神山の昔話「大造と与吉」
なんでも2008年3月20日
神山町鬼籠野字元山の立岩山は、たかの羽根を広げたように、どかっとすわっています。西の翼が大造の谷、東の翼を与吉の谷と呼んで、今も神秘的な伝説が残っています。
大造は西の大峯(おおみね)、与吉は東の砂口辺(さこべ)で、年月を送っていました。この山男たちがいつ、どこから来たのか、里の人たちは知らなかった。体格の立派な男を大造さん、小柄な男を与吉さんと呼んでいました。木を切って炭を焼き、山を切り開いて田を作り、作った米や木炭は、里の方へもってきて塩や卵などと交換して、一部は、生活に困っている人々に分けてやり、病人には薬草を教えたり、開墾や米の作り方などの話をして、急いで山へ帰っていきます。何かを頼めば、必ず翌朝までに届ける義理の強いふたりでした。 大造さんは大峯を、与吉さんは奥野を切り開いているのか、木を切る音や石ころを転がす音が里の方へも、ときどき聞こえてきます。
不思議なことに、大造と与吉がいっしょにいるのを、里の人は見たことがありません。与吉のことを話しかけると、大造はすぐ帰ってしまいます。与吉も同じことです。大造が白い炭を焼けば、与吉は黒い炭を焼き、大造が白ざさ(米)を作れば、与吉は黒ざさ(黒もち米)を作っていました。まったくおかしな話で、大造が、立岩山に白い大蛇がおると言えば、翌日は与吉が、黒の大蛇がおると言い出しました。白か黒の大蛇は立岩山の神様のお使いだということは、ふたりとも同じことです。
ある年、つゆ時になってもカラつゆで、大造の谷も、与吉の谷も干上がってしまって、稲も草も木もかれだしました。実に百日余りの大干ばつに、力尽きた人々は、立岩山で21日間の雨乞いのお祈りを始めました。お祈りも、すでに20日を過ぎて、明日は結願だというのに、雨は降ろうともせず、人々に疲れとあせりの陰が見えだしました。神も仏も無いものかと、大先達がつぶやきました。
こんなときに、皆に交じって一緒に雨乞いをしていた、大造と与吉の姿が見えません。朝は与吉が見え、夕方に大造が見えていましたが、昼の間は見えません。お祈りのおきてを彼らは破った、と人々は思いました。
お祈りを始めてから21日目の午後のことです。雲ひとつなかった大空に、大造が白の大蛇に、与吉が黒い大蛇に乗って、激しく稲妻を光らせながら、立岩山の上空に飛んできました。青空は急に曇って、大音響と共に、白と黒の大蛇が激突したかと思うと、大粒の雨が降り出して田畑をうるおして、万物はよみがえりました。人々は涙を流して喜び、大造と与吉が立岩山のお使いの大蛇であったのだろうかと気がつきました。
みんなで、与吉と大造の住みかを見に行きましたが、どちらも一面の岩山でありました。それからは、この地にふたりの姿を見かけなくなって、木を切る音も、石をころがす音も永久にしなくなったということです。
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