
「行こう、鮎喰川!」〜山編〜春のまめのくぼで遊ぼう!
なんでも2025年3月31日
いよいよ2024年度最後の「行こう、鮎喰川!」。
今回は、「行こう、鮎喰川!」始まって以来、初めてとなる、おばあちゃん先達をお迎えしての開催となりました。今回みんなと行った場所は、神領谷地区にある「まめのくぼ」。
この「まめのくぼ」で子供の頃から遊んで育ったという、古庫久代さん、麻空弘美さんを先達としてお招きしました。

写真右手のお二人が今回の先達 (左)古庫久代さん(右)麻空弘美さん。麻空さんのお顔が隠れてますがごめんなさい
かつては、とっても美味しいお米が穫れる棚田が広がり、地元の人たちからは「お彼岸の頃になると、畦道が真っ赤になるくらい彼岸花が咲いていた光景が忘れられない。」というお話をよく耳にします。
しかし、時代とともに、まめのくぼの畑には人の手が入らなくなりました。そして、その大半が耕作放棄地となりました。しかし、 2019 年から城西高校神山校の生徒さんたちが、うっそうと茂っていた雑草を刈り取り、石積み改修や間伐を繰り返し、景観保全活動に努めてきました。現在では、神山の地で受け継がれてきた「神山小麦」の栽培、そして商品化を行っています。さらには、地域の方が集える場所にしようと、休憩所の設置なども進めています。
そして、今年も春がやってきて、「まめのくぼ」にもたくさんの山菜が姿を現し始めました。先達のお二人からは、「まめのくぼ」のこと、そして、食べられる山菜、その食べ方を教えていただきました。
まだ3月なのに、この日は暑いぐらいの一日。みんなで自己紹介をした後、
チームに分かれて、山菜採りの始まりです。
途中、途中で、先達に教わったり、
あゆリーダーが教えてくれたり。
更には参加してくださった保護者の方も詳しい方がいらっしゃったり。
(アザミの新芽が食べられるよ、と教えてくれました。)
参加者のお兄さんからは、子どもたちが葉っぱ笛を教えてもらう姿も。
みんなで「これはなに?」「これ、食べれそう!」「似てるけど、これは食べれんけんな」などなど、ワイワイお喋りしながら、たくさんの山菜が集められていきました。
採れた山菜を種類ごとに並べてみると、よもぎ・つくし・ノビル・カンゾウ・アザミの芽・ビワの芽・ミント・セリ・・・などなど。
元気溢れる子どもたちのチームは、竹やぶの中に分け行って、ミツバも見つけて来てくれました。
柔らかい新芽の時期。どれもこれもとっても美味しそう。
そして、採れた山菜とともに、わたしたちは水の流れの如く、山(まめのくぼ)から鮎喰川へ。
鮎喰川に降りてからは、川原での山菜クッキングの時間のスタートです。
今日のメニューは、「よもぎ団子」と「山菜天ぷら」。
よもぎ団子チームは、お団子の生地を丸め、あんこをまるめ、
大きなお鍋にちゃぽん。
浮かび上がってきたら、きなこをまぶして出来上がり!
その間にも、お母さんたちは先達から作り方のコツを教わったり。分量を聞いたり。
山菜天ぷらチームは、天ぷらが得意なお父さんと、「やりたい!」と手を挙げてくれた子供達が、それぞれ種類ごとに揚げて、さらに揚げて、またまた揚げて。
みんなが食べられるように、とたくさんの天ぷらを作ってくれました。
そして、まだ冷たい川に足をひたして過ごす子供たちもいれば、水切りをして遊ぶ子供達も。
おのおの自由に過ごしながら、
並べられた山菜料理。
おいしくて、食べる手がなかなか止まりません。
本当に美味しかった・・・。
最後は、みんなから、「今日一日どうだった?」の声を聞いてみました。
まずは参加した子供たちの声です。
「揚げ物をしたのが楽しかった!」
「木登りして、ビワの芽をいっぱいとってきたり、竹藪に行って(生えているものに)引っかかったりした。」
「ビワの新芽がホクホクだった!」
「今まではあんまり山菜の名前とか覚えてなかったけど、今日は食べられるものとか、その名前とかを覚えられた。」
「山菜おいしかったけん、また食べたいです!」
そして、あゆリーダーからは、
「山の奥までみんなで行って、楽しかったよー!」
「初めての参加だったけど、子ども達や先達と色々話しながらできて楽しかった。」
保護者の方からは、
「普段見られない、自分たちが歩いているだけでは気づかない山菜を、これは食べれるんだよとその場で教えてもらったのがすごく貴重だったのと、そしてそれをその場で食べれるこの空間が最高だな、贅沢だなと思いました。よもぎ団子の作り方も教えてもらって、一生のものにできたんじゃないかと思います。」
「先達のお母さんたちとも仲良くなれて、子供達も楽しそうで、いい会だなぁと思いました。何より、美味しいっていいですね。」
そして、最後は先達のお二人から。
「今日は若い人と一緒にできて、いっぱいエネルギーをもらいました。」
「昔から冬の間に溜まった老廃物を春に食べると毒素を出してくれる、ということで、また一年頑張ろう、と春の一番に蕗のとうを見つけて、昔はよく食べました。」
「この場所は、鮎喰川の本流やけど、左右内谷川から流れてきた川と合流しとるけん、水量が多くなるんやけどな。昔はナマズも獲れたし、うなぎも獲れたし、メダカもようけおったし、ドジョウもおったんです。魚もだいぶ少なくなりました。川の水量も減って、昔よりヨシとかアシとかがいっぱい生えて、風景が変わってしまった。昔はヨシやアシは畑に入れるために、奪い合いしながら刈っとったけど、今は刈る人もおらんようになってしもて、景観が悪くなったなぁと思います。やっぱり清流鮎喰川というだけあって、川が豊かであるといいなぁと思います。」
「杉が植えられて、保水力がないせいか、雨が降ったら大水が出る代わりに、あくる日かその次の日にはサッと水が引く。杉を切って雑木を植えたら良いと思う。山の上の方では、『ようけお水がないけん』って、今は、下(しも)に降りて来る人がいっぱいおる。昔はいっぱい山の上で暮らしていた。暮らし続けられるためには、水が一番の条件。私の家にあった泉(湧水)もだいぶ水が枯れしまった。昔は溢れるくらいお水が出よったんやけどな」
私たちが現在活動している鮨喰川の流れも、この神山の山、そして「まめのくぼ」のような地域からの水が、一滴一滴と湧き出て流れているからこそです。
この地で根づいた自然の恵みを大切にしながら、山と川がどういう関係にあるのか、子ども達が感じてくれる時がくるといいなぁと思って、活動をしています。山が充実していればこそ、栄養豊かな水が川を流れます。その水が川の生き物たちを育み、私たちの暮らしも支えてくれています。
また次の春も、この地で子どもたちと一緒に山の恵みを分かち合い、水の源を大切に思う気持ちを大切に育てていきたいと思います。
「火が焚けて、食べれるものを探してきたら、震災には打ち勝つ。」
戦後、食べ物のない時代に育ったお二人。今では、暮らしの中に当たり前にある「水」も「食べ物」も、当たり前にあるものではなかった時代に、この地とともに生きてこられたお二人との時間は、楽しさの中に、生きる力を知り、そして養う時間となりました。
古庫久代さん、麻空弘美さん、本当にありがとうございました。
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そして、さいごに。
「行こう、鮎喰川!」の活動をスタートからともにしてきたスタッフ なむ が県外へ拠点を移すことになり、一旦この活動が最後となる1日でした。「ありがとう」の気持ちを込めて、全部 四つ葉のクローバーの花?束を贈りました。
なむ、本当にありがとう。

ikouakuigawa
まちを将来世代につなぐプロジェクトの中の施策2-7「地域の先達にまなぶ、防災教育を兼ねた「子どもの自然体験」の促進」の取り組みを紹介しています。 神山つなぐ公社(田中泰子、秋山千草、中村奈津子)を中心に、高校生・大学生スタッフが運営しています。
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