「まちの外で生きてます」#27 石井大征さん

なんでも2026年1月15日

アバター画像

投稿者:やままち編集部

〝やままち編集部〟です。現メンバーは、大家孝文・大南真理子・中川麻畝・海老名和、神山町出身の4名。大阪で働いていたり、東京で働いていたり、徳島市で働いていたり。

「まち」で暮らしているけど、心の中には「やま」があります。離れたところからでも神山にかかわれないかな…と思っていたら、ある流れで「広報かみやま」に参画することに。2021年の9月号から、町外にいる若手のインタビューと、その人にむけた学生のQ&Aのシリーズ記事、「まちの外で生きてます」が始まることになりました。

紙面の都合から一部分しか載せられないので、イン神山で、ロングバージョンを公開させてください。

町外で暮らす神山出身者の今を紹介する連載。第二十七回は、神領出身で今は大阪で暮らす石井大征さん(20歳)に話を聞きました。

―小学六年生で神山に引っ越し。神山に来る前のことを教えてください。
石井
 僕が生まれ育ったのは岐阜の美濃市というところです。神山に似ていて、山や川に囲まれています。川で泳いだりももちろんありましたし、川に散歩に行く校外学習や裏山できのこの菌を植えてきのこを育てたりするような小学校でした。小学校の同級生は24人くらい。そんなに大きな町ではなかったので、都会か田舎かという意味では、神山に引っ越してきた時も気持ちの面では変わらなかったです。


(写真/岐阜・美濃を過ごした幼少期。思い立ったら何でもやってしまうタイプ!)

石井 神山に引っ越してきたきっかけは、父の仕事。父が先に神山で仕事をするようになって、途中から家族も岐阜から移住したというかたちですね。父はサテライトオフィスで映像系の仕事をしていました。小学六年生の夏休みに徳島旅行に来た時、こっちに引っ越さなかって言われました。それが引っ越してくる1カ月前くらい。今思うと怒涛の1カ月ですよね(笑)。だから岐阜の方では友達にちゃんとバイバイできなかったり……。でも不安などはなく、面白そうって思いました。それで小学六年生の夏から、家族で神領の谷に住み始めました。

―神山で暮らし始めてどうでしたか? 最初の印象は?
石井
 人が優しすぎる! ちょっと怖くなるくらい(笑)。今までは同じ田舎でも知らない人と話すことはなかったのに、神山は違いました。一回友達ができたらその友達ともつながるのが簡単。初めましての自分にもこんなに仲良くしてくれるんだ!ということに驚きましたね。転入した神領小学校(神小)のクラスには派閥みたいなものがなくて、誰かと仲良くなれば、ほかとも仲良くなれる。あと、近所から野菜をめっちゃもらうんですけど、そのことに慣れていなかったので最初は親切心だとあんまり思わなくて……(笑)。学校から帰っている途中で「お疲れ様」「おかえり」みたいな挨拶をされる分にはそれを優しさだと感じていたんですが、野菜を持って来られることには戸惑いましたね(笑)。「もしかして毒でも入れられているのかな」とか思ってしまうぐらい(笑)。

石井 神小の同級生は20人くらい。岐阜の小学校と規模感は同じくらいでしたが、男女比がすごく違って、岐阜の方では女子が多かったんです。こっちでは女子が数人しかいなかったので、それは初めての感覚。男だけのコミュニティーみたいなのがあり、それは新鮮でした。放課後は、友達とオンラインでゲームをしていました。こういう遊び方は岐阜の学校ではしたことなかったです、誰かの家に持ち寄ってやっていたので。オンラインゲームのやり方を教えてくれたのは神領の子なんですよ。神小は校区が広いので、上分の子とか遊べないじゃないですか。持ち合わせて一緒にゲームをするということが物理的にできなかったので、オンラインに。逆にいうと岐阜の時は家が近い子しか遊べなかったけど、これなら放課後にみんなと遊べるんです。


(写真/全日本山岳写真のコンテストで入賞。東京での展示会で写真作品が飾られた)

―神山中学校で思い出に残っていることはありますか?
石井
 一番思い出に残っているのは、二年生の時に行ったオランダ留学。これは、僕の人生単位でも大きい経験だったと思います。それまで僕自身、人の前に立って何かをするようなタイプではなかったのですが、その経験以降、無意識ですが人の前に立つことが多くなりました。部活のキャプテンや生徒会の副会長をしたり。留学のきっかけは親の勧めです。「こんなチャンスないから」と言われて行くことを決めました。これは神山町がやっている留学プログラムで、オランダの学校の生徒と交換留学するもの。一番印象に残っているのは、ホストファミリーとの生活です。一人で現地の家庭に入れられるのですが、特に英語喋れるわけではないので、一生懸命スマホの翻訳アプリでコミュニケーションをとりました。でもそうしてコミュニケーションがとれたことが成功体験に。自分でもできるんだっていう気持ちになって、そこから英語に興味が出て英語の勉強をするようになりました。僕らが行った後、オランダの生徒が来た時には英語でおもてなしができたということが、さらに成功体験となりました。翻訳アプリを使わず喋れるようになりたいと思って2カ月めっちゃ頑張りました! その時に言語は学問ではなくコミュニケーションツールなんだと思いました。勉強に対するモチベーションが上がったのもそのころです。


(写真/神山中学時代にはオランダ留学を経験。この成功体験で英語が好きになった)

石井 部活は卓球部。怒られた思い出ばっかりです(笑)。特に卓球に思い入れがあったなどではなく、いかにその時間を楽しく過ごせるかというところに重きを置いていたので、僕はキャプテンでしたが部員同士で馴れ合いすぎて先生に怒られたり……。なかにはもちろん真面目にやりたい子もいたんですよね。最初はそこが分からなかった。だから部活に関しては頑張った!というよりは、人間関係の学びが多かったという印象です。

―神山で過ごした中学時代には、どんな夢がありましたか?
石井
 二年生の立志式では「弁護士になる」と夢を書きました。今も弁護士を目指して勉強しているのですが、その夢は小学校の時からもっていたもの。事件によって知り合いの家族の日常を変わっていくところを身近で見たことがきっかけです。当時は親にも言ったことがなかったので、自分の言葉で弁護士になりたいと表現したのは立志式が初めてでした。何で言えなかったのかというと、言った時点で人生の方向性が決まってしまって、それからの言動に一貫性を求められると思うと、容易に言えないなって……。言わなければ誰にも心配かけないから、夢を諦めることもできるなと甘えになっていた部分もあったのかもしれません。

石井 立志式で表現することができたからこそ、今もあの時に誓ったこととして頑張れていると思います。クラスで発表した時には、周りからはちょっと引かれていたかもしれません。でもクラスメイトの一人が、「大征だったらほんまになってそうやけどな」って言ってくれて。その一言が実は支えになったりしていますね。

石井 そうした夢のこともあって高校は県外受験をしました。皆は県内の高校を受験していましたが、僕は県外の私立に進学して留学したいという夢がありました。県内の高校に関しては、実力テストでこれくらい点数が取れていたら大丈夫という指針を学校側がもっていますが、県外だとネットの情報くらいしかなくて、自分の成績がどの程度なのか分からないし、選んだ高校がそれで良いのかも分からない状態でしたね。結構模索しながら受験していたように思います。受験会場には一人で行きましたが、受験期間の最後は周りにも応援してもらって頑張れたという感じです。大阪にある近畿大学附属高校(近大附属)に進学。この高校を選んだのは、英語特化コースがあったから。休学せずに留学できるのです。二年生の二、三学期の単位を海外の学校で取れるため、三年間休学せずにストレートで高校を卒業できます。そのタイミングに合わせて、家族も奈良に引っ越し、僕はそこから大阪に通っていました。

石井 近大附属は西日本で一番のマンモス校で、一学年20クラス以上。隣の部屋にいる人くらいしか関わらないような規模感です。同じ校舎に同じ制服を着た知らない人がいるということは、なかなか受け入れられなかったですね。皆顔見知りという意味では、神山は安心感もありましたが、高校では安心感がないほど。スポーツ強豪校ということもあって、体の大きい人もいるし。先生もいろんな人がいました。人数が多く自分のことを分かってくれていない先生がいるのは、初めての経験でした。入学時にちょうどコロナ禍。学校はオンラインでスタートしました。オンラインの時期は僕からすれば神山の感覚のままなんです。なので、そのノリで同じクラスの子にLINEでメッセージをしたりしていました。神山の感覚なので「皆仲良くなろうよ」って思って。でもそれが逆に馴れ馴れしすぎたらしくて、今でこそ笑い話ですけど、「あの子大丈夫?」みたいな感じだったらしいです(笑)。そのくらい初めは距離感が分からなかったですね。完全オンラインが最初の2カ月。あとはクラスターが起きた時だけオンラインになりました。マスクが完全に取れたのが三年生の終わりくらいだったため、マスクのない状態で会う友達が新鮮で、新しいコミュニティーに入ったくらいの感覚でした。

石井 二年生の時には、マルタ共和国に留学。いくつか留学先の選択肢があるのですが、国によって留学期間が違うので、一番長いマルタを選びました。マルタは英語とマルタ語とイタリア語が話される国。当時まだコロナの影響で隔離期間もあったりして、全部で7カ月。中学生でオランダに行った時は、ホームステイ以外はガイドがいたりお世話をしてもらいましたが、この時は一人。歓迎のパーティーとかなく「さぁどうぞ」って学校に入っていかなければいけないため大変でした。もちろん履修作業も自分でして。友達がいっぱいできたという感覚ではなく、英語でめっちゃ勉強したなという感じです。楽しかったけれど、こんなはずではなかったという気持ちもずっともっていました。アジア人差別があったりで、あまり上手に友達付き合いできなかったなという感じ。もちろん今も繋がっている人たちもいますし、英語でたくさん勉強できたという点で最終的にはポジティブに捉えるようにしました。三年生の段階では内部進学が決まっていたため、10月から法律の資格試験のための予備校に入って勉強を始めました。


(写真/マルタ共和国に留学した時の一枚。地元の子どもたちと一緒にサッカー)

石井 近大で大学生になりましたが、大学の授業に少し物足りなさを感じたりして二年生の5月くらいに辞めました。今は、障害者施設で少し仕事をしながら、資格取得に向けて自分で勉強中というところです。英語を生かして仕事をしようと思ったことはなく、自分のスキルアップや趣味としてやっていた感じです。

石井 今やりたいことの中心は弁護士ですが、いろんなことをやっています。僕自身いろんなものに興味を引かれるタイプ。一昨年はJリーグのサッカーの応援団体に入ったり、現在進行形でアーティストのプロデュースもしています。作詞・作曲して、アーティストに歌ってもらって出すということも。少し前まで一人で勉強していたんですが、メンタルのバランスを崩してしまったので、少し縛りを緩くしていろんな寄り道をして楽しんでいます。ひとまず、試験に受かることが目標。でも興味もっていること、今なら音楽のプロデュース活動も中途半端に終わらせたくないとは思っています。


(写真/勉強だけでなくいろんなことに興味も。一昨年にはFC大阪の応援団でコールリーダーを務めた)

―今の神山をどう見ていますか?
石井
 一昨年、U-23サミットというイベントに参加しました。次世代を担う100人が選ばれるイベントです。そこの参加者が「私ここに行ってみたいんだよね、神山っていうところ」と神山の話をしてくれました。僕が神山出身だとは言ってないのに。その子は東京の子だったのですが、そこで神山という言葉が出た時は、やっぱりすごかったんだって思いました。神山の人はあまり気づいていないけれど、神山ってめっちゃ話題になっています(笑)。特に今は神山まるごと高専ですかね。僕は三年半しか神山にいなかったのですが、それでも誇りに思えるくらい、神山ってすごい。過疎地域という印象が抜けない部分もある。でもその感覚がなくなっていくくらい発展するのではと思います。若者が注目する町として。またいつか神山に戻りたい気持ちも、もちろんあります!

 

インタビュー・文:大南真理子


質問!まちの外で暮らす先輩にあれこれ聞いてみよう!(中学生)

Q:中学時代にやっておけば良かったことは?
石井 自分の見た目をもっと気にしていたらよかったです。高校時代の青春のスタートダッシュとして、髪型とか肌荒れとかを気にしておけばよかったなと思います。

Q:座右の銘は何ですか? 
石井 「自力本願」です。他力本願でいると、力を貸してくれている人に気を遣って自分の自由にできなくなりますが、自力本願なら他の人の力に依存することなく、自分の足で立って、自由に行動できます。

Q:高校選びの決め手は?
石井 休学せずに長期で留学ができるところで選んで、大阪の私立を受験しました。もしその高校がダメだったら、別の学校への進学を考えていました。

Q:勉強は必要だと思いますか?
石井 必要だと思います。ただ、それは「国数社理英が大切」という意味ではなくて、興味のあることに熱中して、突き詰めていればそれでいいということです。将来、自分のやりたいことができたときに、自分の手で情報を集めて、本質を理解して、自分のものにできるかが大事だと思います。

 

Q&Aとりまとめ:中川麻畝・海老名和
編集部とりまとめ:大家孝文 

アバター画像

やままち編集部

やままち編集部は、神山町出身の4名(大家孝文・大南真理子・中川麻畝・海老名和)からなる編集部。「遠くで暮らしていても、神山にかかわることが出来れば」という想いから、「広報かみやま」で連載「まちの外で生きてます」の連載を企画・制作しています。(2021年夏より)

やままち編集部の他の記事をみる

コメント一覧

  • 現在、コメントはございません。

コメントする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * 欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください