神山町にはお正月の門松やしめ飾りなどと同時期、神棚の下に「松飾り」を飾る習慣のご家庭もあります。神山出身の人は、「どこの町でもやっている習慣じゃないの?」と当たり前に感じている風習ですが、町外から来た人は、口を揃えて「こんなの初めて!」。

神山町史上巻によると、ゴヨウマツを飾る家もあれば、ウサギカクシという植物を飾る家もあったとのこと。​家々によって様々な飾り方があるようです。常設の神棚とは別にお正月の間だけ特別に設置する「恵方棚」「お棚」と呼ばれる神棚の下に飾ります。
神領村史には30日に松飾りを準備し、6日には七草も祀って、翌1月15日に下ろす、と書かれています。

新年を寿ぐ神山の大事な風習のようですが、近年どうやら、とても珍しくなっているようです。
今はまだ多くの人の共通の記憶にあるうちに、まちのみなさんの松飾りへの想いを伺ってみました。

伺ったのは、後藤家です。言わずと知れた、前町長の後藤正和さん。
玄関先に、大きな松が飾られていました。華やか!

  1. (※本来は神棚の天井が上の梁の位置につくそうですが、写真でわかりやすくなるように、神棚の位置は普段よりも下の方へ設置していただきました。)
    飾りの中には、素人目にはクリスマスの飾り?と思われるような赤や金色の玉もありますね。でもこれはクリスマスとは全く違う、お正月飾り用の「玉飾り」だそうです。失礼しました!

 

​鯛や角樽などのピンク色の飾りや、紙に描かれた日の出などが吊り下げられています。
松は、良い枝ぶりのものを山に入って伐採してくるとのこと。
特に松ぼっくりがたくさんついている枝が、縁起物で良いそうです。

飾る向きも考える必要があって、毎年毎年、恵方に合わせているのだそう。
今年は東北東やや東です。

今回は取材のために特別に、「恵方棚」を合わせた飾り方を見せてくださいました。
恵方棚は15日に下ろし、飾っていた松は昔から、大粟山神社のどんと焼きで焼いているとのことでした。
 

  1. 以前は酒蔵に3メートルの松を飾っていたそうです。日の出や鯛の絵が書いてある短冊様のものは、なんと80年ほど前のものだとか。つい先日印刷されたような色鮮やかさ。保存用に使っておられる石鹸の箱のデザインからも当時の時代が想像できますね。

後藤さんは、お正月の思い出も語ってくださいました。

「子ども時代のお正月の記憶は、朝早く、祖父が神棚に柏手を打っていて、その音で起きていたことですね。まだ真っ暗で寒い朝に、大きな音の柏手が、家中に響くんですね。昔の人は柏手がうまかったから(笑)。

祖父は水神さん、お荒神さん、たくさんお祭りしていましたね。御幣も自分で折って、祝詞も自分であげていました。戦争も疫病もあって、それくらい神頼みということが大事な時代だったから。今年はお正月から地震もあったけれど、災害は人知を超えたものだからね。

一年の平安と無事を祈るためにも、やはり、お正月に必要な風景として、節目の大事なこととして、続けていきたいですね」

どうやって守っていけばいいでしょう?とうかがってみました。

「飾りは家々、それぞれの方法があると思うので、これが正解というものはないでしょう。それぞれ、できる範囲で。私も、祖父の見様見真似、記憶をたどりながらですが、少しでも神山町の風俗というものを残していきたいと思っています」とのことでした。

実は松飾りを飾り続けるために、最中種(最中の皮)でできた正月飾りを福島県から取り寄せておられるとのこと。その件については最後にご紹介しますね。

さて。
こちらは下分公民館。公民館入り口には、約2メートルの大きな松飾りがありました。圧巻です。

こちらは天井から竹を吊し、さらにその竹に松を吊るしています。
後藤家と同じように、鯛や瓢箪のカラフルな最中種の飾りがありますね。
壁際には、緋毛氈(ひもうせん)の上に白無垢も飾ってあって、一層、晴れがましい空間になっていました。

実はオープンから3年目、まちのリビング「鮎喰川コモン」も飾っています。
神山出身の松本さんから飾り方を教わって3回目になります。
松本さんはいつもコモンを気にかけてくださる常連さん。
この年末年始も飾りを気にかける連絡があったそうです。

  1. コモン入り口の梁に縄をかけて松を引っ張り上げて、吊るします。くくりつける、のではありません。吊るすのです。コモンスタッフれいくんが今持っているのは、公社メンバーが手作りで作った厚紙の鯛の飾り。
     

  1. 松本さんから譲り受けた伊勢海老を持ち上げる、太尾さん
     

「この飾りに、特別感がありました」というのは、コモンスタッフで町内出身の太尾めぐみさん。

「子どもの時はお雛様を飾るような感覚で特別感がありました。うちは、組み木で天井に固定した神棚の横に飾っていました。お正月には見上げると、神棚と松飾りがセットになっている風景が当たり前でした」。

さて、なぜ最近、この風習が無くなっているのでしょうか?
聞き取りしているうちに、主な理由が3つ、浮き上がってきました。

  1. ❶主に祭事を担っていたお年寄りが体が動きにくくなったため。

  2. ❷家を新築・改築して、松を吊るすための梁などのない住宅が多くなったため。

  3. ❸町内のスーパーに松飾用の飾りの販売がなくなったため。

「うちも、最近まで、飾っとったよ。でも、祖母が亡くなってからは、飾るのをやめたね。大変やから」という方もいました。

太尾さんのご実家も家をリフォーム後は、神棚はそのままでも、松を吊るすための竿縁がなくなったため、飾らなくなったとのことでした。

また、鯛などの最中種の飾りについては、毎年、年末にスーパーで新しいものを購入するご家庭が多かったのですが、10〜数年前からスーパーで手に入らなくなってしまったとのこと。「昔は家の周りの松を切って飾っとったけど、飾りが買えなくなってから、もう飾らんようになったなぁ」(町外出身・町在住約50年)と残念がる方も多くおられました。

代わりに色の美しい米原料の薄焼きお菓子「池の月」を飾るご家庭もあるとのこと。虹色の麩菓子が吊るされている光景を想像するととても風流ですね。
後藤家は、町内で手に入らなくなったため、同じような風習の残る福島県から取り寄せ、下分公民館にも分けているのだとか。

風俗は、時代時代によって変化するもの。とはいえ、特に自然と共に生きてきた神山町の文化を色濃く残す風習である松飾が、令和の子どもたちの心にも残っていきますように、と願わずにはいられませんでした。

最後に、この記事を書くにあたって、ご縁を繋いでくださった阿部さんへ心からの感謝を!


コモンの松飾は、この記事を読んだ後、急いで見にいくと、まだ見られるかもしれません。