特集:つなプロ「すまいづくり」の今までとこれから ❷神山の材での家づくりが息吹を吹き返す。

住まい2025年4月7日

アバター画像

投稿者:神山つなぐ公社

神山町の創生戦略「まちを将来世代につなぐプロジェクト」(以下、つなプロ)では、「人がいる」ところに人は集まると考え、神山らしい文化や教育環境、生活の基盤を将来の世代も享受できるよう、様々な取り組みをしてきました。具体的には、2060年に向けて「3000人を下回らない人口の維持」と「小中学校の各学級人数が20名以上」を保つ均衡状態を目指しています。

人がいるためには、何より「いい住居」が不可欠。住居の確保は喫緊の課題です。神山町は2007年、認定NPO法人グリーンバレーに移住交流支援センター運営を委託。移住希望者と家主をつなぐ取り組みを開始しました。しかし、空き家はたくさんあるのに、賃貸・売買につながる家が足りない。この矛盾が、転入増の妨げになっていました。

その状況を改善したいと取り組んでいるのが、つなプロの「すまいづくり」です。1期(2016~2020)を経て、2期(2021~2025)の終盤、残り1年で第3期策定も目前に迫っています。これまでの9年間を振り返り、5回にわたって「すまいづくり」がもたらした変化と今後の課題を振り返ります。



1本目の記事で紹介した、すみはじめ住宅や集合住宅プロジェクトという2つのプロジェクトの竣工から約4年。町内での家づくりに変化が起こっています。かつて当たり前だった「地域の木材で家をつくる」という文化が全国的に薄れつつある今。神山町では、つなプロの「すまいづくり」プロジェクトを機に、地域の材を使って家づくりがしやすい環境が整い、まちに住む人たちも「神山の木材で、家をつくる」良さに改めて目を向けるようになりました。


「近くの山の木で家をつくる」という暮らしの文化が再び選択肢に

長年、間伐されてこなかったヒノキ林。一本一本の木が細く、森が暗い

戦前から、子や孫のためにと植えられた杉は、町内の山林の8割を占めています。しかし、戦後に木材輸入が自由化され、国産材に比べて安い外国産の木材の需要が高まり、国産材の利用は急激に減少。短期で建てられる近代的な工法が広まったこともあって、国内では「地域」や「伝統工法」と切り離された家づくりが主流になっていました。林業のまち神山も影響を免れませんでした。

しかし、「すまいづくり」プロジェクトを機に、神山の木材への関心が戻りはじめ、地域内で循環する「家づくり」が少しずつ、力を取り戻そうとしています。

神山杉を使った家づくりについて語り合う大家さん(左)と濱口さん(右)

神山町で3代、工務店を続けている大家稔喜さん(大家工務店)は大埜地住宅の建築、寄井の家と店の改修の両方に関わり、意識が変わってきたそうです。プロジェクトに関わる前は、家づくりの木材は、早く手に入る、手間がかからない、ということが基準だったという大家さん。

「地域の製材所さんとの付き合いは、ずっとあるけど、そこに『できるだけ神山の木で建てたい』『神山の木や人、地域内循環を目指したい』という気持ちが乗るようになったね」と話します。

同じく長年、神山に住み工務店に勤務する濱口督士さんも、集合住宅プロジェクトの「鮎喰川コモン」の建設に携わり、発見があったといいます。「杉は、柔らかいから傷つきやすいけど、床に貼ると足触りがいい、優しい。神山杉は、寒いところで育つからか、そんなに目が荒くない。杉で家を建てる良さに気づいたなぁ」。

結果、2人ともプロジェクト後、仕事だけでなく、ご自宅も神山杉で建てられるに至りました。「すまいづくり」プロジェクトの中に、2人の意識を変える何があったのでしょうか。

”まちのプロジェクト”がもたらした工務店の意識の変化

「すまいづくり」プロジェクトのスタートラインに遡ると、2016年。すまいに関わる町内の若手を中心とした有志チームを結成し、先進的な地域へ視察に行ったり勉強会で学びながら、感じたこと・考えたことを共有していったことが始まりになるでしょうか。このチームは、1本目の記事でお伝えした「西分の家」「寄井の店と家」の改修を担当。現代的な生活様式に合わせた古民家改修の経験を積みました。ご近所さんや同級生同士であっても、仕事では関わりがなかった家づくりの担い手がつながりはじめました。

同時進行で計画していたのは「集合住宅プロジェクト」。20世帯分の住戸の建設と合わせて、公共空間も整備するする、まちの公共事業としては大規模な事業ですが、まちの工務店が担えるよう、神山町は4期に渡って住宅1棟1棟を分割して入札しました。この時、町産材100%での建築を目指し、町産の杉材を「神山杉」として認証制度も整備しました。

神山の家づくりの担い手たちが同じ場所で、
神山の木材100%で住宅をつくる。
骨組みも天井も、手刻みの技をあえて魅せる設計。

前代未聞の仕事ですが、コモンハウス棟を担当した濱口さんは「木を見せる。手間をかける建物。面白いな、と思いましたね」と振り返ります。

コモンハウス棟を建てる濱口さん。(役場HP「神山はいま」のインタビュー記事より)

家の周りの木を使うことがあたり前の、豊かな暮らし

濱口さんは集合住宅プロジェクトで「こんな木の家もいいな、これなら自分でも建てられるなと思った」と言います。実際に、プロジェクト後は、自らの施工で神山杉を使った自宅を建設。町産材の補助金も活用しました。杉の柔らかさも好きになり、床も杉で貼ったそう。テーブルの板は、土地の境に生えて眺望を遮っていた檜を伐採して使ったとのこと。

かつては神山の人が当たり前に行ってきた「家の周りの木を家で使う」という行為をさらりとやっています。濱口さんは「せっかく昔の人が植えてくれた神山の木。チップや燃料など安く消費されてしまうものではなく、建築などで有効に使って欲しいなと思いますね」と話しています。

まちの人にも「神山杉で建てる良さ」を伝える

まちの材で家をつくる文化を広めるためには、何より、施主側に神山杉の家の良さを知ってもらう必要があります。住戸見学会や、神山杉の伐採ツアーなどでは町内外から人が集まりました。

集合住宅やコモンハウス棟そのものがモデルハウスの働きもしています。「集合住宅を建てた大工さん」として近所の人に受け止められるようになった人もいます。

施工を担当した大埜地住宅の住戸で、見学者に魅力を説明する大家さん(2020年7月)

大家さんは、ふんだんに神山の木を使って建てたご自宅兼事務所を、施主さんに見学してもらっているそうです。「神山の木で建てるというのは、当たり前のことをしているという感覚。木にこだわりがない施主さんにも、せめて構造材だけでも神山杉で建ててみませんか、とお勧めしよります」。

大家さんのご自宅兼事務所。右手の白い筒は環境に優しい空調「びおソーラー」システムの一部。集合住宅プロジェクトでも使いました

実は集合住宅プロジェクトには、嬉しい誤算がありました。町外から移り住んでプロジェクトに関わった設計士が2人、町内で設計事務所を開いたこと。設計士と協力することで工務店の施工の幅も広がっています。

地域の材で家をつくる工務環境が整ってきた今。神山の杉の大半を占める樹齢80年前後の伐採に良い神山杉が、山の中で出番を待っています。神山の家づくりの文化がどう広がっていくか期待も高まります。「神山杉の家」と書かれた垂れ幕が、あなたの目に留まる頻度も増えるかもしれません。

神山町林業活性化協議会による「神山杉の家」のピンクの垂れ幕

文:中村明美(言語化Art)
企画:馬場達郎、高田友美、小池裕子(神山つなぐ公社)

【もっと詳しく知りたい方へ】

集合住宅プロジェクトで大切にした「神山の木を活かす」ということ
大埜地の集合住宅 ぐるっと見学会、開催レポート
「神山はいま」に掲載された濱口さんのインタビュー記事
大埜地の集合住宅をつくった大工さんたちへのインタビュー記事
神山町産材を使用した家づくりの補助制度

アバター画像

神山つなぐ公社

神山つなぐ公社は、神山町の地方創生の一環で、2016年4月に設立された一般社団法人。「まちを将来世代につなぐプロジェクト」に取り組んでいます。

神山つなぐ公社の他の記事をみる

コメント一覧

  • 現在、コメントはございません。

コメントする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * 欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください