「まちの外で生きてます」#28 長岡優子さん
なんでも2026年3月15日
〝やままち編集部〟です。現メンバーは、大家孝文・大南真理子・中川麻畝・海老名和、神山町出身の4名。大阪で働いていたり、東京で働いていたり、神山で働いていたり、海外で働いていたり。
「まち」で暮らしているけど、心の中には「やま」があります。離れたところからでも神山にかかわれないかな……と思っていたら、ある流れで「広報かみやま」に参画することに。2021年の9月号から、町外にいる出身者のインタビューと、その人にむけた学生のQ&Aのシリーズ記事、「まちの外で生きてます」が始まることになりました。
紙面の都合から一部分しか載せられないので、イン神山で、ロングバージョンを公開させてください。
町外で暮らす神山出身者の今を紹介する連載。第二十八回は、阿川出身で今は板野郡で暮らす長岡(旧姓:森)優子さん(42歳)に話を聞きました。
―神山で過ごした小・中学校時代の思い出を教えてください。
長岡 私は阿川の川平というところで育ちました。阿川でもちょっとマイナーなところ。徒歩圏内に同級生が一人住んでいたくらいで、小さいころは基本的に、家の畑で走り回るとか、親の畑仕事をしている側で秘密基地をつくって遊ぶみたいな、孤独な時代でした(笑)。一人でおままごとや枝とか集めて本格的な秘密基地をつくっていた記憶があります。

(写真/お父さん子だった幼少期。どこに行くにも一緒に)
長岡 同級生は13人。女子7人、男子6人だったかな。阿川幼稚園へは車で送ってもらって、小学校から集団登校でした。歩くと徒歩1時間くらい。一山越えて行っていたので結構ハードでしたね。学校の帰り、お腹が空いた時や喉乾いた時によく“イタドリ”を食べていました! おもしろいですよね。今もし自分の子どもが道端の植物を取って食べていたら「ちょっと!」って言ってしまうかもしれないです(笑)。これは神山共通の思い出じゃないですか? 小学六年生の時には阿川にもバレーボールチームができて、それに少し参加したりもしました。スポーツ少年団でキックベースをしたことも思い出にあります。

(写真/阿川小学校の同級生と小学一年生のころの一枚)

(写真/小学六年生の同級生と修学旅行先の旅館で。修学旅行は大阪・京都・奈良!)
長岡 中学校は神山中学校(神中)に進学。阿川は神中と神山東中学校を選べるのですが、当時の阿川の同級生は全員神中を選んでいたので、私も皆と同じ神中に。中学校の同級生は一学年、74、5人だったと思います。小学校の宿泊訓練で5校が集まって顔見知りになっていたので、中学校ではその時に会っていた友達を探すのが楽しくて、人数が多くなった不安などはありませんでしたね。牟岐少年自然の家。私のなかで、あれはとても大事な行事で、そこで会った他校の友達とはずっと文通をしていたので、中学校でやっと会える!と嬉しかったです。

(写真/親元から離れて寮に入った神山中学時代。神中祭などのイベントも楽しんだ)
長岡 家から通えない距離だったため、寮生に。寮は独特でしたよね(笑)。毎朝その時流行りの曲で目覚めるんです。私たちの時はTRFが多かったイメージ。起きて点呼までに準備を済ませる。中学生にしてはきっちりしていたなぁと、今になって思います。寮に入ってしばらくして実家に帰った時、「それ取って」ではなく、「それを取ってください」と言ったり、「ありがとう」と言ったら、「そんなん言えるようになったん!」って親にびっくりされたことを覚えています(笑)。ちゃんと社会性を身に付つけられたのも寮のおかげだったかもしれません。特に、ホームシックにもならず快適に過ごし、楽しかったですね。
長岡 部活は美術部でした。その時に仲が良かった友達が入るって言ったので入りました。私、全然主体性がなくて(笑)。活動時間は、ひたすら絵を描いてる先輩、とその横で遊び回る私たちという構図(笑)。コンクールに出すなどの具体的な目標があったわけではなく、ただただ好きなもの描いているような時間でした。ちょうど美術室からサッカー部が見えたんですよ。それを見て「◯◯さんかっこいい!」と騒いでいたことを覚えています(笑)。神中は、夏だけ期間限定の陸上部があったじゃないですか。その時に、美術部の友達がマネジャーすると言って、同級生三人でマネジャーをやって走り回っていたことは印象に残っています。一年生の時だったかな。ポカリをつくったり、タイムを測ったり。美術部の思い出よりそっちの思い出が強く、最終的に先生に、「お前らうるさいからもうえぇわ」って言われた記憶がなきにしもあらず、です(笑)。

(写真/美術部の三人。よく喋るので先生からは「かしまし娘」と呼ばれていました(笑))
―神山中学校を卒業後は、どんな選択をしていきましたか?
長岡 中学校の立志式では、モットーとなる四字熟語を書道で書くのですが「一期一会」と書きました。でも将来の夢を書く作文は、全然覚えてないですね。その時、将来の夢というものは具体的になかったんだと思います。子どもが好きだから保母さんや、ケーキ屋さんも良いなぁと、結構漠然としていて定まってなかった。小さい時からそんな感じでしたね。
長岡 高校を選ぶ際も、不純な動機ですが、「制服かわいい! この制服着たいよな」ってなって、制服で名西高校(名西)に決めました(笑)。名西には普通科があったので普通科に行っておけば、将来の夢が見つかった時も身が振りやすいかなという気持ちも。当時の名西の生徒は、すごいキャピキャピしていましたね。私もそうなりたかったけど、家が厳しかったのでそこまでなりきれず不発で終わった(笑)。

(写真/名西高校に入学。体育祭での一枚)
長岡 高校へは神山の実家から通いました。「バスで行きよ」と定期券を買ってもらったのですが、朝が早かったので、何だかんだ母に車で送ってもらっていました。阿川からなので、距離的にはまだ許される、かな(笑)。部活はバレー部に。それも、たまたま神山から進学した友達がバレー部の見学に行くので「一緒に行かん?」と言われて、それで行って流れで入ったんです。意外とお気楽な部活で。小・中学校からバレーをやっている人も多いのですが、名西は途中で入っても大丈夫でした。バドミントン部と交代で体育館を使っていました。間に時間があると、筋トレしたり走り込みをするわけでもなく、近くのパン屋にパンを買いに行ったり(笑)。同好会みたいな感じでした。バレー自体、小学校で少しやりましたが、ほぼゼロからですね。それでも高校三年間続けて、リベロとして試合にも出場しました。隣のバスケ部を見て、「◯◯くんかっこいい!」みたいな。変わってないですね(笑)。

(写真/名西高校バレー部は、部活というよりは同好会のような和気あいあいとした雰囲気)
長岡 高校時代も具体的な目標をもっていなかったのですが、進路をどうするかとなった際、親が美容師をやっていたので私も美容専門学校に行こうと決めました。その時まではあまり思っていなかったけど、やはり身近な職業で、自分のなかで理解できる職業だったので。徳島市内の徳島県美容学校に入学し、神山から車で通いました。県外へ行くことも考えました。当時は神山から出たい気持ちがあったんです。県外の専門学校の願書を取り寄せて、親にも「行って良いよ」と言われていたのですが、だんだん「都会なんて危ない」と心配されるようになり、結果的に徳島県内で選ぶことになりました。

(写真/徳島県美容学校に入学。当時の同期生と)

(写真/専門学校二年生の時に出場した全国大会では最優秀賞に!)
長岡 学校では筋肉など人体についても学んだし、髪の性質など化学的なことも勉強。それ以上に実技課程が多かったですね。私は自分でカットラインを考えてアレンジして、ということは苦手。でも、これだよとお手本があって、それをつくることはとても得意だったんです。美容師の国家試験でボブを切る課題があるのですが、そういうことはすごく得意で、好きでした。専門学校を卒業後は、徳島市内の美容院に就職して、結婚するまで十年くらい働きました。お客さんと喋るのが大好きで、逆に喋りすぎなくらい(笑)。髪型を考えるのはしんどいので、なんならアシスタントでいたいくらいでした(笑)。アシスタント時代を含め、忙しく一日が長く大変だったけど、美容師を辞めたいと思うほどではなかったですね。

(写真/美容師時代。毎年ディズニーランドと東京での買い物を楽しむ職場の慰安旅行)

(写真/大好きな職場の先輩と着付けのレッスンに)
―現在働くNPOに入ったきっかけを教えてください。
長岡 一人目を妊娠したタイミングで、美容師の仕事を辞めました。それが28歳くらいかな。その後は、専業主婦をしていました。今は子どもが三人いて、一番上の娘はしっかりしてきて良いチームメイトのように家族を支えてくれています。
長岡 今の職場に入ったのは三年前くらい前。特定非営利活動法人 YOU&ゆうというところで働いています。きっかけは北島町にある子育てサロン。今住んでいる北島町には子育てサロンがいろんなところにあります。私も子どもを連れていってママ友をつくったりしていたのですが、そのなかにおばあちゃんおじいちゃんがやっているサロンがあり、そこが、今働いているNPOの代表がやっているところでした。ちょうど北島に子ども食堂をつくろうという話があって、キッチンで料理ができるリーダーを探していたところ、代表に「やってくれへん?」と声をかけてもらいました。一番下の子が幼稚園に上がったら預かり保育ができるようになるので、その時点でそろそろパートに出たいという話をしていたんです。「それだったらうちに来ん?」と誘ってもらいました。
長岡 基本的には、訪問ヘルパーを派遣しているNPO。加えて町から委託を受けて地域づくりとしていろんな居場所をつくって地域のニーズを拾い上げています。その一環で子育てのサロンも運営。NPOは一個のことをしているだけでは回らない。いろんなことをしてほしいと言われて、まずヘルパー業務をすることに。それで県の生活支援従事者の資格を取りにいくことから始めました。実務を始めて三年経つので、この冬に国家試験に挑んで介護福祉士の資格を取得したいと思っています。実務経験を積まないと国家試験を受けられないのです。美容師の時と畑が全然違いますが、今はこの仕事は天職だと思います。訪問介護をしているとやはりいろんな家があって、いわゆるゴミ屋敷みたいなのも。そういう家ほど何とかしたい!と使命感を覚えるのです。一日に訪問できる時間が決まっているなかで、ご飯をつくってそうじをして洗濯をして、といろいろな用事がある方が、これをどうこなしていこうと思い、楽しい。ただ、対人間なのでその点は少し大変ですね。今まで仲良くしていたのに、ふとした時に性格が変わってトラブルになったりすることもあります。ヘルパーと業者を繋ぐような仕事もしており、すべてが人相手なので、そういった面では思い通りにならないところがあり苦戦しています。今のところは国家試験に合格することが目標かな。

(写真/YOU&ゆうで働き始めて三年。今は資格取得に向けて頑張っています。)
―今、神山のことをどう見ていますか?
長岡 北島に住み始めたのは結婚してからですが、美容師時代から徳島市で一人暮らしをしていました。神山からは離れましたが、月一くらい帰っていましたし、子どもできてからも何カ月かに一回帰っていました。何もしたくないお母さん全部して!って感じの時(笑)。神山は、小洒落てきたなぁ、私が小さい時にこんなんだったら良かったなぁと思って見ています。新しいお店に行ったりすることも。この町の変化はポジティブに受け止めています。多分、神山の人だけだと過疎化していくだけだと思うので、人が入ってきて住みやすくなれば良いなぁと思いますね。
インタビュー・文:大南真理子
質問!まちの外で暮らす先輩にあれこれ聞いてみよう!(中学生)
Q:仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?
長岡 利用者さんから「元気もらえる、いつもありがとう。」と声をかけてもらった時にやりがいを感じます。
Q:転職をする時に不安はありませんでしたか?
長岡 理事長とは、転職前から地域のボランティア活動を一緒にしていて、憧れの存在だったので不安はありませんでした。
Q:人と関わるうえで大切にしていることは何ですか?
長岡 相手の思いに寄り添い、価値観が違ったとしても否定しないことです。
Q:中学時代にやっていて良かったことはありますか?
長岡 寮生活ですね。
Q:中学時代で一番印象に残っていることは何ですか?
長岡 修学旅行です。
Q:神山の好きなところはどんなところですか?
長岡 空気も水もおいしくて、時間の流れがゆっくりしているところです。
Q&Aとりまとめ:中川麻畝・海老名和
編集部とりまとめ:大家孝文

やままち編集部
やままち編集部は、神山町出身の4名(大家孝文・大南真理子・中川麻畝・海老名和)からなる編集部。「遠くで暮らしていても、神山にかかわることが出来れば」という想いから、「広報かみやま」で連載「まちの外で生きてます」の連載を企画・制作しています。(2021年夏より)
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