Vol.01
Why are you here?
ほかの国から、神山に
「神山には外国人が多い」と言うけれど、
彼らはどこから来たんだろう?
このまちでなにを思い、暮らしている?
第2話
ルーファス・ウォード / From England
2020年3月2日 公開
ルーファス(Rufus Ward)は、徳島市の中学校で英語を教えながら、パートナーの糸井恵理さんと7歳の息子さんの3人で暮らしている。いつも穏やかで、静かに深く考えている人(そう見える)。みんなからは「ルーさん」と呼ばれている。
徳島市の中学校で、ALTの講師をしている
出身は?
ルーファス北イングランド。湖水地方の下のランカスターから来た。いまはALTの仕事をしている。
「ALT」って?
ルーファス英語の授業の先生のサポート。ネイティブの発音で生徒と話したり、生の英語に触れる体験をつくる。(ALT:外国語指導助手/Assistant Language Teacher)
その仕事を始めて、いまちょうど1週間(笑)。これまでは徳島市の英会話教室で働いていた。そこではレッスンの組み立てを全部自分一人でしていたけど、ALTの仕事では、日本人の先生とチームで。クラスの子どもは38人です。
神山の学校?
ルーファスだとよかったけど、神山町はALT講師を「JETプログラム」*1 で招いていて、応募できるのは〝いま外国に住んでいる人〟なんです。
今回はその中学校でALTをしていた友人が辞めることになり、「とてもいい職場だから」と薦めてくれた。運がよかった。
この最初の1週間は大変で、ちょっと疲れている。「はじめまして」と300回くらい言った(笑)。
でも子どもたちはみんないい子。英会話教室に来ている子と雰囲気が違う。学校にいる彼らは「第二の家」のような感じで、みんなリラックスしている。給食の時間に僕を呼んでくれて、小さい机に一緒に座って。小さなトレーにご飯とおかずと文旦(果物)と牛乳がのっていて。みんなたくさん質問してくれたし、僕に触って嬉しそうだった。(笑)
大人はもっと子どもと一緒に働いたり、子どものいる場で活動した方がいいと思う。子どもがどう考えて、どんなふうに行動しているか。
なんて言ったって継いでいくのはこの子たちで、その彼らを、一人の人間としてよく見る機会は大事だと、さっきも思っていた。それぞれの個性を見ていると夢中になる。
あなた自身はどんな子どもでした?
ルーファス静かで、恥ずかしがり屋なタイプで、教室で笑われることもあった。学校に通う時代が終わってホッとしている(笑)。けど日本の学校では、自分みたいな子がもっと受け入れられやすい気がします。
「仕事」と「子ども」と「家」が揃った1週間
ルーファス引っ越しの半年前、2009年の秋。ちょうど神山アーティスト・イン・レジデンス(KAIR)*2 の展覧会がひらかれているときに初めて遊びに来た。で、「ここに来てみようか」と恵理と話し、次の年に引っ越して来たんです。
イギリスではエジンバラで暮らしていた。僕はデザインとプリンティングの仕事。恵理は自宅で絵を描いていました。
その生活は楽しくて、暖炉のある眺めのいいアパートに住んでたし、仕事も好きだったし、恵理も幸せだったと思う。いろんな場所でアートの展覧会があって、二人で出かけて、面白い人にもたくさん出会った。
そのまま高い家賃を払いつづけるより、いっそ買いたいと思ったけど、イギリスは家の値段が高い。田舎へ行くほど高くなるんです。「ローンに縛られるのも嫌だしなあ」と他の可能性を探るようになった。もともと日本の文化は好きで、興味があって。
そうなんだ。
ルーファス17歳のとき一度、一人で日本に来たんです。20年前だ。バイトで貯めたお金を使って11日間。文化も違うし、言葉もわからなくて、ご飯を食べるのにも苦労した。同じような観光客にまったく会うことがなくて、別の世界に迷い込んだような不思議な気持ちで。
けどその旅で自分の中のなにかが変わった。それまで学校が辛くて、閉じていた世界がバン!と開いたのかな。いろんな経験がワーッと流れ込んできて。「本当に異国に来たなあ」って。
エジンバラに話を戻すと、それで新しい場所を探し始めて。自分たちの制作スペースも欲しいし、アートに関わることもしていたい。そんなとき、たまたまイン神山のウェブサイトを見つけて。
読むと、アーティスト・イン・レジデンスもやっているし、当時郁子さんの家(カフェ・オニヴァに改装された旧酒屋)の物件情報も出ていて。「面白そう!」「行ってみよう」って。衝動的に。
翌年には本当に引っ越して、暮らし始めて。どうでした?
ルーファスあの頃はまだ子どもがいなくて。最初の1年は、町の古い教職員住宅に住んでいました。
自分は仕事がなかったし、探すことも出来なかった。だからボランティアとして「森づくり」*3 に行ったり。季節ごとの梅、スダチ、ゆこう、柚子の収穫とか。いろんなところに手伝いに行って、いろんな人と出会って、たくさんのことを教えてもらった。それはそれでよかった。
時間はあったから、自転車とスーパーカブで神山の道という道を、一人で探索したり。地図を見ながら昔の歩道を登ったり。豊かな時間だった。町内を点々と引っ越して、神山を見ることが出来てよかった。
けど、恵理はそんなに幸せじゃなかったと思う。家は仮住まいだし。来る前に思い描いていたのとは違って。「ここでなにしてるんだろう」「なんでここにいるんだろう」って、二人とも思っていた。
それであらためて仕事を探し始めたら、英語を教える仕事が京都で見つかったんです。「じゃあ引っ越そうか」と神山を出ようとしていた。その頃は教職員住宅を出て大きないい家を借りていたけど、落ち着いていなかった。
でもちょうどそこから1週間のうちに、徳島で仕事が見つかって、恵理に子どもが出来たのがわかって、売ってもらえる家が見つかって。これはきっと「神山に残れ」ということだなと。
運命を生きている
日本語が話せないから、日常的な話し相手が恵理さん一人になってしまうのは辛くなかった?
ルーファス僕は考え事が好きだし、お喋りでもないので、苦痛ではなかった。イギリスの家族とも Skype で話せるし、海外からここに来ているアーティストともいろんな話が出来るし。それこそ最初の1年は、コミュニケーション出来ないことさえ楽しかったから。
でも、いまは恥ずかしい。ちゃんと日本語を喋りたい。「何年いるの?」と訊かれるのが苦痛で(笑)。
恵理神山に越して来た頃、私たちはめちゃくちゃ自己紹介を求められたんです。飲み会とか、人が集まるときにはしょっちゅう声をかけてもらえて。行くと「ほなスピーチ」みたいな。
自分たちでもよく分かってない「どうして来たんですか」とか、「あなたたちは誰ですか」みたいなことを、みんなの前で話さないといけなくて。(笑)
ルーファスは人前に立てる人じゃなかったんですよ。イギリスにいるときからレストランで食べるのも嫌だし、スーパーに行くのも嫌だし。本当に「森の中で一人」というタイプだったから、ニコライさん(好奇心の強い神山の先輩方の一人)*4 たちの質問攻めで、もうショック療法っていうんですか。
「やりたくないけどやろう」「やらなきゃだめだ」と、二人で言いながらやってきたのが功を奏した。キャパシティが広がった。
ここに来てずいぶん変わったんだね。
ルーファスうん。「甘やかされた子どもたち」のような暮らしをしていたけど、だんだん大人になってきたと思う。
あるとき、仕事も子どもも家も、バッと手元に来て。
ルーファス僕はスピリチュアルなことには関心がないけど、神山に来てから不思議とそういうのを感じるようになった。運命を生きているんだな、と思う。
故郷は「両親がいる」ところ
いまのあなたにとって、故郷はどんなところ?
ルーファス両親が住む土地。僕はランカスターと自分の間に、あまりつながりを感じていない。でも父親はあのまちとすごくつながっている。彼は、ランカスターの大事な一部分になっていると思う。
父はお城のたもとの珈琲焙煎所で働きながら、彫刻やカリグラフィーの制作をしてきました。その城が刑務所に使われていた頃は、中の人たちに教えに行ったり。
いまは城の一角をスタジオとして借りて、地域のための彫刻をつくったり、カリグラフィーや石の彫刻の教室を開いている。
ランカスターにすごく根ざしていて、帰るといつも、「ああ。アランの息子さん」と声をかけられて。
嬉しそう。(笑)
ルーファス父さんをすごく誇りに思っている。生まれ育ったまちだけど、想いを馳せる理由は「両親がいる」こと以外にはないなあ。
実は、高校生の頃はフォレスター(森林官)になりたかった。けど美術の先生から「本当に?」「美術の才能もあるよ」「ちょっと遅いけど、なんとか滑り込ませてあげるから」と言われて。そこで美術を選んだんです。いま神山にいると、フォレスターの勉強をしていたらよかったなとも思う。(笑)
クリエイティブな人間になれば
ここでの暮らしをどう感じている?
ルーファスいちばん「いいな」と思うのは、息子が楽しそうにしてること。自然がすぐ前にあって、友達とも仲が良くて、すごく心地よさそうに暮らしている。
あといま週に4日働いているけど、残りの数日で家の中を改装して、好きなことをしたり。自分たちの人生にまたアートに関するなにかを持ってきて、活動出来る希望が見えてきた。なんだかんだ大変だったけど、いまは心地いいなと。
息子さんにはどう育って欲しい?
ルーファスどんなふうになってもいいけど、僕らとしてはいろんな選択肢をあげたい。彼自身が自分で決めて、自分をつくってゆくことが大事だと思っている。
イギリスの出身だから、向こうに家族も友人もいるし、神山にはいろんな国の作家が来て、中には家族連れで滞在するアーティストもいる。彼は英語も話せるので、これから訪ねられる場所が世界各地にある人生になっていると思う。
クリエイティブな人間になれば、どんなことが起きてもやっていける。病気でも貧乏でも、気持ちが沈むときがあっても、そういう人間なら這い上がってこれるんじゃないかな。
クリエイティブになって欲しい。そう思っています。
ルーファスのパートナーは糸井恵理さん。いまはNPOグリーンバレーで、KAIRの仕事に携わっている。神山の自宅の一角で「イトイアーッ」*5 というプライベートギャラリーも運営。針仕事も得意。
神山を見つけたのは恵理さん。
恵理Googleで(笑)。「アート」「空き家」で検索したら、イン神山が上位にきて。開いてみたら、ニコライさんとか、グリーンバレーの元祖理事メンバーの方々がたくさん日記を上げていて。
読んでゆくとアートの要素もあり、かつ、それをアートに別段関係のなさそうな人たちが楽しそうに書いていて。「え。なにしてるの!?」と言いたくなった。ただ読んで済むサイトもあるじゃないですか。でも「えっ、えっ、ちょっと待って!?」というか、「私にも見せて見せて」という気持ちになったんです。
その頃はエジンバラで、なに一つ不自由のない幸せな生活を。
恵理そう言うと感じが悪いけど(笑)。なんていうんでしょう。私はやりたいことが出来ていて有り難かったけど、「描く」ことが「発表する」ことに常に追いついていなくて。
しんどさもあったし、近所づきあいもないというか、隣人同士でも、名前もなにもお互いを全く知らない状況が当たり前で。それでエジンバラの外に可能性を探り始めた。
インタビュー(「かみやまの娘たち」*6 )で最初にイン神山を覗いたときの印象を、「普通の人がみんなで楽しくしている」と話していましたね。
恵理自分が日本を出たきっかけにもつながるのかもしれないけど、神山の、それこそアートと関係のない、自分とまったく縁のない職種や暮らしをしている人たちが、眩しく楽しそうに見えたのがすごく新鮮だった。「そういえばそうだよね」と思ったんです。
電車で知らない街を通っても、「その景色の中で人が生活してる」実感はなかなか湧かない。知り合いでもいなければ、なんかのっぺりしていますよね。
でも、のっぺりしていたそのすべてが、神山ではすごくブツブツブツブツギャンギャンギャンギャン言ってるように見えた。魅力的に見えたのかな。
当たり前のことかもしれないけど、私には当たり前じゃなかった。自分しか見えていなかったところに、いきなり普通の人たちがなだれ込んできたというか。それが新鮮やったんやろうな。
ルーファスさんを見ていて、どんなことを思う?
恵理最初の1〜2年間は「もう好きになんかすればいい」と思っていたんです。食べてゆけるくらいの貯えは持って来ていたから、無理に働こうとかしないで、2年くらい好きにやったらええやんって。
最初は無理していたと思います。けどまあ乗り越えたかな(笑)。ルーファスには細々したディティールがよく見えるんです。人の性格も。彼は一人ひとりを見て、それぞれを「面白い」と捉えながら生活してる。だからこそ私ともいれるし、こういうふうに暮らせるのだと思う。
すごく変わっている人なのに、与えられたことをちゃんと真面目にやっている。立派な人だと思います。私よりもずっとこの環境に順応して、すごく頑張っているなって。
LINK、NOTE
*1 Japan Exchange and Teaching Programme
*2 神山アーティスト・イン・レジデンス(KAIR)
*3 森づくり:NPOグリーンバレーが1999年から重ねている山林整備の活動
*4 ニコライさん
*5 イトイアーッ(itoiarts)
*6 雛形/かみやまの娘たち vol.22「ふつうの人が面白い、このまちに馴染みたいと思った」
Interview:2019年4月19日
文:西村佳哲、撮影:生津勝隆
制作協力:真鍋美枝、工藤桂子、藤本 彩
企画・制作:神山つなぐ公社