キャメロン・ホッキンソン
Cameron Hokenson

2009年度 神山アーティスト・イン・レジデンス招聘作家
2009/9/1-2009/11/9 神山町滞在

カリフォルニア州立工科大学にて環境デザインを学んだ後、サンフランシスコ・アート・インスティテュート大学院卒業。アメリカを拠点にランドアート、インスタレーションの制作活動をする一方、アメリカ各地、ヨーロッパにて作品発表を行う。作品はランドアート、インスタレーション、ドローイング、写真など多岐におよぶ。作品が置かれる場所を取り巻く地域の環境や、自然との関係性について探りながら作品制作を行う。現在、芸術家としての活動の傍ら、ギリシャ・パロス島にて美術講師を務める。
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屋根の上で作業中

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→作品一覧
ハザード・ゲルン:駐車禁止
わら・川・山
かぐや姫の昇天
春、夏、秋パゴダ
Artist Statement
講評


ハザード・ゲルン:駐車禁止

わら・山・川

かぐや姫の昇天

春、夏、秋パゴダ

私のサイトアート作品は風景に積極的に手を加えたり、その空間をそのまま利用することにより、風景が持つその場本来の姿を引き出すものである。忘れ去られ た道を歩きながら、そこに一時的に造形を介入させて、道標を作り、自然環境、もしくは都市環境の中に地域性を織り込んでいく。このような作業は、経済の成 長・発展と停滞の綱引き関係にも似ている。また、彫刻やインスタレーションを自然環境の中に制作することは、環境の中にアートの場を取り戻し、同時に、こ の環境の中で人間がいかに生きていくかを人々に今一度考えさせる。設置場所に集めた自然の素材や加工品などの制作素材は、周辺環境やその土地固有の現象を 考慮しながら、組み立てられる。また、作業は自分自身の力で出来る範囲内の手作業にとどめるようにしている。私の屋内インスタレーション作品は、風景を抽象的に表現したものであり、私が自然の中を歩いた記憶の蓄積となっている。途中で見つけた素材を再利用したインスタレーションにより、これらの記憶が思い起こされる。一見不釣合いな、道標、門、出入り口、シェルターは文明を象徴するものであるが、一方で場所形成の永続性を問うものである。私にとって、現在の風景とは、消えて、忘れ去られるものであり、私が施す造形もまた消えゆく記憶となる。私の制作活動の最大のテーマは「アートはいかにして一般に考えられている文化と自然の境界を越え、社会を土地との持続可能な関係に戻せるのか?」ということなのだ。

(キャメロン・ホッキンソン、2009)

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+++講評

キャメロン・ホッケンソンは、アメリカの大学で環境デザインを専攻したのち、ランドアートや野外インスタレーションを制作してきた。今回、彼は、短期滞在のなかで精力的に制作活動に励み、屋外の大型作品を4点設置した。そのなかには、竹林や干上がった田畑、崩れ落ちた藁葺き屋根の農家など神山で体験した彼が見出した「日本」を象徴する場が選ばれている。そこから明白なことは、作品には構築していくためのサイト(場所)や自然を含む設置されるためのエンバライメント(環境)が大きな影響を与えている。竹林の作品「かぐや姫の昇天」は、かぐや姫をテーマにストーリー性ある作品を制作した。竹林のなかに月へと続く梯子がかけられているようすは、飛翔や浮遊などのイメージを自在に内在させる日本人とは異なるモノグラムの考え方であり、彫刻家ならではの表現といえるだろう。大銀杏の樹のふもとに設置された作品「春、夏、秋パゴダ」は、洋鐘を携える教会のように尖った屋根のような3本の構造体が並列されている美しい作品である。同時期に開催された大銀杏のライトアップと連動させることで、単体の構造物ではなく環境全体に視覚を拡大させ、ライトアップによって昼夜といった時間を拡張化させたランドアートになっている。また、町の人々を魅了させたのは、即興的に制作した駐車場での巨大な三角コーンである。当時、日常的に通っていた駐車場の地面を改修する工事をしていて、地面を剥され廃棄物となったアスファルトの破片を積み上げて、大きな三角コーンを出現させたのである。進入禁止のために設置された実際のコーンと併置されることで、小さく存在感を失った既製品の三角コーンと廃棄物でありながら蘇生した物体が、大きなアラームを鳴り響かせて脚光を浴びている存在と変容したようすが対比されて面白い状況となった。

嘉藤笑子(武蔵野美術大学非常勤講師)