春爛漫・神山さくら街道その二

なんでも2009年4月2日

投稿者:中原 亨

今年の桜は咲き始めは例年よりはやかったのですがここ数日の低温続きで長持ちしているようです。
「神山さくら街道」第二弾、私の好みのさくらを紹介します。

新童学寺のトンネルを抜けたところの山桜

新童学寺のトンネルを抜けたところにある山桜です。大木でもないのですがなぜか目を引くさくらです。

広野保育所の上にあるさくら

広野保育所の園庭の上にある桜。かなりの大木です。広野の町筋や須賀山が背景にあるので絵になります。

神山森林公園に向かう道筋の桜並木

森林公園に行く途中の桜並木。この公園には三千本以上の桜があるといわれています。その種類も豊富です。この日曜日くらいまでが一番の花見時ですか。

ゲートボール場の桜

森林公園に上り始めてすぐにあるゲートボール場、ここの桜は見事です。

登るにつれいろんな種類の桜に出会えます。

この日は平日でしたが駐車場は満杯状態でした。日本人は大昔からさくらが好きなのですね。

森林公園頂上の駐車場にあるしだれざくら

願わくば 花の下にて春死なん その如月の望月のころ(西行法師)

と詠ったさくらは山桜だったのでしょうか。 春二月、十五夜のころ桜の木の下で死ぬことを願ってこのように歌った西行ですが、その望みどおり1190年2月16日(陰暦)、生涯を閉じました。

神山温泉付近の桜も今が見ごろです。

神山温泉付近の桜もほぼ満開です。神山桜街道も5日の日曜日くらいまでか見所ですか。

読み人しらず・・・

むかしの和歌集で、花といえばさくらを指すようになったのは古今和歌集以後でした。万葉集などは秋の七草や萩の花が多いようです。「千載和歌集」に「読み人しらず」として次のような歌が載っています。

さざなみや 志賀の都はあれにしを 昔ながらのやまざくらかな

実はこの歌は、平忠度(たいらのただのり)の歌なのです。源氏に追われ一ノ谷で討ち死にした平家の公達です。
都を落ちるとき密かに藤原俊成をたずね、戦乱がおさまり勅撰集が出されるとき、自分が生きた証としてこの歌を歌の師である俊成に託しました。
源氏の世に遠慮して「読み人知らず」として載せていますが、作者が分かっている有名な歌なのです。
古今集以来、桜の花が日本人に愛されたのは、やはりその散り際のよさにあったのでしょうか・・・。

中原 亨

神山アーティスト・イン・レジデンスの自称学芸員。これまで招聘した作家たちの作品の解説はお任せください。年間を通じて数多くの訪問者を案内しています。 神山を元気にするため老体を鞭打ちと東奔西走しています。NPOグリーンバレーの理事。

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コメント一覧

  • 中原先生有難うございます 私も山桜が大好きす。トンネルを出れば枝垂るる桜町 少し受けました。 桜も年を重ねると姿も色も,まろやかになりますね、散るも見事だし、、 ちなみにトンネル口の桜、保育所の上の桜、周りの雑木切る手伝いさせて頂きました。 桜作りも森作りと思い捧げたいです。  

    2009年4月3日 11:19 | 東谷 忠明

  • トオルちゃんも、東谷師匠も、素晴らしい「歌ごころ」をお持ちで、感心してしまいます。 平忠度(たいらのただのり)の歌は、私、知りませんでした。 さすが、「博学(はくがく)」の中原先生! “ニコライ!おだてるな! ”という声が聞こえてきそうでありますが。 こんな「歌」はどうでしょうか。 “  散る さくら  残る さくらも  散る さくら  ” ・・・・(有名な 「良寛(りょうかん)」さんの歌ですが、) 中原先生、東谷師匠から、 “ ニコライ!てめぇ・・・・何考えてやがるんだ!” との声が聞こえて来そうであります。 じ・・・じ・・・冗談ですよ。 (私も、遅れずについて行きますので・・・)。冷や・・・ いけねぇ・・・明日、「山姥(やまんば)」さん宅で、お二人に 会う約束をしているのですが、「袋だたき」にされそう! 再び 、 冷やぁぁぁ・・・・。ぎゃは!(笑)

    2009年4月4日 21:12 | ニコライ

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