5月下旬。この季節に神山で車を運転していると、道ゆく耕運機や、稲の植え付け機とすれ違うことが増えてきます。「木のまち」神山も、田んぼの季節です。

そんな神山には地元の人たちに混じって、各地域で米作りをする移住者たちがいます。「エタノホ」「素人米」といった個人が集まったプロジェクトのほか、町内にサテライトオフィスを置く企業の社員の方がチームになって稲作にチャレンジすることもあります。

彼らはなぜ、田んぼに魅せられるのでしょうか?

気になったので、米作りで知られた神山町上分の「江田(えた)集落」で、米作りを熱心に続ける植田彰弘さん、兼村雅彦さんの元へ行って来ました。お二人とも、本業の傍ら、週末のほとんどを田んぼ作りに捧げているくらい、本気の関わりです。

江田集落は、もともとは米作りの地域。町内でも山間にありますが、山水が綺麗で、美味しいお米で知られた場所でした。秋に一山超えたところから江田方面を見ると「金色に見えた」と言われていたほど、美しい棚田の風景が広がっていたそうです。

しかし、残念ながら、人が減ったことで、長く耕作放棄地となってしまう田んぼも。そこを2009年にグリーンバレーや県内の大学生が中心となり田んぼ2枚から整備をはじめたのです。どうやら、江田地区でのこの活動をきっかけに、塾生を中心とした米作りを始める移住者が増えていったようです。

植田さんたちも、元神山塾生。塾生としての活動中に江田で農業を営む“師匠”西森傳多さんと出会って、地域に惚れ込んでいきました。2人とも西森さんの指導のもと、約10年、米作りを行っています。毎年、色々な仲間を巻き込んで、活動も広がっています。

さて、お二人にお話を伺うために、神山に移住して1年目の私も、田植え体験に行ってきました。まずはそのリポートを。

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− 5月21日(土)曇り

それなりに険しい山道を抜けると、突然広がる土地。空が近くて、クローズドな感じがあって、巨大な岩が何食わぬ顔であちこちに転がっている。なんとも不思議な土地だなと思いました。ここはマチュピチュのようなところだ!と。(行ったことはないけど…笑)

その不思議なすり鉢状の山肌に、棚田が作られています。今では半分が田んぼ、半分はお茶畑などの畑となっているようです。水の張られた棚田が、清々しく広がる中に、今日は大きな笑い声が響いています。


<茶畑になった棚田の真ん中に、居座る巨石。>     


<変な形の棚田>

城西高校神山校の寮「あゆハウス」の寮生や大人たち約20人が“人力代掻き”をする日。泥遊びにも見えますが、田植え前に泥をかき交ぜる作業です(笑)。枝の奪い合い競走で楽しみながら泥をかき混ぜています。毎年恒例だそう。


<ビーチフラッグのように、旗がわりに枝をたてて、枝を取り合う寮生たち。遊びながら田んぼの泥が撹拌されます>

<その日は、神山つなぐ公社の森山円香さんご夫妻のウェディングフォトの撮影会もあり、田んぼの思わぬ姿に出くわし驚きました。とても素敵な撮影会でした。> 撮影:植田彰弘さん

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− 5月29日(日)快晴

いよいよ田植えです。この日は、植田さんたち5人が手植えをしていました。一部機械も使うようですが、手植えの場所は「田植え定規」と呼ばれる木の枠を使うとのこと。町内の農家さんの家で約80年間、大事に使われてきたものをお借りしています。r


<田植え定規。赤いテープのところに苗を植えていきます>

田植えの最中も、田んぼには、代わるがわる地域の人がやって来ます。「今年はどう?」「こんにちは」など、声をかけていくのが印象的でした。

田植えの休憩時間には「最近、(田んぼの近所の)お母さんが元気がないから、話しに行こうか」と二人の提案で、近所のおうちへ。思いのほか元気でおられて、二人も安心して、お菓子までいただきながら談笑しました。

単なる米作りをしているのではなく、お二人が地域との繋がりを大事に、地域の一員として活動しているのを感じます。

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さて、リポートはこの辺にして、お二人のお話を伺っていきましょう。
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そもそも、植田さんが、江田で活動し始めたのは2012年。兼村さんは、その2年後です。いずれも、神山塾生として、米作りに参加したのが始まりだったそう。

今は、植田さんと、植田さんのパートナーの千寿美さん、兼村さんの3人と、3人を導いている“師匠”西森さんたちが「エタノホ」プロジェクトとして活動中です。


<左から、植田彰弘さん、植田千寿美さん、西森薫さん 西森傳多さん、兼村雅彦さん> 写真:植田彰弘さん提供

江田で作られるお米をブランドにしたいという希望を込めて、自分たちの作るお米を「エタノホ」と名づけました。江田の彼らのこだわりと想いが詰まったお米です。売り上げは、棚田保全に使われるとのこと(オンラインで販売中だそう)。

――神山の江田で、米作りを続ける理由は何ですか?
植田さん:師匠との出会いかな。師匠や仲間がいるから米作りを続けている。江田という地域の魅力も大きい。
兼村さん:僕は、米作りそのものというよりも、その過程で試行錯誤することが面白い。気づけば9年。仲間と楽しくできるから、続けてこられたと思う。

――師匠や仲間との関係性は?
植田さん
:神山って、「やったらええんちゃうん」っていう空気感があるけど、師匠は、そんな中で唯一、怒ってくれた人。11年、毎日話しても全然飽きないんだよね。師匠がいなかったら、僕は江田にはいないし、神山にも住んでなかったと思う。
兼村さん:神山塾を卒業した頃は、田んぼがあるから(江田に居よう)って感じではなくて、もっとこの環境を見てみたいなと思って残っていたかな。師匠やメンバーとの関係は、そこからのグラデーションみたいに広がって、時間の中で結びつきが強くなっていった感じかな。

――お二人の活動を見て地域の人の反応は?
植田さん:「やったらええんちゃう」って(笑)
兼村さん:始めて4,5年目でやっと「地域に入ってやれている」って思えたかな、関係性とか。あまり話をしてこなかった地域のおじいちゃんがきてくれてしゃべって、コミュニケーションが取れて、あぁなんか変わったなって思えた。
植田さん:共通体験をしているのは、大きい。集落の流れに合わせないといけない部分もある。コミュニケーションが必要だし、ただ行事に出てちょっと顔を合わせるってことよりも、一緒に作業して汗を流す時間で繋がりができると思う。

――大変なことって何ですか?
植田さん:毎年大変だよ(笑)続けていくことが大変だよね。田んぼも、地域とのつながりも。あとは、こだわって、無農薬・無化学肥料でやっているけど、それは“棚田米”として景観づくりだけで価値を作っていくと、長く続かないと思っているから。“本質的に美味しいお米”を届けることが長く買ってもらって売っていく、付き合いができるなと思う。今は食味値っていうのを測りお米の美味しさを数値にしている。80点以上、ランクで言うとAとかSのお米を出せるように試行錯誤している。(兼村さんに向かって)大変だよね?
兼村さん:良くも悪くも(植田さんと)バランスが取れている、多分。僕は、いろんなことを試すのが好きで、目標があるから試行錯誤できていいのかなと。何も考えなければ、麓の大きい田んぼで、肥料まいてわーっとやって、「はい、できました」で終わる。それだと、自分的にはあんまり面白くない。試行錯誤しているから楽しいんだろうね。

――今後の夢を教えてください。
植田さん:夢は、ここに移住者を増やしたい。地域のことを考えて一緒に動ける仲間をもっと増やしたいです。

不思議な魅力のある江田という土地で、日々の生活を続ける人たちがいること、それを守りたいと思っている人がいること。植田さん、兼村さんたちの米作りの手間暇を介して、それらがうまく循環しているなという感じがしました。たった2日のお手伝いでしたが、少しだけお二人の日常を体験できて、嬉しく思っています。また、お手伝いに行きます!ありがとうございました。


エタノホ 江田集落の一年

トップ写真:植田彰弘さん提供