KAIR2019 村上郁さんの課外授業@神山中学校

アート2019年10月12日

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投稿者:Art in kamiyama

KAIR2019招聘アーティスト、村上郁さんが神山中学校1年生を対象に課外授業を行いました。
テーマは、「プロキオニデスをつくろう」!

自分の中の嫌な部分、もやもやする悪い部分をキャラクター化してもらおうという試みです。
アルミホイルを使って模った「キャラクター」を金槌で叩き、硬さと形状を整えていくという作業を通して、自分の恥ずかしい部分や怒られてしまうかもしれないネガティブな要素、違和感のある部分を、客観的に見る、そして対峙することを目的としています。
形が思い通りには作れないもどかしさも感じてもらいながら、責任転嫁の化身「プロキオニデス」を作っていきます。

まず、村上さんが用意した質問形式のシートに記入していき、自分では捉えることの難しい、もやもやしたものを引き出し、具体化してもらいます。


あなたの・・・
-誰かのせいにした(したい)出来事は?
本当は自分が悪いと分かっているけど、つい自分のせいじゃない、と思った出来事を思い出して、書き出してみましょう。

それでは・・・
-なぜ現実を受け入れられなかったのでしょうか?
何が実際にあなたの目を曇らせたのでしょうか。怒られるから?悲しいから?考えてみましょう。

では・・・
-一体誰のせいなのでしょうか?
何が現実を見えなくさせているかを考えてみて、自分に悪さをした「新しい化け物」を作ってみましょう。どんな姿か、どんな性格か、なにをあなたにしたのか、口癖や決めゼリフは・・・・・?

村上さんがみんなの席を回って、少し面白くて、キャラクターを見て笑ってしまうけど、思い出すと悲しいような、しんどかった出来事を共有します。

もやもやの輪郭が見えてきたところで、早速アルミホイルをちぎって叩いて、形を整えていきます。


バァン!バァン!バァン!と鳴り響く金槌の音!プロキオニデスが少しずつ姿を現します・・・!


 

光に照らされて、浮かび上がるプロキオニデス。
 

 


この後、別室へ生徒さんに一人ずつ来てもらい、自分のプロキオニデスに成りきって鳴き声や決めゼリフを言ってもらい、それを録音しました。誰がどのプロキオニデスかはわかりません。
この音源と、みんなに作ってもらった責任転嫁の化身は、村上さんの作品の一部として構成され、旧劇場寄井座で公開されました。




村上郁 2019年

作品タイトル:プロキオニデスを追う

手法・素材:インスタレーション(音声:5分ループ/映像 6分42秒ループ)

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昔話に出てくる生き物は、しばしば言葉では説明できない事態の原因として描かれます。

一般的にヴルペスとプロキオニデスは昔話によく出てくる生き物ですが、徳島県ではプロキオニデスだけ現れます。神山町でも同じだそうです。それだけプロキオニデスはかつての人間社会のなかでは身近なものだったということの現れだと思うのですが、一方、近頃ではほとんど見かけないという話も聞きます。開発や伐採、病気や狩猟などによって住む場所を追われているのではないか、ということです。

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私たちが昔話の生き物に託した役割とは、物事を突き詰めないための一種の責任転嫁でもあったりします。自らの失態を他人のせいにする、うっかりミスをプロキオニデスがやったことにする、などです。

一見、良くない考え方のように思えますが、抱えきれない現実を一時的に別の視点から見ることで、心理的負担を減らすという有用な役割もあります。もちろん責任転嫁ばかりしていたら、現実を見失いますが……。ようは諸刃の剣ということで、どこまで自分の思考の癖を理解して用いるか、ということです。

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かつては、その「心のクッション」だったプロキオニデスも、現在、神山町ではあまり見られなくなっているということですが、人の心はそう大きくは変わっていないはずです。現代に生きる人の物語の中では、どのような生き物が「心のクッション」の役割を担っているのでしょうか。それを探るために、中学校でワークショップを行い、彼らが思い描くプロキオニデスの姿形をパペット人形にしてもらい、さらに決めゼリフも演じてもらいました。

ワークショップでは、まず、それぞれに配布したアンケート用紙から人形のデザインをしてもらいました。その後、アルミホイルで成形し、カナヅチで叩いて平たい人形にするという工程で進めました。責任転嫁の化身であるプロキオニデスを叩くことには、一種の儀式的作用も担わせています。

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プロキオニデスの移動、あるいは減少については開発との関連が言われていますが、その開発の一つの発露として、神山町にある大量の建具の存在があると思います。とくに今回はたくさんの障子が集まりました。集まった障子の分だけ、住まい方の変化を想像させられます。ある家では障子が不要になり、ある家は壊され、など。

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ここに、プロキオニデスと神山町の生活環境の相似性を見たように感じました。

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そして、プロキオニデスが何かということは、お手持ちのスマートフォンで調べれば分かることですが、本当は何でもいいのです。

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すべてがプロキオニデスになり得ます。

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存在しないことを証明するのは困難なことです。「ない」ことを証明するためには、すべてを調べ尽くさなければならならず、ほぼ不可能に近いとも言えます。だからこそ、私たちは「ない」ことに対しては無頓着になり得ますし、「ない」状態をどのような位置に据えるか、ということになるかと思います。

神山町で過ごし、制作をしながら、そのようなことを考えていましたが、プロキオニデスには会えていません。

 

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