
何ができる人かを表現するのは難しい。でも共に幸せに生きていける自信がある/あゆハウス通信Vol.28
なんでも2025年3月31日
2022年から3年間に渡りあゆハウスのハウスマスターを務めた、なむちゃんこと中村奈津子さんがこの春で卒業します。
毎年、恒例となったあゆハウスの卒寮ライブと卒寮式(ともにニコライさんの記事参照)を無事に終えて、ホッと一息…つきすぎて「ちょっと燃え尽きた感があります」と話す中村さん。灰になってしまう前に、卒業インタビューとして今感じていることを聞かせてもらいたいと思います。
話し手は、この3年間を二人三脚で歩んできた中村奈津子さんと兼村雅彦さん。
聞き手は、寮生のキャリア相談でもお世話になっている的場陽子さん。的場さんはデンマークにある“人生の学校”と言われるフォルケホイスコーレへの留学を経て、沖縄の久米島でのハウスマスターを経験されました。神山へはあゆハウスができる前と昨年の春にも訪れていて、いつも温かく見守ってくれています。
ハウスマスターとしての在り方やお互いの関わりに焦点をあてながら、これまでを振り返ってもらいました。
(書き手:森山円香)
<聞き手を務めてくれた的場さん>
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大人もメンバーの一人としてそこに居る
なむさん(中村)に燃え尽きた感じがあるってことは、3年間、気力と体力を注いで燃やし続けていた何かがあったということですよね。何に対してだったのか、聞いていいですか。
中村何に対して・・・。3年生が無事に卒業したのは、ちょっとホッとしたよね。
兼村そうね。
中村今年の3年生はコロナど真ん中の時に中学時代を過ごしてきた代で、人との関わりが希薄な中で高校進学。そんな背景もあって、生活面や精神面でのサポートが必要な場面もあったと振り返っています。でも一人一人が、自分の限界を何度も超えて成長し、たくさんの人に愛され応援されて、神山をふるさとにして卒業していってくれました。
最後、卒業式と卒業ライブの周辺の日々がすごくドラマチックだったんです。卒業ライブ前々日の夜に、中心になって進めていた子が「このままじゃ『やらなければよかった』って思う。みんなで集まって話したい」と、共用部で集まって話すことになって。「おー、ラストやり切るなーー」と。
そういう場面で、なむさんはどういうふうに一緒にいるんですか?
中村その時は、話し合いの中で自分もメンバーの一員として思っていることを言いました。でも私の一言ではそんなに流れは変わらなかった。それでいいと思ってるんですけど。それとその場が終わってから、何人かから「なむちゃんちょっと聞いて」と、思っていることを聞かせてもらったりしていました。
大人の発言は影響力が大きくなってしまいやすいけど、自分自身はメンバーの一人であることを心掛けているし、寮生たちにとって今、思ってることや不安に感じていることをちょっと話してみようと思える存在でありたい。話して整ったら今度は寮生同士で話をして、前向きな方向に向かっていける彼ら彼女らのことを本当に立派だなと思っています。
いくつかのドラマと、その都度話し合いをへて、卒寮生を無事に愛いっぱい送り出すことができました。
<今年のライブはメンバーの一員としてバンドにもチャレンジ>
<卒業ライブの集合写真。寮生一人一人のことや活動を愛いっぱい支えてくれた神山の地域の大人たちと>
「やらねばならない」という態度が関係性をおかしくしてしまった
大人の発言力で場を変えてしまったなと思った時もあったんですか。
中村私、畑が好きなんです。業務としても、あゆハウスの畑のことは私が担当で。土を触りながら人とつながることや、自分たちでつくったもので食卓を囲むのとか、そうして暮らしをつくるのは私自身好きだし、あゆハウスとしても大切にしてきたことの一つです。
でもあゆハウスの畑仕事は寮生の中でなかなか定着しなくて。なので、私もちょっと業務としてやらねば感込みで寮生とやり取りしたり場づくりをしていたんですけど、なかなかパワーがいる感じになっちゃって。
当番制にすると管理としては回るけど、やらなければいけない感も出てきて。畑仕事が好きで自主的にやる子とそうでない子の差が大きくなり、意欲持って取り組んでいた子と私の関係もギスギスしてしまった時があったんです。
それで、なんで私はピリついていたんだろう。やらねばならないと思うプレッシャーや態度はいい影響じゃなかったな、と見つめ直して。「やらねばならない」「こうあるべき」という考えや態度が、関係性をおかしくしてしまうことはあるなと思いました。
その後スタッフとも寮生とも話して、今は本当にやりたい子4、5人がチームになって寮生主体で進んでいます。
外部の私からすると、あゆハウスは食を大事にしていて、それが生活の中で自然と感じられるような文化があるなと思っていたんですが、何がなむさんを「やらねばならない」にさせていたんですか。
中村スタッフ間での「あゆハウスは食を大事にしてるから、農業高校の寮だから、野菜づくりはみんなでできた方がいいことだよね」という共通認識が、自分の「やらねばならない」になっていたんだと思います。
ハウスマスター同士はシフトが被らないので、お互いが寮生とどんな関わりをしてるかを直接見あう機会はほとんどないんですね。畑に関する一連のやりとりを業務日誌に書いても、細かな変遷や気持ちまではなかなか共有できていなくて。
「仲良い子だけでやるんじゃなくてみんなでやってよ」みたいに言われて「あ、(みんなで)やらねばならないのか」と思ってしまった。それで一回破綻して、活動しきり直しのタイミングでハウスマスター同士でしっかり話しました。
その時に、まささん(兼村)から見えていたことを聞かせてもらったり、「俺は畑やってないからあんまり言えんけどさ」って言葉を聞けたり、私からもこういうことがあったんだよと伝えられたり。お互いに話せると、現場を持ち合えると思いました。
まささん視点で、覚えていることあります?
兼村僕の性質的に、偏りがあると気になるので、なるべくそうならないようにする意識が強いのかなと思っていて。畑のことはお任せしていたのであまり言えた口じゃないなと思いつつ、感じている偏りについてどう伝えようか悩んでいた気がします。いきなり意見ぶつけるのも難しいなと思っていて。
あるタイミングで話せてお互いの目線が見えて、変わっていけたのがよかったと思っています。僕は役割的にバンドしている寮生たちに関わることが多かった、他者の人の寮生との関わり方に思うことがある反面、自分の寮生との関わり方はどうなのかなと結構自問自答するんですよね。
今話しているお二人のグッとした感じ。率直に思ってることもあるし、でもそれをどう伝えようとか伝えていいんだろうかとか葛藤しながら、本質的なことを交換し合えた時間だったのかなと思いました。
<隣の敷地を借りて、開墾作業から始めた畑の活動>
<隣の敷地はあゆひろばと名付け、子ども食堂として場を開いたことも>
<鶏を飼い始めたり>
<アースオーブン(ピザ釜)づくりをしたり。あゆひろばは寮生のやりたいことを実現できる場であり、活動を通して寮生同士や地域の人との繋がりが育める場となってきています>
ありがとうとごめんなさいでやり直せる関係
同じ生徒と一緒に暮らしながらもスタッフ同士の時間が重ならないというハウスマスターの仕事というのは結構特殊だと思います。その中で日々意識していたコミュニケーションはありますか?
中村男女2人のハウスマスターって家族でいう夫婦感があるんですよね。二人がギスギスすると寮生=子どもが波立つというか。
まささんはいつも「僕たちハウスマスターも寮生と一緒で、どちらが正解も間違ってるもなく、話し合って折り合いをつけていくのが大事」と言うのだけど、それがベースにあるように思います。
自分自身は関わっている子に関することだと温度が高めなタイプで、やりとりする人によっては圧力にも感じられるのか、(それが積もると)シャットアウトされちゃった経験もあったのだけど、まささんはそこに振り回されず受け止めてくれるし、正直に話してくれる。それがありがたかった。だから現場の重なりが少なくても、つながりあっていられたなと思っています。
まささんは今のを聞いてどうですか。
兼村正直に話したり、ありがとうとごめんなさいを伝えたりして、お互いに気持ちよくいられる状態をつくれるのは大きい気がしていて。そもそもそこがないと苦しいですよね。
寮生には「思っていること話そうよ」と言うのに、大人が話せないのは一番アレだなと思っていて。伝え方やタイミングは難しいけど、話せるのがいい関係だなと思いますね。
僕は瞬発的に思いを伝えるのは得意じゃなくて、少し待ってみようかと思うことが多い。隠しているわけじゃないけど、タイミングを掴むのが難しい。
そういう僕たちの性質の凸凹感も、寮生にとっても良いものなのかもなと勝手に思ったりしています。
中村私、まささんと一緒のハウスマスターでよかったなと思ってます。これはちゃんと理由を伝えておきたいの。
場や大人の都合で落とし所をつけたり、決めつけることもなく、子どもを真ん中に置いて話せることとか、ありがとうとごめんなさいでやり直しができることとか。そんな風にやりとりができるって当たり前じゃないと感謝しています。
それに、何ができるようになるとか何の意味があるかじゃなく、寮生の滝行につきあったり、ゲームしたり、夜のドライブしたり、季節ものの氷瀑もタイミングを逃さない。そういうことができるまささんを尊敬しています。まささんの関わりを見て私は企画や活動を通して寮生と関わることは多いけど、なんでもない時間は事務仕事しがちだなぁと振り返ったりしていました。
一人でなんでもできるわけじゃないから、お互いに自分の得意なことを出し合ったりして、一緒に関心や息を寮全体に届かせあっていた感じでした。
年末にお手紙をもらって「よ!相棒! ガラじゃない?!」って書いてくれていたのが、めっちゃうれしくて。私もまささんが相棒でよかったし、このペアだったから今本当にいい寮だと思える。
寮の暮らしはその時いるメンバーでつくっていくもの。私が抜けた後また新しいメンバーでつくっていくものだし、寮のあり方は変わっていくと思う。けど、一緒につくってきた期間、その時にあった活動が寮生主体で、その時々のメンバーのらしさが滲み出る暮らしやチームを作っていけたことや、想いが交わしあえる関係性でできたことに感謝です。いい時間だったと思えています。
ハウスマスター自身も、自分をそのまま出す
先ほど子どもを中心に置くという言葉がありましたが、そこに固執しすぎると自分を活かせないことが出てくるようにも思うんですよね。自分のことを横に置いて、心身を削るほど捧げ過ぎたり。でもお二人の様子を見ていると、ご自身のこともちゃんと取り扱ってバランスを取っている感じがします。
兼村どうバランス取っていたの? そういう話はしたことない。
中村複数の居場所があるといいよね。まささんにはエタノホ(江田集落での米づくり)があった。私はパートナーともう一つの仕事とあゆハウス。でもパートナーが転勤してからはあゆハウスの存在が大きくなって、私のもう一つのおうち、大事な場所になっていた。
別の仕事がすごくハードだった時に、寮生たちが何があったのか聞くでもなく「なむちゃん、いつもがんばってるもんね」ってハグしてくれて。次の日にアップルパイを焼いてくれて、一緒にお茶会をしたんです。寮生に支えられたのがすごく大きかったな。
私、今本当にさみしい。でも3年生が卒業したら言いにくくて。今結構、燃え尽きというか、マリッジブルーみたいな感じ。
<何かあっても何もなくてもよく開かれた夜のお茶会>
なむさんは、軸足はいくつもに置いていたんだろうけど、まるごと感がすごい。感情も、いろんなものも含めてまるごとそこにいる感がある。前職もそんな感じでしたか?それともあゆハウスで引き出されてきたもの?
中村前職のフリースクールは、カウンセリングをベースに子どもと関わる理念を持ったところで。人は植物と一緒で、光に向かって伸びようとする存在であって、何か問題行動をしていても調和や成長、より良い方向へに向かおうとしている表れと見る。そういう人間観と、受容、共感、自己一致という3つの在り方を大切にしていました。
まるごといる感は自己一致のこと。自分をそのまま出すのは、自分の元気にもつながるし、そういう人が場にいるとその場や一緒にいる人の健やかさにもつながると思って。話し合いの時も日常もなるべく自分の心をオープンにするよう心がけていました。
<盛り上がったリズムゲーム>
<難しいチームゲームを時間かけてクリアした花金深夜、喜びの集合写真>
<寮の企画、ハロウィンにて仮装。アイメイクがうまくいかずなんだかホラーチックに>
<変な顔に撮れてしまった写真の顔を真似されて笑ったり。くだらないことでよく笑い合った日々>
<エタノホの稲刈り作業後、思いがけず片付け作業の延長戦に。
終わったと思い、着替えたガウン姿で作業再開。作業終わりには空に虹が>
言葉にしなくても伝わっているものがある
人それぞれだけど、中学生くらいから自分が一致してないかもと気づき始めて、どう一致させていくか試行錯誤する10代があると思っています。
そんな中、頭でいう自己一致よりも体の自己一致、それも100%でなくてもよくて、時にはバランスも崩れるけど、その感覚を知っている大人が近くにいるのは、すごく大きいことだと私も思うんですよね。
中村前職では毎日関わるのは幼稚園児だったけど、高校生は年齢も高くてより近い存在。私はいちいち理念とか言っていないんですけど、「その人がいると話しやすくなるような存在って話し合いに必要だよね。なむちゃんの声かけがそうだよね」とか「なむちゃんといると、元気・やる気がでた!」とか「話すの難しいと感じる人にもなむちゃんの真似して話してみたら上手くやりとりができたんよ」とか、大事にしていたことを理屈とか理念で伝えなくても受け取ってくれて。いっぱい人や私に返してくれていたことががうれしかった。
オープンマインド、傾聴、受容、温かい眼差しで人のことをみる。そういうのを一緒に暮らす中で教えなくても、寮生が受け取って、受け取ったものを人に返して。そうやって3年間一緒に・・・。(言葉に詰まる)
寮生は私にとって、大切なことを共有している仲間であり、愛が通い合う家族であり、元気の源でした。
私、全く新しい土地で一人で旦那の帰りを持ってる生活、元気にできるかなぁって思っちゃう(泣)。
兼村がんばれ、がんばれ。
<ある日の食卓>
さっきなむさんが言った受容・共感・自己一致はロジャースの三原則と重なっているように思います。まささんの中では、自己一致と言う言葉を使わなくても、体感覚をこういうときに取り戻したり育てているなという感覚はありますか?
兼村崩れる時って僕の中では見方が偏っている時だなと思っていて。僕も偏らないように意識しているし、寮生にはそういうのを知って欲しいなと思って関わっています。
例えば、僕も嫉妬はあるんですよ。なんでなむちゃんには言って俺には言ってくれないの、とか。大人だから経験も視野もあるけど、やっぱりそういうのに引きずられてしまう時もある。いやいや、必要だからあの人のところに行ったんだよな、と考え直して自分を戻していく。自分はそうやってバランスを取っている気がします。
ズレが生じた時に見ないふりをせず、ちゃんと二人でも寮生とも話して、自分たちの重心を見出していってますよね。かつての重心とは位置が変わっているかもしれなくて、新しい重心を探していく作業を日々重ねているのかなと思います。
その時に都合の良い、なんとなく合意形成できそうな暫定案を出すことも、その場を波立たせすぎない気安い言葉をかけることもできるじゃないですか。でもそれでは意味がないことを二人は分かっているんですよね。
中村あゆハウスも6、7年目になって、年数重ねるほどあゆハウスらしさとか前例とか、落とし所が決まってくることもあると思うんですけど、その時のメンバーでその時の状況でそこにいる人たちの思いで毎回つくられてくのがいいなと思っています。
そんなふうにあゆハウスが、ここを選んできた子たちにとって、地域への恩返しとか進学の実績のためじゃなくて、やりたいことを見つけて、失敗もできて、その子らしい成長ができる場所であってほしい。寮生も大人も育つ場であることを願っちゃいますね。
何ができるかよりも、幸せに生きていける自信を
最後に。お二人が何を活かしながら、何者として過ごしていたか、聞いてもいいですか。自分が意識してじゃなくて、お互いや寮生によって活かされたなぁと思うことでも。
兼村月並みになっちゃうけど、(ハウスマスターは)親でも友達でもないんだけど、関心を持って見てくれる大人なのかなという気がします。
社会を見ても、そういう役割って今少ないんだろうなと思う。ちょっとおせっかいする、お兄さんなのかおっさんなのかわからないような人。そういう存在って結構大きいかなと。
僕自身も、そういう存在がいたから安定していられるというのがあって。田んぼの師匠がそうなんですけど。それを僕もやっている感じかもなと思います。
なむちゃんとは陰と陽だったなと思います。僕が陰で下を揃えてる感じで、なむちゃんは上をあげていく感じ。時には入れ替わることもあったと思うけど。
僕は、課題がある子が気になってしまう。自分にそういう性質だったから、見えるところもあって。そういうところに力を入れていたと思います。
中村まささんの、気になる子に対してずっと声かけて活動を一緒に始めちゃうまでやっちゃうところ、本当にリスペクトしていて、いい兄ちゃんだなと思う。
あと、まささんが時間にルーズなのとか何かを忘れてたりとか、寮生は大好きだよね。
兼村大好きなのか?
中村大好きだよ!「もうー、まささんー」って言ってる時、誰も怒ってないよ。うれしそう。人って完璧じゃないからこそ愛されることを、存在を通して伝えてるなと思う。
なむさんの活かされていた部分はどこでした?
中村卒寮ライブで寮生がメンバー紹介をするときに、私のことを「ハッピーマスター」って言ってくれて。深く考えたわけでなく、本番2分前に出てきた言葉だったらしいんですけど、すごく気に入ってて。
前の仕事も今の仕事も、キャリアや職歴で何ができる人と表現するのはすごく難しい。でも私、一緒にいる人と、一人一人の持ち味を生かし合いながら暮らしをつくったり、信頼関係を築いて、共に幸せに生きていける自信がある。寮生ともそういう暮らしや関係性を一緒につくれた3年間だったかなと思っています。
今の言葉に「何者として過ごしていたか」も包括されている感じがしました。ありがとうございました。
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ハウスマスターという存在は、親でもなければ、寮母さんともまたちょっと違っていて。じゃあ何かと言われると、なかなか説明のしにくさがあります。これまでになかった仕事なのだから当然のことなんですけど。
与えられた肩書きや業務内容で自分の仕事を定義するよりも、場をどう見ていて、その場で自分はどう在るかを常にアップデートしながら表現し続けていく。それはかなり根気のいる営みなのですが、あゆハウスのハウスマスターたちはそこに真摯に向き合い続けているように思います。
あゆハウスのハウスマスターに、ハッピーマスターという一つのモデルを確かに残してくれた中村さん。3年間お疲れ様でした。
中村さんは春からは一度神山を離れて、パートナーと新しい生活を始めるそうです。
心から笑ったり泣いたり寂しがったり、あるがままでいる中村さんと、またどこかのタイミングで会えることをみんな楽しみにしています。卒業おめでとう。
あゆハウス (ayuhouse.yoriinishi@gmail.com)
城西高校神山校の寮は、鮎喰川の「あゆ」をとって、「あゆハウス」と呼ばれています。 「あゆハウス通信」では、あゆハウスで暮らす高校生・ハウスマスターが日々の活動を定期的に発信しています。 「地域で学び、地域と育つ」をコンセプトに、神山でさまざまなことにチャレンジする私たちを温かく見守っていただけたら嬉しいです。
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