
特集:つなプロ「すまいづくり」の今までとこれから ❶公的な賃貸住宅プロジェクトの効果
住まい2025年3月14日
神山町の創生戦略「まちを将来世代につなぐプロジェクト」(以下、つなプロ)では、「人がいる」ところに人は集まると考え、神山らしい文化や教育環境、生活の基盤を将来の世代も享受できるよう、様々な取り組みをしてきました。具体的には、2060年に向けて「3000人を下回らない人口の維持」と「小中学校の各学級人数が20名以上」を保つ均衡状態を目指しています。
人がいるためには、何より「いい住居」が不可欠。住居の確保は喫緊の課題です。神山町は2007年、認定NPO法人グリーンバレーに移住交流支援センター運営を委託。移住希望者と家主をつなぐ取り組みを開始しました。しかし、空き家はたくさんあるのに、賃貸・売買につながる家が足りない。この矛盾が、転入増の妨げになっていました。
その状況を改善したいと取り組んでいるのが、つなプロの「すまいづくり」です。1期(2016~2020)を経て、2期(2021~2025)の終盤、残り1年で第3期策定も目前に迫っています。これまでの9年間を振り返り、5回にわたって「すまいづくり」がもたらした変化と今後の課題を振り返ります。
【施策の展開】神山で暮らしたい人を迎える「期限付きの賃貸住宅」
神山町では、つなプロ1期・2期で「すみはじめ住宅」「集合住宅」の2種類の賃貸住宅を整備・管理してきました。2種類ともまた「家不足の解消」という目標は同じ。それぞれに別の役割を持たせています。
「すみはじめ住宅」は移り住む人、迎える地域の双方の「相性」を丁寧に確かめ合うバッファ期間を作る住宅です。一方、「集合住宅」は、子どもが共に育ち合い、親が共に支え合う機会を作る住宅群です。2つの住宅は、整備した際には異なる意味を持っていました。しかし、集合住宅もまた「すみはじめ住宅」と似た役割を自然と担うようになっています。
では、2つの住宅を見てみましょう。
①入居1年半までの「すみはじめ住宅」
「すみはじめ住宅」は、まちに住みたいと考えている人が本格的に落ち着く前に、神山の各地区の特徴を知ったり、先に住んでいる人たちと親しくなったりしながら、自分にあった物件を見つけていく「バッファ期間」を過ごせる住宅です。
つなプロの一環として、神山つなぐ公社がまちの大工さんとともに民家改修を行い、現在2軒のすみはじめ住宅「西分の家」「寄井の家と店」を運営しています。西分の家は24人のうち16人が、寄井の家では、これまでの居住者7人のうち4人が町内で次の住まいを見つけ、引越しました。

Photo by Koji Moriguchi

Photo by Masataka Namazu
②子どもが18歳になるまでの「集合住宅」
町営の「大埜地の集合住宅」は子育て世代を主対象とした賃貸住宅です。4年に分けて新築され、大埜地住宅と鮎喰川コモンの2つの空間で構成されています。大埜地住宅には現在、子育て世代を中心に約70人が居住しています。子育てが終わった世帯は退去、新たな子育て世帯が入居するサイクルを繰り返すことで、常に子育て世代が集まって支え合いながら暮らす仕組みにしています。
住宅の開発と合わせて、敷地内にまちのリビングとも言えるような「鮎喰川コモン」を開設しました。
鮎喰川コモンは、大埜地住宅の居住者だけでなく、町内外の全ての人に開かれ、多様な人が心地よく交流し、共に育ちあう場を目指して運営してきました。集合住宅の外に住む人との接点を育む場となったり、子どもたちの放課後・休日の居場所になったり…。現在の利用者は月1000人以上になっています。
大埜地住宅では、町内出身者がUターンするきっかけの場として、入居する事例も出ています。町内出身の家庭が5世帯が入居。このうち、町内で仕事を見つけて転職した事例、新たな家を町内に見つけて退去した事例も複数出ています。新居に移り、町内に転職した森長さんにお話を伺いました。
町内出身者のUターンの足がかりにも。「集合住宅があったから神山に戻る決断を早められた」
昨秋に大埜地住宅を退去し、町内に引っ越した森長怜美さん(写真)は、ご夫婦で神山町出身。もともとUターン希望でした。転居は「町内に家を建てたら」と考えていたところ、大埜地住宅の子育て世代が集まって暮らす環境も魅力だったそうです。「いいところだから住みたいね」と夫婦で自然に話すようになりました。暮らしはじめてからは「集合住宅に住んでいる間に、町内に家を建てる」という選択肢が生まれたとのこと。
引っ越し当初は、移り住んできた人が多い環境になかなか慣れなかったそう。産後、赤ちゃんと一緒にコモンで過ごす時間が増えるとともに、人のつながりが増えるのと同時に安心感も増していったそうです。スタッフに子育ての悩みを聞いてもらったり、コモンで遊ぶ小学生たちとも仲良くなったり。「親戚でも、友達でもない人たちが、私たち家族のことを見守ってくれている。そんないい関係性がありました」。コモンでの出会いを機に人の縁が広がり、次第に神山での仕事につながっていったそうです。
現在、大埜地住宅の住民の中には、地縁・血縁がなく移り住んできた人の中にも、町内に家や土地を見つけて定住を見据える家庭も増えています。大埜地住宅もまた、寄井、西分の家と同様、「すみはじめ住宅」という役割を担っていると言えるでしょう。
【今後】「すまいづくり」のこれから
神山町が目指すのは、単なる「住宅の供給増」ではありません。つなプロが掲げている「可能性が感じられるまち」の構成要素を同時に叶えるためにプロジェクトを進めています。すまいづくりのプロセスでも、他の5つのプロジェクトも連動して動かしてきました。
例えば、下の図では、集合住宅プロジェクトを通じて実現させたことを赤色の文字で示しています。「すまいづくり」プロジェクトの結果としては70人が暮らし始めましたが、建設・運用を通じて、「ひとづくり」「しごとづくり」などにも関わる動きを生み出すことができたと考えています。
つなプロ1期2期の取り組みや、その期間に神山で起こったさまざまな活動に共感する人が増えているのでしょうか。移住交流支援センターへの相談件数は、つなプロが始まった翌年2017年度は76件でしたが、2期開始時の2021年度は158件へと増加し、その後も高水準で推移しています。
住む場所の選択肢は増えたけれど、物件数としてまだまだ足りていません。このため2期の施策にも、1期に続いて「新規賃貸物件の開発」が組み込まれていました。町内の広い範囲で物件を探し、検討を重ねてきましたが、なかなか実現には至りませんでした。引き続き、3期に向けての大きな課題となっています。
目指しているのは、ただの住宅整備ではありません。神山の素材で、神山の人とつくる家/神山らしい景観をつくる、つなぐ。まちにとっての「いい住居」とは何か?を考え、試行錯誤してきたプロセスと結果を、2回目以降は具体的に紹介します。
次回予告
「神山の木で、神山の大工さん・建築家と家を建てる」という新たな選択肢が生まれた経緯を紹介する予定です。次の記事もお楽しみに!
文:中村明美(言語化Art)
企画:馬場達郎、高田友美、小池裕子(神山つなぐ公社)
【もっと詳しく知りたい方へ】
・大埜地の集合住宅
・すみはじめ住宅
・神山の子育て環境について
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