カリン・ヴァン・デ・モーレン
Karin van der Molen

2008年度 神山アーティスト・イン・レジデンス招聘作家
2008/9/6-2008/11/11 神山町滞在

大学にて国際法を学ぶが、卒業後、画家、そして彫刻家として全く別の道を歩むこととなる。オランダを拠点に制作活動を行いながら、ヨーロッパ各地、アジアで個展を開催し、また、ランドアーティストとして各地でのプロジェクトに参加している。
その土地に応じた作品を制作する上で、彼女自身、自然とのかかわりを最も重要に考えており、現地の自然素材を材料として用いた作品を制作する。彼女の制作する作品や屋外インスタレーションは補足されるものであり、また、まわりの自然環境との同化を強く意識している、彼女の絵画作品も同様に、私たちが現在いる場所とそれを取り巻く自然環境との相関関係をテーマとし、表現されている。オランダ在住。(→Karin van der Molen Website

下分アトリエにて制作中の様子

→制作風景一覧
→作品一覧
「As it is in heaven – 天上地のごとく- 」
「Being there」
「Moon dome」
Artist Statement
講評


大粟山・シナモンの木の下に。As it is in heavenー天上の地のごとくー


上一宮・八幡神社
神山東中学校の生徒達と、紙粘土で制作したハート(命の種)が使われた

日没後のMoon dome

「As it is in heaven -天上の地のごとく-」
私は日本の茶碗をイメージしたサイト・アート作品を作りたいと思って神山にやってきました。しかし、初めて日本に来て体験したことがあまりにも新鮮で印象的だったので、ここでの生活体験を自然な形で作品に反映させたいと考えるようになりました。
私 はその地域の古い伝統から記憶の糸を紡ぎ合わせて、その土地固有の作品の構想を練ることがよくあるのですが、神山に来て、四国巡礼という古くからの慣習が 今でも盛んに行われている、生きた伝統だということを知りました。毎日遍路たちがそばを通り過ぎる姿に心を打たれ、私も地元の住民を真似て、道中でお遍路 さんに食べ物を差し上げたり、また時には、ただ単にこの場にいるということを通して巡礼のひと時を共有しました。
このような体験をもとに生まれたのが、私の神山での最初の作品、大粟山のシナモンの木のそばに制作したカップ「天上の地のごとく」です。‘ひび割れ'した かのように神山の青石を敷き詰めた伝統的な茶碗型は、人が人生を通して積み上げる知恵のひとつひとつを表現しています。私たちが追い求める幸福のかけら、 そして、いつも思いがけないところから転がり込んでくる幸福のかけらを、このカップの中でかき集めるのです。遍路たちが皆それぞれの希望や自己探求、さま ざまな想いを胸に秘めて旅をしている四国巡礼にも同じことが言えると思います。私自身は数メートルほどしか遍路道を歩いたことがありませんが、寺で唱えら れるお経に惹かれ、これは身近にあるものや普通の 生活を当たり前のことだと思わないように、さらには、日々の些細なことにあくせくしないようにと説いているのだと私は解釈しています。

「Being there」
私は普段まっすぐに伸びたヤナギの枝を使って制作していますが、日本で私特有の編みこむ作品を実現するには、別の素材を探さなければなりませんでした。そ こで目をつけたのが、神山の山ならどこにでも 手に入るかずらでした。この植物の特徴は四方あらゆる方向に折れ曲がったり、渦を巻いたりすることで、この習性にさえ従えば、かずらは作り手のアイデアと ともに踊りだしてくれるのです。だから、私もかずらが向いている方向に逆らわずに編み込んでいかなければなりませんでした。
この作品の構想に大きく影響を及ぼしたのが、最終的な展示場所となった八幡神社です。ある日曜日、私はこの神社と、大粟神社の間で行われている興味深い祭 礼を目にしました。男の神様と女の神様は1年に1度だけ出会うことができ、この出会いを可能にするために、村の人々は大きな(女性の)神社から小さい(男 性の)神社まで、神輿を担いで行列を作ります。この話からインスピレーションを得て、命の不思議をテーマにインスタレーションを制作するというアイデアが 生まれました。
かずらのインスタレーションは新しい命を表わしています。入り口に設置したオブジェは、大きなかずらの‘袋'で、中には巨大な種が入っています。これは、 未熟な生命を意味し、その周りの構造の中で保護し、栄養を与えてあげなければなりません。神社の奥に設置したオブジェはかずらを編みこんだ‘かご'で、あ らゆる命が生まれる場所を表しています。何層も のかずらが四方八方に腕を広げ、開いたお椀の形となっています。このインスタレーションに添えられている60個のハートは個々の命の種を表わしており、神 山東中学校の生徒たちがペーパーマッシェ(紙粘土)で制作したものです。

「Moon dome」
日本での短い滞在の中で、私は一般的にこちらで考えられている満月の持つ意味の大きさに驚かされました。神山を離れたのは数回ほどですが、ある時、奈良に出向き、到着したその夜に、私はある大きな池の前に腰を下ろしました。池の中央には満月が映っており、風もないのに、水面で踊っているかのように見えました。このとき、頭によぎったのがアメリカの詩人、 アルヴァド・カルドナ-ハインの一説です。「月をみて、月を眺めていることにはっと気づいた。」 確かに、実際に月を見て、観察するというのは容易ではないのです。
私の三番目の作品はこのような現象に焦点を当て、制作しました。この作品はかずらの枝を編みこんだドームになっており、真ん中部分は月に向かって開いています。中央には皆さんが頭を載せて、満月を体験できるように石の枕を置いています。

結果的には、「Moon dome」にしても逆さまに見るとお椀の形に見えるように、私がレジデンスを通して制作した作品すべてに日本の茶碗の形が現れることになりました。

(カリン・ヴァン・デ・モーレン、2008)

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+++講評

初来日だったというカリン・ヴァン・デ・モーレンは、事前のプランから大自然の中で雄大な作品を制作するという期待があった。これまでも彼女は、ヨーロッパにおいて自然環境から素材を採取して、比較的大きなサイズのサイトスペシフィック(現地に適応した)作品を制作してきた。したがって神山の自然からどのような素材を活用して、どのような場所で作品を制作するのか、ランドアートの作品を数多く設置してきた神山町の人々にとっても楽しみだったはずである。カリンは、神山の生活体験から、この場所でしか表現できないものを毎日の出来事から見極めていったのである。カリンは、パット・ブーゴーという夫であり、アーティストでもある制作協力者と一緒に滞在していたこともあって、山中に分け入って、今回の作品に相応しい素材として蔓(かずら)を大量に採取してきた。かつて県西部には、いくつもの"かずらばし"という吊り橋があったことでも知られている。蔓は頑丈な植物で、地元にとっては馴染みのある素材である。しかし、彼女がヨーロッパで使ってきたのは、まっすぐで素直に曲がる柳である。どこに曲がるか分らない癖のある蔓を伐採や加工していくにはかなりの体力や技巧が必要とされたであろう。この蔓と格闘しながら、地域の古い慣習や伝統からストーリーを紡いで作品に結んでいったのである。「Moon dome」は、四国巡礼者が目にすることのできる道路沿いに設置され、籠状の茶碗をひっくり返したような形をしている。遍路の骨休みに、ここで自己探求を深めるお遍路さんがいたかは定かではないが、神山産の青石が中央に設置されていて、それを枕にして天空を覗けば、森羅万象の真理に近づけるようなスペクタクルな要素を孕んでいる。ここで心を穏やかにして葛の籠に包まれることで、身体の鼓動や脈拍といった生命を意識する装置をかたちにしたともいえる。天空を流れる雲や鳥たちが行きすぎていく様子、または作家が言うように満月を眺めらながら過ごすことで、神山の雄大な自然に優しく守られているような、まるで胎内にいるような、安心感に気づかされるだろう。

嘉藤笑子(武蔵野美術大学非常勤講師)