特集

Vol.01

Why are you here?
ほかの国から、神山に

「神山には外国人が多い」と言うけれど、
彼らはどこから来たんだろう?
このまちでなにを思い、暮らしている?

第6話

大南信也、佐藤英雄 / Born in Kamiyama

2020年3月30日 公開

大南信也さんと佐藤英雄さんは30年以上前から​、「アリスの里帰り」1991、「神山町国際交流協会」1992〜、「神山アーティスト・イン・レジデンス」1999〜、「NPOグリーンバレー」2004〜などの試みを通じてまちの状況をつくってきた、キーパーソンの中の2人。神山で生まれ育った友人同士。

大南信也
1953年、徳島県神山町生まれ。米国スタンフォード大学大学院修了。帰郷後、土木系の建設会社を経営しながら、仲間たちと「住民主導のまちづくり」に取り組んできた。

佐藤英雄
1953年、徳島県神山町生まれ。佐藤金物店を経営。各家庭にプロパンガスも配達・供給しており、町内の人々の暮らしを日々見守る存在。

「アリスの里帰り」とは
20世紀前半のアメリカで、世界恐慌を背景に起きた日本人移民の排斥運動に際し、親善を図るべく各家庭から日本へ人形を贈る運動が生まれ12,379体が日本に届いた。
しかし、つづく太平洋戦争でその多くは打ち捨てられることになるが、神山の小学校のある女性教師が「人形に罪はない」と一体を戸棚の奥に隠した。

数十年後、PTAの会合で学校を訪れた大南さんが、その人形の存在に気づく。贈り主の住所の市役所に連絡を取って、本人は他界されていることが判明。神山の子どもたちとアメリカを訪れる「人形の里帰り」を起案、実現した。

この小さな国際交流の成功体験や、旅を通じて培われた関係性が、現在の神山の状況のポジティブな起点にあたるとよく言われる。

こうした道のりを一緒に歩んで来た二人に、「アリスの里帰り」のさらに前の話。この特集で触れてきた「外国人が多い」状況の源流を尋ねてみたい。

「遊びに行こう」みたいな

順番は、「アリス」「ALT(外国語指導助手/Assistant Language Teacher)」「KAIR」ですか?

大南大きな流れはそうやな。

佐藤「アリスの里帰り」して、このまま解散するのは惜しいっちゅうんで「神山町国際交流協会」をつくって。なんかしなくちゃいけないっちゅうんでALTの先生を呼んで。民泊を仕掛けて。ほれが一段落したときに「神山アーティスト・イン・レジデンス」*1 でないんかな。

大南ほやけん、もとを辿れば、1979年に僕がアメリカ留学から帰ってきて、英会話教室を始めたんや。

佐藤しよった。僕も行きよったけん。

大南なあ。岩丸さんとか来て。

大人の英会話教室?

大南そうそう。まだALTもおらんかったけん。上野さんのとこの蘭栽培の研修に、ニュージーランドから来てた男の子おったで。

佐藤マークさん。世界を周りよって日本に来て、神山に2〜3ヶ月おったんちゃう。

大南いや1年くらいおった。

佐藤「キングスイングリッシュ」を教えてもらいました(笑)。

大南僕もアメリカから帰ってきて、海外にたまには戻りたいんよな。

(笑)

大南戻りたいけど、なんか理由がいるやん。ほんで英会話の延長で「ちょっと実践せんか」って(笑)。シンガポール行って。ほれから佐藤さんたちと、毎年ゴルフ旅行でアメリカ行ったりしていて。で、1988年ぐらいに「ウィーン音楽大学」いうんが来たで。

佐藤ああ、来た。

大南多分あれが、神山の本格的な民泊の最初やな。

それはALTが始まる前?

佐藤大南前、前。

大南なんかの関係で「神山で受け入れやってほしい」って話があって。「民泊やらんか」言うて、ウィーンの学生たちが2泊3日くらいで来て。20人もおらんかったんではなかった? おった?

佐藤いや、おったと思うわ。

大南ほんでせっかく来とるけん。「小学生とか中学生にも合唱を聴かしたいな」言うて、ほんでやってくれたん。あれすんごい思い出に残ってる。音がきれいってゆうか…。

ウィーン国立音楽大学|Wikipediaより

佐藤で、僕が温泉で、その学生さんたちと初めてお見合いっちゅうか、自己紹介して。その子らを車に積んでいくとき、「どのくらい時間かかりますか?」っちゅうけん。「5 minutes」って言うたんよ。ほんなら向こうが「えっ…」て感じしよんよ。これ、間違えたなと。『ああそうか〝これからどこ行くんだ〟と訊かれたんや』とわかって。体育館やけど、体育館って英語が出てこんで。「うー」「スポーツセンター!」っちゅうたら、「おおスポーツセンターか!」いうて。ちょっと和やかになったんは忘れれんわー。

あれが実践英語の最初のところで。ほれからごっつい適当にしゃべって、まあ、きたなー。

(笑)ウィーンの方々はどんなわけでいらっしゃったのか?

佐藤どっかが呼んで、とにかく日本全国、夏休みのあいだにまわって。

大南全国まわりよったな。

国際交流の文脈はまだないですよね。なんでその話がポンっと来たんだろう。

佐藤「受け入れするところがないんで、お願いできへんで」っちゅう話だったと思うんやけんど。

大南ほうや。

こっちから仕掛けたわけじゃない。そのときの民泊受入は何軒くらい?

大南だいたい2人ずつ入れたよな。

佐藤「1人では荷が重いだろう」や言うんで。1人やったらホストファミリーと1対1になるけど、2人おったらまあ適当に2人で話していてくれるんで。

大南10数軒つくったかな。ほのときに、テレビや新聞が広野の阿部教頭先生にインタビューしよって。「こんだけようけ外国人が泊まったんは、神山で有史以来の出来事や」と答えよったでな。1人や2人でなく、まとまってほんだけの外国人が入ってきたんはあのときが初めてやな。

受け入れてくれるご家族が複数いたんですね。

佐藤頼んで断られたことは、意外とほとんどなかった。

大南〝子どもの数が多かった〟って話だと思うな。子どもの教育の中で、とくに英語は頑張って欲しい、っていう想いがみんなあるけん。受入は気苦労なけんど、子どもにとってほういう経験はええんじゃないかなって。

佐藤そんな体験はしとったんよ。公演も成功しとったけんな。ごっつい喜んどった。みんな興奮しとったもん。親、みんな寄って。

大南そうやな。

さらにその前に、自分たち用の英会話教室があり。

大南で、「遊びに行こう」みたいな。

なんか理由つくって、また海外に行きたい大南さんと、その周りの人たち。だんだん分かってきました。

大南(笑)

世界の神山。想像を直に確かめること

ひろみさん(大南さんのお姉さん)がたまに聞かせてくれる、あるとき大南さんが大勢の前で『世界の神山になる』と言って「弟の気が狂ったかと思った(笑)」っていう話は、どの辺りのタイミングですか?

大南あれは僕の姪が中学生のときやけん、30年ちょっと前。ってことはアリス(1991年)のちょっと前かな。中学校の立志式で、なんか体験談を話してくれと言われて。ほんでそういう話をしたんよな。

どういう?

大南「中学校とか小学校に、日常的に、外国人の子どもがおるような状況をつくりたいよな」って。そしたらわざわざ外に出んかっても、神山にいながら英語が勉強出来たり、外国のことを知る状況が生まれるよな。みたいな話。

中学生の前で?

大南大風呂敷を広げた。

佐藤言いよったわ。あとで「こうやって言うたらもう自分を括るようになるけん。責任を」と、「自分を追い込んだ」言いよったね。

大南自分との約束ってなかなか守れんやん。「自分には甘い」いうのはあるけん。ほやけんど公言しとったらみな覚えとるよな(笑)。それが背中を押してくれたり、自分自身の後ろ盾になるんよな。「もう宣言しとんやけん」みたいな。自分がグラグラなるんを、ある程度そこで止めるというか。

聞いていた子どもたちの手応えは?

大南手応えは…そらないよな。なにもないことを言うわけやけん。

佐藤ほんでも結構影響された子もあってな。何年も経ってから、信ちゃん(大南さん)が、あんまり知り合いでない人の婚礼に呼ばれたんよ。どうしてかなあと思ったら、立志式の講演を聞きおった子で、どうしても大南さんを式に呼んでくれと両親に言ったらしい。「ああいう大人になりたい」と感激したんやろうなあ。多分に影響はあったと思うでよ。

一方、大人たちは動揺したでしょうね。

佐藤大南 (笑)

いろいろ考えた末、その話をしたんですよね。

大南まあそうじゃわだな。僕自身はすごい恵まれて、親に無理言うて2年間アメリカで生活出来た。ほなそこから自分が帰ってきて、神山にとって当面いちばん働けることはなんだろう?と考えたら、「やっぱり国際交流やろうな」いう想いは最初からあったけん。

その延長線上で、なにか出来るところから手をつけてゆく。それが英会話になったり、仲間を連れて旅行に行くとか。そういうんが、僕にとって一つのスタートというか、とっかかりよな。

個人で出来ることから?

大南うんうん。僕よう言うけども、「手届き」っていう話なんよ。「いまなにに手が届く状態にあるんか?」って見たときに、やっぱり佐藤さんや岩丸さんとつるんでゴタゴタというんは、自分のいちばん近いとこにあったわけよな。「動かせる状態」にあるというか。一緒に動いていける状態にあるところから、少しずつ手繰りよせていく感じよな。

「アリスから始まった」とよく聞くけど、その前の流れがあるんだなあ。

大南行くまでの過程は当然あるよな。ほやけんあそこ(教室後方の壁)に、いまの方が若い岩丸さんとか写ってるけど(笑)、PTAでの関係の延長線上よな。

Photo: Yoshiaki Nishimura

佐藤岩丸潔ちゃんが先にPTAの会長になって、僕と信ちゃんが副会長になって。3人が寄る機会は多かった。英会話教室にも、潔っちゃんもみんな行きよった。
いつも話をしよったけん。いっちょ決めたら、話が進んでいくのは早いんよ。だいたい信ちゃんが話しだしたら、すぐ「ほれ面白いじゃないか」って潔っちゃんが言って。なんでもポッポポッポ出来ていく感じやったな。

その頃は30代?

佐藤アリスが38〜39歳かな。僕、初めてアメリカに連れていってもろうたのが30歳くらいで、そこから2〜3年何度か行っとるけん。ことを起こすんに準備は出来とった感じ。

「子どもたちにそんな環境が必要」ということも、強く思っていた。

大南それはあるよな。たとえば数学とか国語なら、神山の子と、徳島市内の子と、たとえば東京の子。習うにしてもほぼハンディキャップはないけど、外国人の交流となれば、神山ならほういう機会はまずないでえな。そこをつくるのは意味あることやな、っていう想いがあった。

海外の世界や人に触れること。まったく違う考え方や、文化の中で育った人間と直に接することが、自分の考え方や想いをつなぎ合わせる上で非常に意味があると僕はわかったから。ほかの子もそういう体験をせんよりはしたほうが当然いい。響かんたったら響かんかったで、それはいいわけだし。なにかのモチベーションになって、そこから人生の選択肢を増やすというか。

どれを選ぶかはそれぞれが決めたらいい。大人側に出来ることは「メニューの数を増やす」。これは絶対に必要なことやと思うんよな。

僕、小学校のときから、とにかく地図帳好きやったんよ。5年生の姉は帝国書院かなんかの持っとって、中学生の姉はもっと詳しいやつ持っとって。自分のはまだないから、姉から借りてほれをずっと手元に置いて、夜は眺めながら寝よったんよ。

で、「世界の果てって、どんなんなってんのかな?」とかいろいろ想像するわけよな。実際にそれを確かめる機会というか。自分が思い描いた仮想のものを、現地に足を踏み入れることで「ああこうやったんや」と確かめられる。

ニューヨークの人口は当時やったら800万。数字では。ほやけどそこに行って、現実に見たものって、もっと立体的でこう人がうごめいていて…みたいなんが。自分の想像を実際に1個1個確かめていくのが、僕はすごい快感なんよな。

楽しいことを、しとった結果

佐藤1ヶ月くらい前かな、上角の「かばちや」(週イチ営業のお好み焼き屋さん)にで食べていたらそこに、エイミーさん、かま屋のシェフしよる人、それからビクトリアさんが来て。ヤマちゃんもデイブも来て。

そこにITの人や、移り住んできた人が来て。みんなわんわん話し出したら、共通語がもう日本語でない。英語。これ神山で現実におきとる世界か…と。地元のひとは二人じゃったな。壮観ちゅうか「神山もここまで来たか」っちゅう感じ。喋れんけん、一人で飲みよったけど(笑)。

また別の日の「かばちや」の写真ですが:神山日記帳「ニックさんとサヨナラパーティしました。」ニコライさん/2015年6月26日より

10年くらい前から、なにかイベントで40人寄ったら、地元の人が5〜6人で、神山塾生 *2 が10人くらい、移ってきたひととITの若いひとが10〜20人おって、あと外国の人が必ず5人くらいおって、そのみんなが互いに話しよる世界を見とったけんど、あの晩の「かばちや」はちょっと衝撃的で。ほんまちょっと感動したわな。

楽しそう(笑)。

佐藤楽しいわ、ほら世界が広がるでえなあ(笑)。誰が来てもやっぱりその国の話をちょっとでも聞きたいもんで。一緒に会話して、お酒飲むっちゅうのが楽しいことやな。酔うとるけん気が大きなって、最後に必ず「あなたの国に連れていってよ」と言ってるんやけど(笑)。

アーティストもあんだけ何度も来てくれる根底には、やっぱり神山町民みんなに〝おもてなしの心〟があると思う。KAIRのスタッフだけでなく、神山自体がそういうふうに変わってきたんじゃな、ちゅう気はする。どこでもみんな、少々言葉わからんでも「ちょっと来な」って感じで。「お茶飲もう、お酒飲もう」って呼んでくれる。

アーティストを?

佐藤アーティストもそうやし、ローソンさんとか、ルーさんとか、外国から移り住んで来とる人にも。みんなごっついフレンドリーになったんちゃうで。ほれはやっぱり30年の力でないかなと思う。外国のアーティストが、温泉でも爺さんがごっつい日本語で話しかけてくるっちゅうて言いよったわ。アーティストは勘がええけん、言いよることがわかるんで適当に相槌をうって。

最初のALTの先生が来た頃は、うちの前の四つ角で歩きよったらバス待ちよる人やらみんなジーッと見よったわ。もうこの頃は風景に溶け込んどる(笑)。外国の人が自転車で駆け抜けても、誰も振り向きもせん。もう日常になっとるなあ。

この約30年、大事にしてきたことや、心がけてきたことがあれば。

大南〝ありのまま、あるがまま〟っていうことかなって。僕、いつも見るんがNHKのBSでやりよる「世界ふれあい街歩き」。NHKの取材チームが、世界各国の都市や田舎に行って、1日ずーっとまち歩きしながら地域の人と話していく番組があって。半月ぐらい前のパレルモ編(イタリア)を見とったら、街なかにあるスペースがあって。

昼は仕立て屋さんなんやけど、夜になると開放して、毎晩街の普通の人が集って楽器とか演奏しとって。噂を聞いた人も来とって、「自分はイスラエルから来た」とか「ロシアから来た」とか、一緒に腰を下ろして楽しみよるんよな。

ほんで「あなたたちは、いろんな人を受け入れて、素晴らしいですね」って記者が話したら、その仕立て屋のおっちゃんが「〝受け入れる〟というのはちょっと無理しとる」と。「いろんな人を受け入れると言うと、余分な力がかかっている感じがするけど、自分らは違う」と。なにが違うんか言うたら「いろんなことの違いを楽しむんじゃ」って。「これは〝受け入れる〟とは全然違う」みたいな話をして。

まあ言うたらいま神山で起こりよるのは、いろんな〝違いを楽しめる〟人の比率が高まってきとると。過半数とは言わんよ。でも多分、これまでより何パーセントか増えとるから、まち全体の雰囲気がオープンに見えていきよんかなという気はするよな。〝違いを楽しむ〟というのは結構大切で。〝持たざることを楽しむ〟にしてもそうなんやけど、そういう視点で物事を見れるようになったら、途端に世界が開かれる。

でもたいていは「持っていない」ことに捕らわれるけん、そっちのほうに縛られて、変な葛藤に束縛されるわけよね。うちにはアレがないとか、コレがないとか。だけど「持たんことを楽しむ」とか「ないことを楽しむ」となれば、ここぐらいええフィールドはないでえな。

中学校で話したとき、ああは言ったものの、いまの神山の状況はまだ想像していませんよね。

大南全然していないな。

この先、たとえば30年後も想像出来ないじゃないですか。

大南できんよな。ほやけん想像出来んことを無理にいまのイメージの中から描き出そうとしても、実態は絶対に反映せんから、想像出来んことをきちっと起こしていける「もの」というか、「人」をこれからも集めていくというか。

KAIR 2016/ウェルカムパーティー Photo:ニコライさん

この20〜30年神山は、田舎にしてはわりと出入り(ではいり)しやすい場所やったと思うんよな。これからも同じ状態をつくりながら、絶えず新しい空気が通うようであれば、想像出来んにしても、変化を起こしていけるまちでありつづけられるんかなと思うな。

「30年後にはこうなったらええ」っていう想像自体があまり意味を持たんと思うので、それよりは〝創造できる人たち〟を人員配置するとか。町出身の子たちが「やっぱり神山おもろいな」と帰ってきて、一緒にチームになって、新しい将来の神山を創造していく形になれば、まあまあ理想的かなと思うよな。

それを世界の人たちともやる、と。

大南これからは、人の行き来がもっと頻繁になってくると思うんよな。

人口の「数」でなく「中身」が大事だと、初めて会ったとき(15年前)にも話していましたね。*3

大南うんうん。

佐藤いつも言いよるけど、自分らが〝楽しい〟ことをしてきた結果が、次々に化学変化っちゅうか連鎖を呼んで、いまのまちが出来てきたような感じで。

旅行に行きたいけん。その理由付けでちょっと格好ええことをしたら、自分らが行きやすい。みんなを巻き込んでしたら楽しい、っていうことをしよるけん。最初から形があって出来たんでなしに、しよるあいだに形が出来てきて。肉付けして。それが出来たら「次こんなことせんか」っちゅう話になって。

「面白いな」ってしよったら、外国から来る人も「面白いな」っちゅうて。レジデンスもそうやし、神山には才能のある若い人がいっぱい「面白い」っちゅうて来てくれよるけん。この人らが、また次の30年後をつくっていってくれる。
そんな感じで行きよるけん、僕はいまのままでええと思う。楽しいことをしとった結果なん。「これをしよう」と思ってしたんでは多分ない。

人の経験出来んことを、僕らは出来たっちゅうのは、国際交流から進んだ結果やなと思うけどね。

いろんなことが出来るもんですね、一生のうちに。

佐藤ほんまに。いまオランダから、ニックさんとヤマちゃんが(Nik Christensen, Yamandu Roos/どちらもKAIR参加アーティスト)、「どうして佐藤さんは来んのだ」と言うてくれるけん。これまで来たアーティストも、みんなほう言うてはくれよるんじゃけどな。こんな時代になるとは思わなかった。

大南世界旅行、出来るよな。

佐藤いやほんま。

大南7大陸、全部行けるわ。(笑)

LINK
*1 神山アーティスト・イン・レジデンス
*2 神山塾
*3 フォーラム:創造的過疎とお昼ごはんの集い

Interview:2019年5月6日

文:西村佳哲、撮影:生津勝隆
制作協力:真鍋美枝、工藤桂子、藤本 彩
企画・制作:神山つなぐ公社