百姓のきこり

コンプレックス(※1)で働く、グリーンバレーの安達です。
1年前に神山町に住み始めた私は、今思えばここに来るまで「木を伐る人」を見たことがありませんでした。小さな島で育った私は、当たり前のように「山にも持ち主がいる」ということは、意識したことがありません。

山に入って果実を食べることはしても、山は「手入れする対象である」という感覚も、山に生えている多様な種類の木にも想像を働かせることはありませんでした。

ところが、コンプレックスにいると木を扱うことがよくあります。薪ストーブに使う薪を確保するためです。よく木を伐る場面に出くわします。そして、私の出会う神山の人たちは、さも当たり前のようにチェーンソーを使いこなし、鮮やかな手捌きであっと驚くスキルを披露します。

・・・・そういえば。当たり前に接してきたけど、神山町ではなんでこんなにたくさんの人が大小様々なマイ・チェーンソーを持っていて、山に生えた木を当たり前に伐るのか。


コンプレックスの薪を作っている様子

移住してきた私は、そんなスキルを持った人たちから学ぶばかり。誰かにとっての次の「彼ら」になることは果たしてできるのか。「彼ら」がいなくなったら、百姓スキル(文化)ごとすっぽり消えてしまうのか。

「百姓きこり」たちが、スキルをどこで身に付けたのか。解剖したいと思います。

なお、百姓きこりとは、私の勝手な造語です。「百姓きこり」とは、メインの稼業が別にあって、自給的(副収入的)に木を切っている人のことをさします。神山は、専業で林業をやる方も多い町ですが、木が暮らしの中に溶け込んでいるため、薪割り、木の伐採など当たり前に自分でやる力を持つ方が多いです。百姓と聞くと、差別的な意味があると感じる方もいらっしゃるかもしれません。けれど、私は「マルチな暮らしの技を持ち、土地に根ざして生きる人」という意味で、尊敬の念を持ってこの表現を使えたらと思います。
※1:NPOグリーンバレーが運営をしている「まちの仕事場」神山バレー・サテライトオフィス・コンプレックスの通称。

自分の家の山と木

「木を伐る」で一番に私が思い浮かべたのは、杉本哲男さん。コンプレックスの薪などについて、いつも相談に乗ってもらっています。今回は杉本さんに、木をめぐるお話を伺ってきました。


森づくりで山に入っている杉本さん。この日はオレンジのつなぎではない。(ニコライさん撮影)

杉本家は、家業として元々何をしてきたんでしょうか

今は農業しかしてないけど、昔は農林業と言って、祖父・親の時代に、農業・林業、それぞれ並行してやっていた。

農業として、畑でタバコを栽培していた時期があったけれど、その後、花卉花木(時代の流行りによって変わってきた;黄金ヒバ、椿、紅葉、台杉など)を栽培して、今もヒバなどを栽培しよるよ。


畑に植えられた台杉と杉本さん。手前の木は杉本さんが伐ったもの。

林業としては、山に杉やヒノキを植えてきた。多分、昔は切った木をそのまま売るんのほかに、焼いて炭にもしよったんちゃうかな。自分の家の山で(炭を)作ったと思う。需要があったんだろう、それも売りよったと思うよ。

それ以外に自分達が食べるための米、いも、大根などを育てていた。芋ばっかり食べよったけん、もう食べ飽きて芋が嫌い笑

夏にタバコを栽培して、冬は木を切って。炭も作っていた。神山に「きこり」と呼ばれる人は居たのでしょうか。

きこりは、よーけ(たくさん)おったよ。「農林業」をする人は、少なからずきこりでもあるから。基本的に木は、自分達で手入れして、自分達で伐ったはず。

林業は育つまではそんなにやることはないから。手入れは、植林した杉・ヒノキの周りの下草をかって、成長してきたら枝打ちしたりっていう感じかな。枝打ちした枝は、生活の燃料として使ったりした。

ただ、やっぱり家の人だけで全部はできへんから「きこり」を専業にしとる人もおったやろな。運び出しの時は、「馬搬」がおったと思う。

杉本さんが木を切り始めたのはいつですか。

小学校の時から、親と一緒にノコギリ持って山へ入りよった。直径10センチくらいの木は、それで伐ってたな。中学校に上がったら即戦力やから、運び出しや力仕事もするようになった。

神山校を卒業して就職。町外で7年過ごして戻ってきた。そのころもちょっとは木を伐りよったけど、本格的にするようになったのは、2003年に始まったグリーンバレーの「森づくり」事業を始めたあたりからかなー。


コンプレックスにあった、使えそうなチェーンソーを手入れしてくれている杉本さん

「森づくり」をきっかけに本格的に木を伐るようになったんですね。家の山の木は、どういう時に伐るんでしょうか。

邪魔になった木や年齢が来た木を伐りよるな。

伐った木はどこへ?

森林組合で売るか、捨てるか。薪にするか。

なるほど。道具を扱えること=木を伐れることではない気がしてきました。例えば、自分の家の山がどこにあるかもわからない人が少なくないと聞きます。自分の家の木はどうやって見分けるんですか。

自分の家の木の見分け方は境界線が目印になる。山の中は真っ直ぐに境界線がひかれとるところが多い。それがわかるように「境木(さかいぎ)」を植える。境木には、杉ばっかり植わっとる土地だったら、境界線上にヒノキを植えたりする。

それか、境界になるとこに薄い石を一枚、線に沿って頭だけ出るように埋めてな。年いった人やは見分けつくけど、山に入ったことない人、見慣れてない人やったら、その辺に転がっとる石と見分けのつかんだろうな。

山の境界線はこんなイメージ。
※石は2枚ではなく1枚でした。動いたらわかるように、石の下に炭を埋めているとか。

山に入って、見て覚えるしかないということですね・・・。境界線がわかるようになったとして、どういうふうに親から「これがうちの山よ」って聞かされるんでしょうか。

山の名前と人が歩く道を基準に、大体どの位置か認識する。

山には正式名称と通称があって、親からは、通称を使って「"アカダケ"のこの辺にある」みたいな感じで聞く。子供の頃から親について山に入りよったけど、山の相(そう)が違いすぎてほんまにここやったかなと思う時がある。普段山に入ってないとわからんようになるね。


 

杉本さんの話を聞いて、百姓きこりに求められるスキルはこんなものではないかということが見えてきました。

①木を伐ることができる、道具を扱える
②山の土地勘がなんとなくある
③伐ってもいい木の見分けがつく(山の境界線がわかる)
④木の種類がなんとなくわかる
⑤木の伐り時がなんとなくわかる

子供の頃から山に慣れ親しむことで自然に培われてきたスキル。これが杉本さんの場合は、「森づくり」をきっかけにさらに磨きがかかったようです。

誰でも気軽に参加できる「森づくり」のイベントは、次の「百姓きこり」を育てているのではないかと思いました。ただ、道具を扱えるだけでは、実際に木は伐れなさそうです。木や山、土地についてよく知っている。日頃から山に親しむことが、「百姓きこり」への第一歩になりそうです。


 

番外編:毎日養う、木こりの目 − 境木を見分ける
大粟山にも、境木がたくさん植えられているらしい。
探しながら歩いてみました。全然わからない・・・


境木、私の目にはまだまだ見えません・・・。

山の境界線についてまとめた記事があったので、ご興味のある方はぜひ読んで山を歩いてみてください。
ここにも?あそこにも?山の境界線が!
山の境界(杭)について
山の境界石
森林所有者のための初級講座
ある山主の手記