神山町旧役場文書(2)「神領青年団総会記録」
なんでも2009年3月16日
神山町旧役場文書を読む(その2)
合併以前の旧村役場文書を読んで要点を抜粋しました。>
【神領村青年団総集会記録書】
大正2年度
旧神領村役場文書
この頃の青年達は昼間は農耕作業に従事にて労働し,夜になって公会堂等に集まって話し合いを楽しんだようです。どんなことが話合われたのでしょうか。
1,夜学に関すること
夜集まった者が勉強しました。講師は小学校の教師(この時代には村に中学校はありません)とか村役場の職員です。学科は修身(教育勅語朗読など)・国語・算術(算数)・農業です。年間に25回開催、延時間75時間、出席率75%とあります。
2,村から軍隊に入っている青年に一年間に各自4回の慰問状を出すこと。
3,散髪用具を2組、青年団に購入した。無償貸与。
4,小学校の校庭に相撲場を設置する。
5,消防に関すること。この時代は火事があった時、消火活動の主役は青年団でした。
6、慈善事業として「餅」を作って四国遍路に接待する。
7,柔道を毎週4回行う。
8,軍隊から帰った人には青年団主催の歓迎会を必ず行う。
9,軍隊にいる村出身の兵士に慰問に行く。
10, 青年が軍隊に行っている間は,その家の農耕作業を手伝う。
11,青年団として稲作試作地3畝を借り受け,会員交代で耕作に励む。
12,こんな突発的な事もありました。
大正5年8月4日に第62聯隊(徳島市)第二大隊が本村を通過して木屋平村へ行軍するという通知が村役場にありました。ところが大雨のため道路の橋が落ちて通行不能になったので青年団は各支部に5名宛の出役を割り付け、復旧作業をしました。行軍が来る前日の8月4日午前10時より作業にかかり、激流のなか苦労して見事に架橋を完成しました。当然のことながら村役場での歓迎会に青年達も招待を受けたということです。
以上が青年層集会の記録抜粋ですが軍隊に関する事の多いのが目に付きます。大正3年(1914)には第一次世界大戦が勃発します。その前夜ともいうべき頃で世界的にも風雲急告げている時代に生きた青年達でした。
また、現在の青年にはない素朴で純情な青年達の集まりであったような気がします。
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コメント一覧
稲飯先生、ありがとうございます。 要約していただいているので、興味深く読むことができます。 夜学は一回当たり3時間ということになりますね。 昼間働いた後でしょうから大変だったと思います。 また、貧しい時代だったのでしょうが、お遍路さんに対する お接待も脈々と続けられていた・・・。 シリーズの次号を楽しみにしています。
2009年3月16日 23:12 | 大南 信也
興味深い、記事をありがとうございました。 これが正しい道なのだと・・信じて生きていた時代で (間違ってはいたのですが、) 思い悩むこともなく、 精神的には、(ある意味では)安定した時代だったように思われます。 村落共同体が、十分機能しており、人のことを想い、困った人がいたら手を貸すことが、普通のことのように考えられていた時代でしたのでしょう。
2009年3月17日 21:37 | ニコライ