Vol.03
7つの地区から辿る
神山のいま、むかし
各地区に残る史料を手がかりに、
長く住む方々とかつての様子を辿ります。
浮かび上がってくるまちの姿とは?
第0話
まえがき/史料から見えてくるもの
2022年8月29日 公開
「私は〇年前から神山に住んでまして…」
「神山のどこえ?(どこに住んでる?)」
「どこって…?」
「あるやろ神領とか、広野とか」
「ああ!下分の○○です!」
「おお、あそこか!」・・・
引っ越してきた方なら一度は交わしたことのある会話の風景です。住んでいる人それぞれの意識や視点が「神山町」だけではなく、字名や集落ごと、家に続く屋号などに向いていることがわかります。そして、「あそこはむかし、こんなところだった」や「ここではこんなことがあってな…」といったようにその土地の話に続いてゆきます。
神山町は、1955年に5つの村(阿野村、鬼籠野村、神領村、下分上山村、上分上山村)が合併してできた町。それ以前にも、広野と阿川が合併して阿野村へ、下分上山と左右内が合併して下分上山村になったという歴史があります。
各集落は、鮎喰川の本流・支流でつながっており、神山町の町域はその流域と重なります。
(神山町は鮎喰川の流域に沿って集落が形成されてきました)
合併して70年近くが経った現在でも、7つの地区の持つ特徴は残っており、季節の行事や風習、産業など、地区によって様々な文化が息づいています。しかし、住んでいる人々の高齢化により行事の担い手は減少、さらに、核家族化により家庭内での伝承がされにくくなるなど、各地の伝統や地域文化を受け継いでゆくことが困難になっています。
今回の特集では、神山町に在住の歴史研究家・高橋啓(たかはし はじめ)さんとまちに残る史料を読み、これまでの地域の歩みを学びます。さらに、各地域にお住まいの方々にお話を伺うことで、それぞれの地区の特徴や、ひと昔前のまちの様子を感じることを試みます。高橋さんは江戸時代を中心とした史料をもとに、神山の人々がどのように暮らし、そこにどんな地域社会が存在したかを日々研究されています。
高橋さんは、歴史を読み解くことの意味を次のように話します。
今から200年ほど前に、自分たちの土地を巡って、この地で起こった騒動を見てみると、今の価値観には換算できないほどに自然との深い関わりがあったことがわかります。(中略)史料をみることで、そういったかつての地域の姿に想いを馳せることができるんです。(2018年開催「神山のやまを語る会」より)
(やまを語る会のようす)
古い史料を現在生活している私たちが読み、そのような史料には書かれていない「生活者としての目線」を記録として残してゆくことも、本特集では目的としています。
手がかりとする史料は、高橋さんが監修として携わった『神山町史』をはじめ、各地に残る旧村史など。さらに、古い時代の地図として、スタンフォード大学図書館に所蔵されている日本地図も活用します。これは、ウェブサイトでデジタル資料として誰でもアクセスして閲覧ができるようになっています。公開された地図の中では、日本の多くの地域を見る事ができ、神山町は「和食」「剣山」「川島」の3枚の地図上に位置しています。地図には「明治四十年測図昭和八年修正測図(図は旧字体)」とあります。昭和8年なら、89年前。明治40年ならなんと115年前の姿ということになります。
(端書きには「明治40年測図昭和8年修正」とある)
地図には、どういった施設があったか、田畑や森林の姿がわかるだけではなく、人家も記載されており、目を凝らすとさまざまな集落の様子がイメージできます。
多くの記録資料が残っているのは、自分たちの住む地域を「記録しよう」「見つめなおそう」という気風があったのだと受け取っています。自分たちの村の由緒に誇りを持ち、アイデンティティをもっていたのではないか、と思いますね。
と高橋さんは語ります。
編集チームは、それぞれの地区の史料を探る「予習会」を経て、各回のテーマを設定し、それについて教えていただける地区のゲストを探します。共に各地で話す「おはなし収録会」の様子を特集記事としてみなさんにお届けしていきます。
また、それぞれの地区の方々に読んでもらいやすいよう『7つの地区から辿る 神山のいま、むかし かわら版』もお届けできるように、計画をしています。この特集を通じて、私たちと一緒に7つの地区へと歩み、色んな時代へと想いを巡らせてください。
第一回は、上分地区の方々にお話を伺う予定です。(公開予定日:2022年9月頃)
文:駒形良介
制作協力:高橋啓
古写真データ提供:小松崎剛
企画・制作:神山つなぐ公社