特集

Vol.01

Why are you here?
ほかの国から、神山に

「神山には外国人が多い」と言うけれど、
彼らはどこから来たんだろう?
このまちでなにを思い、暮らしている?

第1話

マヌス・スウィーニー / From Ireland

2020年2月25日 公開

マヌス(Manus Sweeney)はパートナーの あべさやかさんや仲間等と、小さな山の麓で、小さな醸造所「KAMIYAMA BEER」*1 を営んでいる。オープンは2018年の夏。オランダから移ってきたのはその5年前。人がよく集う、楽しい場所です。

ビールに近い。ナノブルワリーを始めた

どこから来て、いまなにをしてる?

マヌス出身はアイルランド。ここに来る前は、オランダに15年いた。日本には何度か来たことがあったけど、観光以外で訪れたのは、神山が初めて。2013年ですね。さやか(彼のパートナー)が神山アーティスト・イン・レジデンス(KAIR)*2 の作家として滞在したとき、一緒に来て。

で、彼女と話して、2016年にオランダから引っ越してきて。

昨年(2018)から小さなブルワリー/ビール醸造所を始めた。この土地に根ざしたブルワリーにしたい。「地域の中で経済が循環する」ことを目指しているので、ここでつくって、ここで暮らしている人や、来た人に飲んで欲しい。外への販売はその次です。

オープンしていま10ヶ月くらい(本記事の公開日/2020年2月から数えると約21ヶ月)。手応えは?

マヌス大変だけど満足している。全部一人では出来ないので、家族経営的。分担のバランスを探しているところです。

醸造はほぼ自分一人でやっていて、仕事量は多いけど、まあいちばん楽しいところ。「品質」「よいプロセス」「よいリズム」を見つけ出さないといけない。大きな挑戦だけど、試行錯誤しながらやってゆけるのは楽しいし、なにより、ストレスなく出来ている。

ここのビールの特徴は?

マヌス世界中のブルワー(醸造職人)が、「どんな材料を組み合わせてどんなビールが出来るか」すごく研究していて、いろんな特徴を持つビールが既にたくさんある。その中でユニークな存在になろうとは考えていない。
それより「美味しい」ビール。自分が「飲みたい」と思うビールを、地域の自然な材料でつくりたいと思うようになった。

戦略的なビジネスプランがあるわけでもなくて、単純に「KAMIYAMA BEER」を「楽しい場所」にしたいと思っている。ビール以外の僕らのバックグランドも活かして、いろんな人が楽しめる場所にしたい。

ナノブルワリー(nanobrewery/マイクロブルワリーより、さらに小さな醸造所)の良さを教えてもらえませんか?

マヌス仕事から得る利益と、働く楽しみのバランスを探しやすいと思う。

醸造所の多くは売れ始めると生産量を増やすことが多いけど、必ずしもそれが成功だと思っていない。生産量を増やすことは、むしろ働くこと自体の喜びや生活の豊かさとのバランスを、取りにくくするよね。

「人を雇わずに出来る」、ということでもある?

マヌスうん。いまは僕とさやかと、もう1人の、3人でやっていて、あとたまに手伝ってくれる人がいる。そんな規模感でやれる。

生産量が少ないのでビールの鮮度も保たれる。ほかの販売店も身近なので、ほったらかしになって、美味しくなくなってしまうような事態も回避できる。

大量につくっていると、ビールから離れてしまってなにをしているのか分からなくなると思う。でもここの分量くらいなら、なんて言うか…ビールに近い(笑)。つくっているものに自分の目が届いている感覚を持てる。あと1.5倍くらいまでは、そんなふうに出来るんじゃないかな。

田舎なのにいろんなことが起こっていて、人も増えているのが魅力的で

言葉も通じない国の知らない土地に来て、こんなプロジェクトを始めている。どんな出会いがあったんだろう?って、読む人は思うんじゃないかな。

マヌスミステリーですね(笑)。ちゃんと話すと2時間くらいかかってしまう。いまだに僕自身が、「なぜここにブルワリーがあるのかわからない」と思うくらい、魔法のような感じで。

ポイントはいろんな人との出会い。その1人は森さん。彼は隣りにあるキャンプ場(コットンフィールド)のオーナーで、KAIRの名誉実行委員でもあり、初めて神山に来たときからすごく親しくしてくれている人です。

ブルワリーの建設現場。右奥が森さん。 https://www.in-kamiyama.jp/diary/31006/

森さんはこの土地の持ち主で、「始めたい」と思っていた僕に「ここでやってみない?」と提案してくれた。

彼には建設のノウハウもあって、そのつながりで窓屋さんや大工さんも来てくれて。設計はオランダの友人が描いてくれたけど、森さんがそれを大工さんたちに訳してくれた。
本当にオープンマインドな人で、大工さんが「いやこれは…」と言うようなことも、「面白いね!」「どうすれば出来るかな」と伝え直してくれて。

ちょうど酒税法も変わるタイミングで実現不可能に近いプロジェクトだったけど、彼はチャレンジを楽しんでくれた。僕らを信頼して、「一緒にやりたい」と舟に乗ってくれた。

そもそも2人は、どんな経緯で神山に移り住んできたの?

マヌスパートナーのさやか(あべさやか)が2013年の神山アーティスト・イン・レジデンスに作家として招待されて、「家族も一緒に来ますか?」と訊かれたんです。

KAIR 2013 Photo: Keizo Konishi

そのときは、「行っても日本の田舎でなにするのかな…」という感じであまり興味がなかったけど、彼女が作品を制作していた3ヶ月間、僕も神山にいて。

そのときはまだ訪問者だよね。「住む」ようになったのは?

マヌス3ヶ月のレジデンスの滞在期間が終わって、アムステルダムに戻って。いろんな人に「神山どうだった?」と訊かれて。話しているうちに「次、いつ戻ろうか?」と考えるようになっていって(笑)。

で、3〜4ヶ月後に Bed & Studio(アーティスト本人が宿泊費やアトリエ使用料を負担して滞在するプログラム )*3 で、また二人で神山に戻ってきた。そんなふうに行き来しているうち、だんだん、頭のどこかで「神山に移り住む」「暮らしの拠点を変える」ことを考えるようになっていって。

向こうの友だちには神山のことをどう話していた?

マヌス僕らはもうハマって「神山すごくいい!」という感じだったけど、知らない人にここを説明するのは難しくて。
「家に帰ると野菜が置いてあるんだ」とか、「道の駅で地域の季節の野菜が手に入るんだよ」とか。アーティスト・イン・レジデンスの様子や、地元の人々とそのプログラムの関係性。サポートのすごさ。そんな話をしていたと思う。

「移り住んでみよう」とまで思ったのは、この地域のコミュニティとバランスの良さだな。田舎なのにいろんなことが起こっていて、人も増えているのが魅力的で。
ちょうど自分も、地産地消とか、地域内経済循環とか、オランダで暮らしながら興味を持ち始めていたし。

アムステルダムではどんな仕事を?

マヌス2008年から、フリーランスで映像の撮影と編集を。

もういいの?

マヌスその前は会社勤めで営業の仕事をしていた。映像はそこを離れて、個人として独立する、自分の生業をつくる大事な手段で。楽しんでいたし情熱も注いでいた。けど、自宅のキッチンで趣味でやっていたビールづくりも楽しくて。ずっとつづけていく仕事としてどちらか選ぶとしたら、ビールだなと。

このまちで赤ちゃんが生まれたんだよね。

マヌスはい。6ヶ月前(2018年秋)。

娘さんにはどんなふうに育って欲しい?

マヌス自由な精神。親は誰でも「幸せで。健康で」と言うよね。もちろんそうだけど、僕は「オープンマインドで、自由に自分を表現できる」子に育って欲しい。なにを選択するにしても。

マヌス自身は?

マヌス同じ。楽しみを基本にして生きてゆきたい、と思っている。(笑)


マヌスのパートナー、あべさやかさんの話も聞いてみたい。彼女はアーティストで、「KAMIYAMA BEER」のラベルや、建物の壁画も手がけている。

Photo: Yoshiaki Nishimura

さやか私の生まれは三重県。いまはマヌスとブルワリーをしたり。仲間とKamiyama Makerspace *4 を運営して、そこで高校生にモノづくりを教えたり。新しいプロジェクトを考えたり。絵を描いたり。一人の活動と、まちの人と一緒にやっていることが、いろいろオーバーラップしています。

神山との出会いは?

さやか6年前のKAIRです(2013)。面白かった。あっという間に時間がすぎたというか。いろんな人とかかわり合って一緒に作品をつくったし、そうしていたかったので、観光地らしい観光地に行く暇もなくて。

マヌスとの出会いは?

さやか古いんです。KAIRのさらに7年前くらい。私はアムステルダムで暮らしていて、友だちの友だちの友だちとご飯を食べたときに出会って。「すごく面白いな。いい人だな」と思ったけど、彼には1年ほどアジアへ旅に出る計画があって。出会ったけど、いなくなっちゃった。

それで半年後くらい、彼がベトナムにいるときに合流して。私は一度オランダに戻って。また日本にいるときにちょっと一緒に旅行して。

その頃のさやかさんはオランダに渡って…。

さやかちょうど2年経った頃。東京の美術大学を卒業して、でも地元には戻りたくなくて。「東京かもっと遠くへ」と思い、ヨーロッパの美術学校を見に行ったんです。違う社会を感じたかったし、アートがどんなふうか知りたかった。なら、学生として行くのが手っ取り早いなと思って。

他の国も訪ねたけどオランダに決めたのは、人がオープンかつ批評的なんですね。「これはだめ」「意味がわからない」と単刀直入に言ってくれるので、「勉強するならここだな」と思って。

Photo: Ayako Nishibori

神山に来てからも、いろんなオランダ人に出会ってきたんです。2013年のKAIRで同時に滞在していたのはニック(Nik Christensen)で。後からヴィッケ(Wytske van Keulen)に会い。他の作家とも、アムステルダムの家がすごく近かったり。
オランダ人のコミュニティがなぜか神山で広がって。学生の頃は見えていなかったオランダの複雑な部分も見えてきて、いまの印象は最初とは違う。

神山でビールをつくっているマヌスを、どんなふうに思っている?

さやか「やるじゃん」って(笑)。彼はわりとシャイで内向的で、どんどん表に出て行くキャラでもないのだけど、神山に来るようになってから、少しづつ変化があって。いろんな人と会ったり話すのはもともと好きだけど、日本にいるとき、私を通さなくても、いろんな人とコミュニケーションをとるようになっていって。

向こうに戻っても、「あのひとどうしてるかな」「このひと元気にしてるかな」と思い浮かべて語り合う人が増えたり。マヌス自身が会いに行くようになって。アムステルダム以外の、2人が別々に独立して成り立つ場所に、神山はなっている。飛躍的なのはここ2年間くらい。私の後ろにいる通訳の必要なマヌスじゃなくて、地域の人たちがちゃんと「マヌスさん」という人物として接してくれている。

それは多分このブルワリーが出来て、彼自身がライフワークと言っていいくらいやり甲斐をもって仕事を楽しんでいて、それで人と成りが見えてきたというのもあると思うけど。

そういうのをひっくるめて「やるじゃん」と思う。
私もマヌスも、外国人だとか遠い存在でなく、1人の人間として存在出来ているからすごくいいな、と感じている。

LINK
*1 KAMIYAMA BEER(イン神山/日記帳)
*2 神山アーティスト・イン・レジデンス(KAIR)
*3 KAIR/Bed & Studio
*4 Kamiyama Makerspace

Interview:2019年4月15日

文:西村佳哲、撮影:生津勝隆
制作協力:真鍋美枝、工藤桂子、藤本 彩
企画・制作:神山つなぐ公社