クウィン・ヴァンツ―

2015年度 神山アーティスト・イン・レジデンス招聘アーティスト

クウィン・ヴァンツーはアメリカ出身のアーティスト・建築家。現在は空間を用いた実験的な制作に専念し、芸術と建築の総合的な試みを通じて、建築物やその空間、私たちの身体の関係性などについて探求している。アメリカの南部で育った体験から、南部特有のホスピタリティーや社会の中での繋がりに特に興味があり、そういった要素も作品に取り込まれていることも多い。建築やそれらを取り巻く環境が日常でどのように作用しているかということを模索し、彼女のサイトスペシフィックインスタレーションは鑑賞者が作品を体験することによりデザインがそのスペースにもたらす効果や、体がどのように反応しているのかということを気付かせるものとなっている。
バージニア工科大学建築科卒業、クランブルック・アカデミー・オブ・アート建築科修士取得。
ベルリン芸術大学オラファー・エリアソン空間実験研究所研究生。現在はロンドン大学バートレット校博士課程在籍し、ロンドンを拠点として活動中。
(→Quynh Vantu Website

KYOKAI (Inside/Outside)    
境界(内と外)  

境界(内と外)は 、内と外という二つの存在を持つ。境界や敷居という概念を探求した作品、境界(内と外)は、パブリックとプライベート、内と外の通路を構成する建築的な要素を持つ構造物である。最初の敷居を跨ぐと、家のパブリックとプライベートな空間の境となる縁側に出る。縁側を渡り、身をかがめて低い入り口を通り抜けると、通路に至り、枠の向こうの外の風景が目に入ってくる。最後に、さらに狭い敷居を通ると、ソトノマ(外の間)の枠内にサクラの庭が眺められる。この一連の動きを通して、鑑賞者は空間を体感し、空間を通して、違った周辺の風景を見ることができる。建築物、芸術とは、体験するものであり、世界を見るためのレンズである。建築をただ見るだけではなく、それを通して見るもの、また、体と空間との関係性を体験するものなのだ。

私は、日本各地を旅して、人々の温かいおもてなしや自然への認識、また、自然素材の香りや様々な表情を持つ建造物に感銘を受けました。ただ、旅行者としての私が望んでいた、周りの景色を楽しみながら、休める公共の場所はあまり見当たりませんでした。そこで、神山では、日本建築のプライベートな空間をヒントにし、みんなが寄り集まって、腰を下ろし、くつろぎながら、美しい自然風景を堪能できるような公共の空間を作りたいと考えました。地元産の杉や青石を使っており、耳を澄ませば、透過性のある杉の壁に組み込まれたエオリアン・ハープ(風のハープ)を通して、神山の風の響きにふれることもできます。境界(内と外)は、神山に根付く、旅人や遍路をもてなすお接待の精神を形にした作品です。 是非この作品を体感し、楽しんで下さい。

[作品情報]

展示場所:神山町農村環境改善センター 駐車場/ゲートボール場跡
材料:杉、青石、テグス、ピアノペグ

サイズ:5mx5mx3m


[コメント]

クウィン・ヴァンツーは、アメリカ出身で、大学・大学院において建築を学び、建築家・アーティストとして世界各国で活動をしている。現在は、建築的アプローチによる空間を用いた実験的作品を制作している。空間と身体の関わりを考察してきたヴァンツーにとって、社会とアートの関係性は必然ともいえるテーマだ。社会と関わることは人間に代表され、コミュニティやホスピタリティは生まれ育ったアメリカ南部の風土から培われてきた重要なキーワードでもある。したがって、建築とは独立した空間や立体ではなく、環境や地域と<つながり>を持つことが重要であり、その関係性をモチーフに作品が制作されている。ときにインタラクティヴという人々が関与することで成立する作品であったり、プロセスワークとして敢えて過程を観客に公開するという手法をとったりする。これらは美術の世界では、特殊な制作方法として位置付けられているが、建築には必要不可欠ともいえる行程である。彼女は、ベルリン芸術大学のオラファー・エリアソン空間実験研究所に所属したことで、社会とアートは強固な命題となり、空間と人間の関係は、より密接になったと考えられる。

大粟山アートウォーク周辺や町内に点在する候補地から、農村環境改善センターの駐車場を選び、木造の構造物を設置した。ここならいつでも作品にアクセスできるし、アート関係者でなくても偶発的に出会ってしまう場所だ。桜並木と向き合うように建てられ、桜の季節には花見舞台として人々が集うステージになるだろう。スリット状に構築された木材建築は、茶室や能舞台というミニマルな空間を彷彿させる立体作品であり、日差しの角度で様々な表情を見せる。このベランダのようなフェンスのような立体構造体は、何かの役割や用途を明確にしているわけではない。むしろ、多様な解釈や活用が可能であって、いわゆる野外彫刻でもなく、パブリックアートともいえない。むしろソーシャルワークとして人間が関与することを要求しているともいえる。人間が壇上にあがったり、会合したりする機会を望んで待っているが、そうだとしても、それすら必要のない独立した空間作品なのだ。
嘉藤笑子 (武蔵野美術大学非常勤講師、AAN代表)