事な問題について考えるための静けさを与えてくれる場所だったわ。

持って来たらよかったと思うものは?
サンダルとノートパソコン

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