阿波ぶらり散歩(6) 「神通発電所」

なんでも2010年10月29日

アバター画像

投稿者:稲飯 幸生

阿波ぶらり散歩「神通発電所資料館」

鮎喰川上流の神通滝は有名であるが、この近所に大正七年から運転開始をしている神通発電所があった。現在でもこの発電所内には水車・配電盤・回転計・変圧器などの機械類もほとんどそのまま残されており、これだけの施設が残っている発電所は珍しいといわれ、資料館として神山町が管理している。

00006533.jpg

この時代は蝋燭や石油ランプから電気に移る時期で、人々は明るい電灯に強いあこがれを持っており、それにこたえるために県内でも各地で発電所が計画された。

この神通発電所も大正の初めの頃から村内外の関係者が集まって株式会社として発足しているがその当時は大量の発電が出来ず、最初は株主のみに配電した時期もあったという。大正末期になってやっと発電所周辺の人々の家に配電出来るようになった。

発電所を建設するのは大変な事業であった。神通滝のすぐ下流にダムを造りそこから水路を通して貯水池に送水する。水路の長さは一・七三キロあり、そこで水を貯めて水圧管を通して発電所に送水する。その落落差は二三〇米であった。水は送水路を経て川に放流するようになっている。発電能力は最高四〇〇KW、常時二〇〇KWである。

00006534.jpg

その後、昭和四十八年には発電を廃止し老朽化した発電設備を神山町に譲渡したのである。

徳島史学会     稲 飯 幸 生(神山町)

アバター画像

稲飯 幸生

神山町文化財保護審議会長。

稲飯 幸生の他の記事をみる

コメント一覧

  • おおぅ!建設当時の事情がよく分かります。 先日、訪問してきましたので、近いうちに 写真を何枚か加えさせていただきます。 ありがとうございました。

    2010年10月29日 20:07 | 大南 信也

  • 「神通発電所」を復活して、付近の家に電気を供給できれば、 いい・・・と思います。 水路など、かなりの「インフラ」は出来ているように、見えます。 これが実現できれば、いわゆる サステナブル(持続可能)な社会への、一歩にも、 なるのでは・・・・・と 、ちょっと夢みたりしませんか。

    2011年2月11日 14:00 | ニコライ

  • 耕作放棄地も同じだけど、長い間放置してあるので 導水路も相当な傷みがあるらしく、かなりな資金が必要だと思う。 やっぱり何でも、使いよらんかったらアカンつうことやなぁ…。

    2011年2月11日 23:37 | 大南 信也

  • そんな資料館があるなんて知らなかったです。 貴重な財産ですね。  大事なものは残そうとする ~ そんな神山だから、人を惹きつけるのでしょうね。  稲飯さん、どうもありがとうございます。

    2011年2月15日 12:50 | sasuke

コメントする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * 欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください