【神山の半鐘】上分
パート1
なんでも2012年7月4日
【神山の半鐘物語】
半鐘は町内にいつごろから建てられて、いつごろからなくなっていったのだろう。
神山町史を開いてみると、
■明治35年、西上角に久保嘉太郎氏が警鐘を購入した
■大正12年、現下分地区に警鐘台設置
■昭和9年、阿野村に警鐘を3円で購入
以上のことのみしか書かれていなかった。
その後、各集落に建てられたと思われるが、柱には木製で風雨に強い「ヒムロ」や「栗」が使われた。しかし、戦争中に鐘を供出したり、その後は盗難にあったものもいくつかあるらしい。町合併後は鉄製の警鐘台が各地に建てられている様子を眺めながら学校へ通ったものだ。
昭和54年には名西消防署の設置。昭和60年より防災無線の建設が開始され、平成8年には町内全域に完備された。火事や災害のときは重要な役目を担っていた半鐘もその後はいよいよ出番がなくなり、また柱が老朽化し危険な状態になったため、取り壊されて年々少なくなっていった。昭和30年、神山町合併当時の人口は2万人余り。その後、転出や町外就職によって現在は3分の1まで減少し、限界集落となった杉林の中にひっそりと立つ半鐘は、今ではその存在場所さえも忘れられようとしている。
私が半鐘の音を最後に聞いたのは確か小学生の頃だったか・・・・。
そして、町内の風景を撮影に行く途中にいくつか目にした半鐘を、「今のうちに写真に残しておきたい」と思うようになった。半鐘の数だけ集落があり、そこにはきっといくつもの物語があったはずだ。
さあ、一緒に半鐘探しの旅に出かけましょう。
麻空弘美
+ + + + + +
【上分地区】
正面に焼山寺の山を見ながら防火水槽の横に立っている。
はしごの上に更に金属の棒を継ぎ足してある。何でかなあ。
春にはここから菜の花畑を眺めていまーす。
コメントする
コメントを残す
なんでも最新日記
神山日記帳2024年09月16日
「まちの外で生きてます」#19 阿部真さん
神山日記帳2024年09月15日
9/14 「エタノホ」の「稲刈り」しました。
神山日記帳2024年09月13日
9/11(水)「アドプト」しました。
おすすめ日記
学び2024年09月11日
普段、神山でできない体験をしよう!/助っ人大学生
神山日記帳2024年04月16日
【4/10カンボジアで学校と仕事づくり、持続的な場づくりの活動家 加藤大地さん 『かでさん』お話と交流会】を振り返ってみた。
神山日記帳2024年01月15日
コメント一覧
そう言えば改善センター脇に有った、立派な火の見櫓と半鐘も無くなりました…。 今は少しずつ消え行く運命ですかね? 20年前位は訓練でも半鐘叩いて出動したものです。カーーン・カーン・カーン・カーン→訓練半鐘
2012年7月4日 11:12 | 杉本哲男
鐘の部分を棒で継ぎ足しているのは、多分半鐘が叩き難いからだと思いますが…?
2012年7月4日 11:15 | 杉本哲男
郷愁をおぼえる投稿ですね。半鐘のコレクション、楽しみです!
2012年7月4日 23:17 | 大南 信也
杉本さん、コメントありがとうございます。杉本さんの年齢の方は半鐘を叩いたり、半鐘の音で出動した経験があるのでしょうか。大埜地にも1つ残っていますね。
2012年7月5日 07:01 | 雨乞滝の女神
大南さん、コメントありがとうございます。自分勝手な趣味とはいえ、一年がかりで作成した写真集を押入れに入れたままというのもちょっと虚しいなーと思っていたのですが、このたびネット配信していただけるということで大変嬉しく思っています。今後ともよろしくお願いいたします。
2012年7月5日 07:08 | 雨乞滝の女神
麻空さま。 初投稿でございます。 ありがとうございます。 (たすかる~ぅ) 写真投稿だけでも十分OKですぅ 稲飯先生の後継として、どしどし頼みます。
2012年7月7日 22:47 | ニコライ
残念?ながら半鐘で火事ばへの出動ありません、訓練は何度かあるのですが。 大埜地の半鐘は、お寺の梵鐘だったと聞いた事があります(先輩から)しかも金槌で叩いたので割れているとか?
2012年7月8日 05:20 | 杉本哲男
ニコライさん、はじめまして(^.^) この度は半鐘写真のネット配信、ありがとうございます。写真の上手下手は置いといて、姿を消しつつある半鐘を一人でも多くの人が知っていただければ嬉しいです。稲居先生の後継者にしては非常にお粗末。でも天国から「しゃんとやれよ~」と言う声が聞こえたような・・・
2012年7月8日 09:19 | 雨乞滝の女神