2010年12月に始まった「神山塾」は現在15期。もうすぐ16期の募集が始まるそうです。

累計200人を超える塾生たちは、神山に住み始めた人、神山の外で神山と繋がっている人、さまざま。11期以降開講はしばらくお休みしていましたが2021年11月から3年ぶりに、12期が復活しました。以降、13・14・15期と続いています。そこで、神山との関係性を続けている最近の卒塾生の皆さんに、神山で感じたことを聞いてみました。

まずは、「神山塾って何?」という方のためにも、振り返っておきましょう。

神山塾は、ハローワークの地域滞在型の求職者支援訓練。徳島市の(株)リレイションが訓練実施機関です。神山町農村環境改善センターを学舎に、かつてはイベントプランナー養成、現在は「地域環境循環SDGs(ものづくり)コーディネーター養成科」という学びをしているとのこと。


今回は、元塾生(4期)で神山にすっかりなじみ、15期以降は神山塾講師も務める吉澤公輔さん(通称:ハムさん)、13期生の谷口果和さん(みわちゃん)、14期生で今はリレイションでも働く横手雅史さん(マーシーさん)にお話を伺いました。

最近の神山塾の塾生の皆さんは、以前とどんなふうに違いますか?

 吉澤 ちょっと塾生に変化が出ましたね。もともと徳島在住の人が増えた。以前は半年間、午前も午後も1日中、授業がみっちりありました。初期の頃は、塾生は「スキーランド神山」に1ヶ月泊まり込みながら午前も午後も授業というなかなかのスケジュールでした。
神山に引っ越して、ここで生活する人がほとんどで、徳島県内から通う人は毎期1−2人だけだった。

だけど、コロナ後に再開した後の授業は、午後のみになりました。だからなのかな、13期以降は、徳島在住の塾生が増えてきた。もともと県内に住んでいて、住む場所を変えずに通っている人が増えてる。神山在住の人もいる。それから、年齢層も変わりましたね。例えば、今の15期(13人)は、サラリーマンを引退してから入っている人、子育て中の人。ご家族の転職で引っ越してきた50歳前後の人とか、いろいろな人がいる。

人数が増えるごとに、いろいろなキャラクターの人が増えていきますね。でも、期が変わっても同じなのは、みんな塾が始まった頃と卒塾の頃を比較すると、しゃべることも喋り方も、変わってくること。神山塾で、たくさんしゃべっているうちに自分の方向性が定まってくるのか、自分が興味があることが定まってくるのか…。

入塾後、話をすることに慣れてなくて合間に「えーと」や「えー」と言う人も、卒塾の頃は、端的に、的確に話せるように変化する人も多い。自分の気持ちを素直に言う人も増えますね。


<吉澤さんはこの写真を撮影した神山メイカースペース(KMS)でも主要メンバー>

次に、13期のことを、谷口さんに聞いてみました。

13期のみなさんはどうでしたか?

谷口 13期は、県外から引っ越しを伴ってきた人は4−5人で、それ以外は県内在住。もともと神山に住んでた人が4人ほどいました。午前は自分の好きなことをやって、授業は午後の4時間というスタイルは私には、ちょうどいいペースでしたね。塾初日に「1日がっつりやってた以前は、大変だったろうね」と話をしていましたね。


<神山塾の授業の一環で、江田の集落で田植え体験。谷口さんは写真右>

「神山塾」のことは以前から知っていた?

谷口 はい。知ってたんですが、でも、意識の高い人が行くという認識だった。神山って先駆的なまちだし、自分が行けば浮いちゃうだろうな、と思ってた。

神山塾のことを知ってから7−8年ぐらいたって、2021年12月からの13期の募集に、ハローワークで出会ったんです。その頃の私は、ほぼ立ち上げから関わった本当に大事な仕事の担当が終わって9月に仕事を辞めたばかり。前向きに立ち止まろうと思って参加しました。神山塾は、「格好つけなくていい」「助けてって言おう」「わからないことはわからないと言っていい」っていう空気。自己紹介・他己紹介を1ヶ月間やって、お互いに自分のことを話し合うんです。ほんとうにいい時間でした。人と関わるリハビリにもなりました。

「塾生です」って言うだけで魔法みたいにかかわってくださる方がたくさんいました。それから、自分で自分の働き方を作っている方にたくさん出会いました。何事もガチっと決めすぎない生き方を、楽しみながら自分の生きたいように生きている。そういう出会いがたくさんあって、自分も得意なこと、好きなことを伸ばす働き方を選んで生きていこうと思えたんです。

卒塾した私が、また周りの人に神山や神山塾の良さを伝えてる。こんなふうに、つながってきたし、つながっていくんですね。

 


<今は阿南から神山バレー・サテライトオフィス・コンプレックスに通って仕事をしている横手さん>

今度は、14期について、横手さんに聞きました。

神山塾を知ったきっかけは?

横手 実は、高校を出てからずっと大阪だったので神山っていう場所もあまり知らなかった(笑)。ハローワークで職業訓練校のパンフを見比べていたら、神山塾だけあきらかに異質だったんです。ちらっと読んで直感で決めました。大阪でデザインをしていましたが、地方でのデザインということにも興味があって。40歳という区切りに阿南市の実家に戻ってきていました。

大阪で働いていた会社では、お客さんの要望は営業の方が間に入って伝えられる形。お客さんと顔を合わせることが少なくて悶々としていました。阿南に戻ってからは、「お客さんと直接やりとりしたい」という気持ちが強かったんです。お客さんと共に良いデザインや、ものづくりをしていくために、しっかり関係性を作っていきたい。だからもう1回、コミュニケーションの取り方のような根本的なところを改めて学びたいと思っていたんです。

14期はどうでしたか?

横手 14期は、20ー60代と年齢も幅広かったですね。年齢もバックボーンも、性別もバラバラ。普段なら出会えない、すぐに友達にはなれんかったであろう人たちもいました。
だけど、年齢の差を気にしたことは、ほとんどなかった。対等な関係性で話をする場が神山塾。体力の差や話すスキルの違いはあるけれど、若い人も年取っている人も関係ないなというのがあって。一生懸命、考えて話す、聞くという時間がひたすら、流れている。

対話、ということの難しさと面白さを日々実感していました。「今までの自分だったら、帰っているけど、今日は授業の後も残って、みんなと話をしてみよう」という小さな勇気を絞り出すというような感じで。お互いに距離感を探りながら小さい挑戦、冒険を積み重ねた4ヶ月でしたね。自分にとっては貴重でした。神山塾に来たからこそ、今の自分があると思います。


谷口さんは、神山町に今も通っていて、いくつか仕事を掛け持ちしながらインド・スリランカ発祥の療法アーユル・ヴェーダの出張サロンを開いています。横手さんは、ご自身のデザイン業とリレイションの業務を両立。13期以降のみなさんも町内に定住した人、通っている人もたくさんいて、まちと深い関わりを続けています。15期もまた、町内・県内・県外から集まった人たちが改善センターやまちの中でさまざまな学びを継続中です。16期もどんな人が集まってくるんでしょう。楽しみですね。

(※今回の記事は(株)リレイションとは関係なく、あくまで卒塾生みなさんの主観をもとにした記事です。)