「中3の自分の選択は間違ってないよ」って胸を張って言える/あゆハウス通信Vol.27
学び2024年10月7日
夏休みのあいだ全国各地のそれぞれの実家へと帰省していた寮生たちは、全員が無事にあゆハウスへ戻り、新学期を迎えてしばらくが経ちました。
一方で8月、9月の神山には、大学や専門学校の長期休暇を利用して、遊びにきている卒寮生の姿も。(夏休みに限らず、遊びに来ている姿はちらほら見かけますが…!)川で遊んだり、スダチ収穫をしたり、稲刈りをしたり。それぞれがいろいろな場所で「ただいま」と言える関係性を育んできたことを感じさせられます。
さて、すっかり時間が空いてしまったのですが、今年の3月にあゆハウスを卒寮した生徒へのインタビューシリーズ。最終回として、沖縄県出身の大城由羅さんの声をご紹介します。
少し時間を巻き戻し、3月の卒寮式前日に聞いたお話しです。(Interview:2024年3月1日)
大城由羅さん(沖縄県出身)
神山で出会う大人の目が、キラキラして見えた。
「こういう人たちと関わっていたい!」
生まれ育った沖縄も、沖縄の自然も、そして家族のことも大好きな大城さん。そんな彼女が地元を離れ、高校生活を送る場所として選んだのは、海に囲まれた沖縄とは対照的な山の中にあるまち徳島県神山町でした。
「徳島が四国のどこにあるかもわからなかった!」という彼女は、どんな風に神山へ辿り着いたのでしょうか?
*
由羅:進路を考える時に「せっかく義務教育を卒業してお金を払って勉強しにいくんだったら、普通の勉強じゃなくて自分の好きなことを勉強したいな」って思ってたんです。それで、わたしは子どもの頃から動物や自然が好きだったから、行くとしたら水産高校か農業高校かなって。
はじめは沖縄の高校を見ていたんですけど、ある時にネットを見ていたら「地域みらい留学」っていうのがポンっと出てきて。「おもしろそう!」って調べてみたら、北海道から沖縄の高校までいろんな学校で県外生の募集があるってことを知って。もともと留学も気になっていたから「いいな」って興味が湧いて、そこから農業系を中心に自分の興味関心のキーワードに当てはまる学校を探し始めました。
全国の高校を本当に一つ一つ見ていったんですけど、その中で「ここ気になる!」って思ったのが、城西高校神山校とあゆハウスでした。入学を検討している人を対象にしたプログラム(=地域留学体験2days)があるらしいから、「行きたい!」ってお母さんを説得して。
それで実際に神山町へ来た時、直感的に「ここで高校生活を過ごすかもしれない」って強く思ったんです。当時は、なんでそんな風に思ったのかはわからなかったけど、今振り返ってみると多分、神山を案内してくれた人とか、訪れたお店の人とか、出会う大人の目がキラキラしているように見えて。エネルギーを感じたり、「楽しいよ」って雰囲気が伝わってきて、「ゆらもこうなりたい!」「こういう人たちと関わりたい!」って気持ちになったんだと思います。
育った環境も、考え方も、常識もなにもかもが違う
寮での暮らしのむずかしさと向き合って…
新しい環境での暮らしに「全然緊張しなかった!」という大城さん。むしろ、「これから何が起こるんだろう!」とワクワクした気持ちで神山での暮らしをスタートしたそう。面白い先輩がいて、個性豊かな同級生とともに送る新生活は、「想像を超えてたのしい日々だった」ようです。
一方で、十数名が共同で暮らしていると、ささいなことから大きなことまで、ちょっとした不満や、すれ違い、衝突なんかも避けては通れません。そんな時、あゆハウスで大事にしているのは、できる限り話し合うこと。
話し合いをして、当事者同士が気持ちよくその場にいられる状況を作ることは、大人になっても難しいことだと感じます。それは10代の彼らも同様で、悩んだり、失敗をしたり、たくさんの試行錯誤がありました。
*
由羅:寮っていろいろな県から、いろいろなバックグラウンドを持った子たちが集まるところで、本当に全員が全員、違うんです。育った環境も違うし、考え方も、今まで住んでいた家の常識も全然違うから、めっちゃ面白くて。
その分、大変なこともすごく多かったし、自分の当たり前が他の人にとっては当たり前じゃなかったり、自分にとっての正義が、他の人にとっても正しいことだとは限らないって感じることもありました。
例えば、話し合いをする場面で自分の意見をあまり言わない子がいて。少人数で話している時は「あれが気になる」「これがいやだ」ってことを口にしていたから、「なんで(全体で)言わないんだろう?」ってゆらは疑問に思っていて。それで「じゃあ、この子が言いたいことをゆらが全部言おう」って、勝手に代弁していた時期があったんです。
でもそれって、その子自身が「全体の場では言わない」って決めて言わなかったかもしれないのに、それを考えず勝手にペラペラ喋ってしまっていた。自分が良かれと思ってしたことで、意見が言えなかった子たちのことを逆に追い詰めていた部分もあったかもなって。
その後、全員が集まる全体会議では「グループで話す時間を持ってみよう」って話になって、実際に取り入れてみました。そしたら、全員の前では話すのが苦手な子でも、グループの意見として自分の考えを言えるようになったりして、全体会議の雰囲気もすごくよくなって。やり方を変えてみたらよかったんだって気づきました。
そんな風に上手くいかなかったり、「もっとこうすれば良かったな」って悔しくなることは、寮生活の中でたくさんありました。でも、それをバネにじゃないけど、次に誰かが自分と同じように悩んでいたら「自分はこうだったよ」って伝えられる側になれる。それは良かったかなって思います。
しんどい時でも、そこに行けば心が落ち着く。
まちの中にできた自分の居場所
地元で暮らしていた時は、学校の先生か家族くらいだった大人との関わり。でも、神山で暮らし始めてみると、寮のハウスマスターや食育スタッフから始まり、その周囲にいる人たちへ、じわじわと出会いが広がっていきました。年齢層もさまざま。ちょっと年上の人もいれば、おじいちゃん、おばあちゃん世代の人も。
大城さんは、神山でどんな出会いを経験したのでしょうか?出会いが広がる中で感じていたことや、過ごしてきた時間について聞かせてもらいました
*
由羅:神山に来たらいろいろな町の大人たちが関わってくれようとして、それが嬉しくて、新鮮で。良かったんだけど、その分「全員から好かれないと」って勝手に思ってしまう自分がいて、「期待に応えなきゃ」とか考えすぎて、体調を崩す時期もありました。自分で自分を押しつぶしてしまったりもしてたのかなって思います。
今もその考えが丸々変わったかと言われたらそんなことはないけど、もう少し楽に考えられるようになったかな。よく覚えているのが、1年生の後半ごろに職場体験があって、わたしは自分から希望して豆ちよさん(豆ちよ焙煎所)に2日間体験に行ったんです。
店主の孝子さんと仕事をしながらお話ししたり、インタビューさせてもらう中で「自分が楽しかったり、心身ともに健康じゃないと相手の人に楽しいを届けたり、ポジティブな感情を与えることができないってことに気づいた」って話を聞いて、「確かに」って。納得というか、そうだよなってすごい共感する部分があって。何気なく話してくれたことかもしれないけど、そこから少しずつ考え方が変わっていったというか。ゆらの中にはその言葉が深く残っています。
振り返ってみると、1年生の頃は、まだ心に余裕がなくてあんまり地域の人と関わる機会がありませんでした。変わったのは、2年生になる前の春休みかな。あゆハウスがまだ閉寮している期間に、実家から神山へ帰ってきちゃって。泊まる場所がないことを身近な大人に相談したら「岩丸さん家*はどう?」って紹介してもらって、泊まることになって。
そこで初めてってくらい、地域の人とたくさん話せたんです。岩丸さん家で暮らしている年上の方とか、近所に住んでる方とか、いろんな人がいたんですけど、みんなたくさん話を聞いてくれて、すごく愛を持って接してくれて。沖縄から来たただの高校生を、寮生の一人としてじゃなくて、何のフィルターもかけずにゆらという存在として接してくれたのが感じられて。すごく嬉しかったです。
*岩丸さん家…神山塾をはじめさまざまな形で神山へ訪れた人たちを温かく迎え入れている"岩丸さん"のお家のこと。人が入れ替わりながら常時3〜4名ほどが下宿しており、下宿生たちの神山の実家のような場所にもなっている。
あともう一つ、2年生の始めに「ショートステイ」っていう、1日だけ町内のいろんな人の家に寮生がバラバラで泊まらせてもらうっていう機会があって。その時に、上分に住むご夫婦の家にお邪魔させてもらったんです。それまで面識がなかった人たちだったけど、その時の滞在がすごく居心地良かったんです。
わたしはあゆハウスも、神山も、すごく大好きだけど、たまにちょっと苦しくなることがあって。自分の意思で選んでこの町に来ているんだけど、地域の人と話していて「ゆらは何がしたいの?」って聞かれると、何かをしてないといけない感じがしてプレッシャーに感じちゃう時があるんです。
でも、上分の人たちが集まっている場に行くと、そういう期待とかなく普通に迎え入れてもらえて。一緒にごはんを食べて、おしゃべりして、笑って。散歩していたら「ゆらちゃん」って声をかけて手を振ってくれる人がいて。そんな風に関わってくれる人たちがいる場所は心の拠り所でした。しんどい時でも、そこに行けば心が落ち着くというか。何回も行ってるんだけど「ゆらちゃんが来てくれるの、本当によかったわ」って言ってくれて、その言葉に涙が出そうなくらい嬉しくて。
そういう場所ができたとか、あゆハウスもそうだし、岩丸さん家もそうだし、この町の全てからいっぱい愛をもらって、たくさん笑って、毎日ワクワクしながら過ごせたのは自分にとって超良かったことです。神山に来て本当に良かったなって。全然言葉でうまく言い表せなくてちょっと困ってるんだけど。(笑)
*
学校やあゆハウスという範囲にとどまらず、自分の興味や関心に素直に徳島の伝統芸能である人形浄瑠璃に挑戦したり、「石積みや海外の農業について知りたい!」とイタリア留学も経験した大城さん。きっと中学生の頃には想像もしていなかった時間が、この3年間の中にぎゅっと詰まっていただろうなと思います。
そんな彼女に最後に一つ、質問してみました。
3年前のゆらが今、目の前にいたら、どんな言葉をかける?
由羅:あなたの選択は間違ってないですよって。胸を張って言える。「ここが通っていた場所で、住んでいた寮だよ」って、「大好きなところです」ってどこにいっても紹介できる。「中3の自分は本当に見る目あるな」ってつくづく思いますね。(笑)
まちの中には大事な場所がたくさんできたし、きっとゆらの中から神山とか、あゆハウスの存在が無くなることはないです。ただ、卒業して神山を離れて、神山での日々が当たり前じゃ無くなることはやっぱりすごく寂しい。
でもその分、新しい場所で自分がより成長した姿を、神山へ帰ってきた時に見せられるのは楽しみです。
(インタビュー・執筆/畔永由希乃)
2023年度卒寮生インタビュー
>鶴田にこ 編
憧れていたキラキラJKとは違うけど、それ以上にキラキラした生活が待っていた/あゆハウス通信Vol.25
https://www.in-kamiyama.jp/diary/80874/
>大東伊織 編
ここには、どんな自分でも受け止めてくれる人たちがいる/あゆハウス通信Vol.26
https://www.in-kamiyama.jp/diary/81983/
あゆハウス (ayuhouse.yoriinishi@gmail.com)
城西高校神山校の寮は、鮎喰川の「あゆ」をとって、「あゆハウス」と呼ばれています。 「あゆハウス通信」では、あゆハウスで暮らす高校生・ハウスマスターが日々の活動を定期的に発信しています。 「地域で学び、地域と育つ」をコンセプトに、神山でさまざまなことにチャレンジする私たちを温かく見守っていただけたら嬉しいです。
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コメント一覧
どんな時でも前向きに一生懸命に生きる大城さんが素敵です。だからこそ素敵な出会いと場所が広がって結びついたのでしょう。人の成長は人との関わり、出会いしかありません。 あゆハウスも神山も行ってみたくなりました。そんな出会いは中々できない事です。そして何より、大城さんの今後を応援したくなりました。頑張ってほしいですね 素敵な内容に出会い幸運でした ありがとうございます
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