イン神山でお伝えしてきた「ほぼ月報」はこの3月、約5年間の連載を経て、その役割を終えます。2020年にスタートしてから、役割は都度都度、変わってきました。

ほぼ月報の始まりは、当時、神山つなぐ公社(以降、公社)にいた藤本彩さんがきっかけ。「アート」「住まい」「しごと」「学び・教育」「まちの手入れ」「農と食文化」など、つなプロの動きを中心に、まちの様々なプロジェクトの進捗を「伝える」担当という視点から定期的に更新する形で運用されていました。その後、 公社の杼谷学さんと西村佳哲さんが引き継いだ頃から、担い手とのインタビューのやりとりを紹介する形に変化。リアルな声が伝わる記事になりました。

<左:初期の頃のほぼ月報目次、右:最近の目次>

そして、2022年度からは公社の畔永由希乃、高田友美、NPO法人グリーンバレーの安達優香、言語化Art(株)の中村明美という4人のメンバーによる新たな編集部体制に。この3年間は、編集部手探りの中、まちの「等身大の今」を丁寧に取り上げる企画が多くなっていきました。

連載終了を前にこの4人が集まり、振り返りの会を開きました。その価値と未来への期待について、和やかに、時に熱く語り合った対話の一幕を、読者の皆さんからいただいたお便りと一緒にお届けします。

住んでいるからこそ感じられる神山の良さを伝えたかった

中村改めて3年間、お疲れ様でした。冒頭からですが、ほぼ月報が伝えていたのは、どんなことだったでしょうか。

畔永神山って雑誌や新聞、テレビ、ウェブ記事など外から神山に注目して取材される記事、コンテンツはめちゃくちゃあるけれど、でもそれは、外から見ての神山。基本、東京にメディアの機能は集約されていて、東京の目線から見た、他の自治体と比べての特異性とか魅力みたいな感じで、神山のことが語られる。その視点も自分たちには見えづらい視点で、いいなと思いつつ、でも住んでると、「外から見てる神山」と「住んでて感じる神山」の良さに若干のギャップを感じるというか。

神山のいいところって劇的なものばっかりじゃなくて、日常の中にこそあるなと思っていて。住んでるからこそ気づける、些細だけど「いいよね」って言い合えるような出来事とか、人の存在とかを、自分たちで集まって、あれいいよね、これ伝えていきたいよねと記事にする。それが、ほぼ月報の役割、価値なんだなと思っていて。



読者の皆さんからのお便り①

40代徳島県内在住:神山だから、神山でしか感じられない、記事を残してくれてありがとうございました。

40代神山町在住:新しい出来事を知るのも好きだし、身近にありすぎて気に留めていないことが実は神山らしいということもあり、あらためて記事にしてもらえると新鮮に感じます。これからの活動や発信も楽しみにしています。


 

安達暮らしてる1人の住人として、<キラキラしてない神山>を伝えたいとか、消防団、木こりの話など、<気になる暮らしのこと>に近づいてみたい、と思いながら書いていました。私の記事も、みんなの記事も、見過ごしているような日常のこととか、町内で起きていることとかを改めて止まって近づいて、みんなの代わりに見る、という記事だったと思います。


<安達さん>

 

読者の皆さんからのお便り②

40代神山町在住:記事、いつも楽しく読んでいました。町内に暮らしていても、消防団の方々がどんなことをやっているのか全くわからなかったのですが、記事は、分かりやすく勉強になりました。人とのつながり、まちのなかでのつながり、いろんなつながりを読ませてくれて、どうもありがとうございました!


 

高田まちの中でいいプロジェクトが始まっていても、まちの人は何をやっているかよく知らない・分からないということもありますね。ほぼ月報で紹介することで、活動する人とまちの人をつなぐ役割もになっていたのかな。活動している当人たちの発信とは違う温度感だから、「ほぼ月報」を名刺がわりに、まちの人に知られていった。「まちの中の血行をよくする」というのも、つなプロ当初から大事にしてきたことの一つでした。

自分の感性を通じて「まち」のことを書くことについて

中村外からの取材だと、どうしても“大きな話”に引っ張られがちだけど、小さな出来事や日常の営みの中に、神山らしさがあると私は思っています。ほぼ月報は、それを、書き手のそれぞれの感性で、切り取った記事。書くことについてはどうでしたか?

安達自分の中では、ほぼ月報があって、書くことが身近になって、体の中に溜まっていってる気がしています。ほぼ月報があったから、地域の雑誌でもライターとしてお仕事をするようになりました。

高田安達ちゃんは、「こうやって言葉にしていけばいいんだ」と、そこで何かを掴んだのかな。ほぼ月報は、報告書やレポートと違ってアンテナを向ける先が違った。ほぼ月報は、話を聞きに行くと思ったのと違ったり、書くために再構築していたら違うものになったり。明美さんとの推敲を経ると、さらに研ぎ澄まされていく。出来上がったものを見て、「自分でもこんな記事ができた!」と嬉しくなる感じがあったなぁ。


読者の皆さんからのお便り③

40代福岡県在住:ふるさとから届く季節のお便りのような気分で読ませていただいてきました。年に3〜4回通っているだけですが、地域の日常を少しだけ感じることができホッコリした気分になりました。普段接点のない地域の皆さんの物語を感じることができ、嬉しかったです。連載を5年も続けるのは凄いことですよね!ありがとうございました!

60代東京都在住:自分が「住んでみたいな」と思うまちに、こんな記事群があったら最高だなと思うものばかりです。本当におつかれさまでした!


 

 


<畔永さん>

未来に伝わる神山の「空気」

畔永記事発信は、即効性のあるものではないし、これをやったからこんなことが起きますというものではない。だから、やる価値を捉えるのに、ずいぶん迷いました。

でも今回、お便りのコメントを見て、記事を通じてまちの様子、雰囲気、空気感を感じてくれてる人たちがいたんだなっていうのを知って、役割をちゃんと担えてたのかも。

何年か後、また先の未来に、今の時代の神山でどんな人たちがどんな風にまちで暮らしていたのかを知る手がかりになると思います。そういうまちの本当にちっちゃな歴史みたいなものが、記事の更新を終えた後でも残り続けていくといいなと思います。


愛読者の皆さんからのお便り④

30代神山町在住:外から見た神山町、例えばサテライトオフィスとか高専とかとは違った一面を見ることができるのが良かったです。町の中で色々な活動や取り組みがあって、それぞれに関わる人がいる。そういうことが分かる題材を都度選んでいたのかな。草刈りや地域のガス屋の特集、なんてニッチなんでしょう。もっと先の将来に、2020年代の神山町内の取り組みを知りたくてこれらの記事にたどり着いた読者にとって、取材相手のひととなりや思い・エピソードが伝わってくる記事はとても貴重なものだと思います。


 

高田「もっと先の将来に、神山町内の取り組みを知りたくてこれらの記事にたどり着いた読者にとって、2020年代の取材相手のひととなりや思い・エピソードが伝わってくる記事はとても貴重なものだと思います」と書いてくださった人もいました。時間が経ってからも、この記事が読まれて、その時々の人たちに何かを感じてもらえるといいな。神山の歴史を残す小さな1つとして、ほぼ月報の記事があるといいなと思いました。


<高田さん>

中村それは、「書いて残す」営みの大事な役割ですよね。私は書き手として、どんな小さなことでも「書いて記録すること」の意義を信じています。ほぼ月報で取り上げなかったら、10年後20年後には、なかったものになっていたかもしれない小さな変化、営み。それが名前をつけられないうちに消えていくまちが、世界中にはたくさんある。小さなまちの小さな発信かもしれない。でも、だからこそ「ほぼ月報」の意義は大きかったと思います。

畔永このまちに住んでいていろいろな関係性があるからこその、緊張感や責任もあると思うので、簡単には行かない部分もあると思いますが、その時々でこうしてまちのことを書き残していく営みが生まれていくと面白いなと思います。

 


 

過去のほぼ月報記事は今後も、「ほぼ月報」と検索していただければ、
イン神山の続く限り読むことができます。
あなたが、その時々の神山のことを考えたり、
思い出したりするきっかけになる記事で
あり続けられるよう祈りながら、企画を閉じます。

これまでのご愛読、ありがとうございました!

      

 

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