2022年春に、神山町には新たに2つの学びの場が生まれました。
小学生を対象とした「森の学校 みっけ」と、3〜5歳児を対象とした「お山のようちえん ねっこぼっこ」です。
町内在住の方であれば、耳にしたことがある、という方もいるはず。ですが、対象の年齢に近いお子さんがいないと、なかなかその活動や様子を知る機会がないかもしれません。
いったいどのような場がつくられているのでしょうか。
「森の学校 みっけ」の代表、松岡美緒(まつおか みお)さんと「お山のようちえん ねっこぼっこ」の代表、清家結生(せいけ ゆうき)さんにお話をうかがいました。
——好奇心や疑問が学びの出発点「森の学校 みっけ」
「森の学校 みっけ(以下、みっけ)」は、学校教育法により定められている一条校(公教育)とは異なり、独自の理念や方針をもって運営されている学校で、オルタナティブスクールとも呼ばれます。
フィールドと呼ぶ活動拠点がある場所は、神山温泉から少し上へ登ったところ。”森の学校”という名のとおり、森の中です。
山を少しずつ切り開いて整えたというこの場所には、学校と聞いて思い浮かぶ、机・椅子がならんだ教室や運動場、体育館などはありません。
あるのはバンガローのような学舎と、壁のない開放的な炊事場。
近所の方からゆずられた植物の苗木も植わっています。すぐそばに流れる川もフィールドの一部。夏の川遊びはもちろん、暑い時期に限らず、子どもたちの自由な発想がいきる遊びの場にもなっているそう。神山温泉の川向かいには、子どもたちが自然農に取り組む畑もあります。
どんなことを学んでいる?
四季の移ろいや、草木の香り、風を感じられるこの場所で、小学校1〜6年生11人の子どもたちが学ぶのは、地球環境と私たち人間の営みの繋がりです。
たとえば、一つの軸として据えているのが「食」。
自ら植物を育て収穫し、料理をして、食べる。さらに、自分の体から出た排泄物はコンポストトイレを通じて堆肥化し、次の植物(いのち)の成長へとつなぐ。自然界の循環の仕組みとその恵みを享受して食、ひいては私たちの暮らし、いのちが成り立っていることや、自然と人間が互いに生かしあう方法を体験的に学んでいきます。
こうした学びの一つ一つは「子どもたちの好奇心や疑問が起点となっている」と松岡さんは話します。
松岡「修学旅行に行きたいから費用を稼ぎたい」って声があがったので、「じゃあ、1個何円のミサンガを何個売ったら飛行機代にたどりつける?」て問いを投げかけた。すると、みんなそこから協力して計算を始めるんです。
日常に出てくる「子どもたちがたどり着きたい」ってところに目標を据えて、スタッフがサポートしながらその方法を一緒に考える。子どもたちから出てきたことを拾ってどうしたら学びに転換できるか、ってことに私たちは挑戦しています。
挑戦という言葉からは、スタッフもまたみっけで試行錯誤を重ねながら、日々の学びを作り出している様子が感じられます。みっけでの学びのあり方や、育もうとする力に共感し、この場を求めて関東や、国外からはるばる神山へやってきたという家族もいます。
松岡地球上では気候変動が起き、畑の野菜が不作になったり、生態系が壊され、食糧不足の危機が迫ったりといろいろなところに支障が生まれています。
「この先どうなっていくんだろう」と未来を見据えたときに、子どもたちがどう暮らしていくのか、どうやって自分たちの地球をケアするのか、その方法を知らないで生きていくのはフェアじゃないなって思うんです。
だからこそ、暮らしをベースに学べる場所として、学校の立ち上げに挑んだ松岡さんですが、開校に向けた地域住民への説明会では「批判をもらうかな」と心の中ではドキドキ。しかし、周りから寄せられたのは「大丈夫。絶対行ける」という心強いエールでした。「そんな風に背中を押してくれるご近所さんや(フィールドの)地主さんはじめ、これまで神山で出会い関わってきた地域の人たちがいたからこそ開校できた」と当時を振り返ります。
開校して10ヶ月が経ったいま、どのようなことを感じているのでしょうか。
松岡(実際に開校してみて)やっぱり学校を立ち上げるのは、容易ではなかった。
でも、子どもたちの変化をすごく感じるし、「親子の関係性が変わった」「あの子の本来の姿を初めてみたかもしれない」って親の声を聞くと、森の中で過ごすことがその変化を起こしているのかなって、感動もしています。
自然環境に寄り添った暮らしという点では、ゴミ問題とか、防災とか、町の課題と私たちのやりたいことが重なる部分も多くあると思う。これからより、まちの様々な人と協働しながら、子どもたちがまちと一緒に育っていく風景を見たいなって思っています。
——今ここにある思いが一日をつくる「お山のようちえん ねっこぼっこ」
みっけと時を同じくして開園した「お山のようちえん ねっこぼっこ(以下、ねっこぼっこ)」。
広野地区にある駐在所から杉林の奥へ奥へと進んでいくと、たどり着きます。園舎は民家を改修したという建物。走り回るのに欠かせない広々としたフィールドは、裏山にある南天畑をスタッフ自ら開墾して整えました。
園舎も、フィールドも、急な坂の上。登るには大人の足でも、ときに踏ん張りが必要になります。平坦な場所もほとんどなく、常に坂を登ったり下ったりのフィールドで過ごしていると、体幹が鍛えられたり、土踏まずができてきたり。「自然と子どもたちの体がつくられていく」のだとスタッフも、保護者も実感しているそう。
現在ねっこぼっこに通う子どもの数は、3〜5歳児までの10人です。
1日は「まんまる」という時間から始まります。輪になって「いまどんな気持ち?」「体調はどう?」「今日はなにしたい?」を伝えたり、聞き合う時間。話すのは、子どもたちだけではありません。大人たちスタッフもまた、自分の思いや気持ちを言葉にして伝えます。
清家みんなに自分が思っていることを言えるとか、人が思っていることを聞けるとか、そういうことに繋がればいいなって。あとは「自分は、なにをしたいんだろう?」と、一旦、自分の声に耳を傾ける。そんな機会として、この時間を取っています。
子どもたちは、まんまるの時間を嫌がったりするんですけどね(笑)早く登園した子はもう遊び始めてるのに、中断して集まらないといけないから。でも、大事にしたい理由を伝えたら「わかった」って理解してくれて、今も続けています。
そうして、一人ひとりのその時の状態や、「今」の気持ちをもとに、1日の過ごし方が決まります。鬼ごっこにブランコ、お絵描きをすることもあれば、夏は近くの川でちょっとした沢登りや、魚を釣って捌いて食べたり、冬には焚き火をしたり。ある時は、「まんまる」で出た声から、森林公園まで歩いていくこともありました。
取材で足を運んだ日は、5-6人の子どもたちが裏山のフィールドで過ごしていました。
スタッフ手作りのブランコに揺られたり、山の斜面に吹く風と一体になり駆け回ったり。ひとしきり遊んだあと、ほとんどの子が園舎に戻ろうとするなか、1人、木に登り続けている子がいました。
「まだ遊びたい」と話すその子に、「遊んでて大丈夫だよ」と声をかけ、一人にならないように、且つ、他の子どもたちにも目が届くよう、スタッフは互いに声をかけ合い配置を確認します。
一人一人が抱く気持ちはさまざま。大多数を尊重したときに、どうしてもそこから漏れてしまう声もあるでしょう。そんな小さな声を掬おうと、柔軟に動くスタッフの姿がありました。
清家子どもって今を生きていると思うんです。大人は未来を見て「こうなったらどうしよう」と思って「ここで辞めておこう」って判断したりするけど、子どもは全然そういうのがない。
もう「今が楽しいか」だと思うから、それぞれの今ここを楽しんで欲しいなって思うし、できる限りそれが可能な状況を作りたいと思っています。
ただ、もちろん安全は外せません。危険を全て排除してしまうと、危険に対する適応力がなくなるので多少はあっていいと思うけど、それでもやはりケガには十分に気をつけて日々関わっています。
大人の人数よりも多くいる子どもたち。想定外の行動にひやっとする場面もあるはず。一人一人に目を向けつつ、全体にも意識を向け、とっさに判断し行動するには、スタッフ自身の健やかさも欠かせないでしょう。
だからこそ日々のちょっとした不調をスタッフも「まんまる」で素直に伝えるのだと言います。「△△(スタッフ)は今日、腰が痛いらしいから、上に乗るのはなしね」伝えると、子どもたちなりに受け取り配慮したり、スタッフ間ではサポートし合う状況が生まれ、安心・安全な場づくりにも繋がっていきます。
子どもたちの今ここにある思いを大事にする、そんな清家さんがいま思うことを、最後に伺いました。
清家(ねっこぼっこを)作ってよかったなって思います。
悩むこともあるんですよ。これまで自分が保育士としてやってきた保育のあり方とは全然違うから「これでいいんかな」って。でも「子どもたちいつもみんな楽しそうに笑ってるやん」ってほかのスタッフが客観的に、ぽんって言ってくれるんです。そしたら「そっか、これで良かったんや」って思える。
あとは、一歩踏み出す姿を我が子にも見せられたなって。
「意外とやったらできるよ」「やる前から諦めんとき」って子どもにはいうのに、自分は二の足を踏んで進めないって。矛盾してますよね。めっちゃビビってたし、この先どうなるかもわからんけど、でも、踏み出す姿を見せられたっていうのは、良かったです。
・・・
自分が何に興味・関心を抱くのか、今どんなニーズを持っているのか。
自分で気づき、表現することは、自身がより力を発揮できる場所に身を置いたり、他者との関係性を育んでいくことに繋がるように思います。そうやって、自分の声を確かめながら日々を重ねることが、自分の軸を浮き上がらせ、岐路に立った時には選択の助けともなるでしょう。
とはいえ、目に見えない心の動きはそう簡単に捉えることができません。
それでも、子どもたちのためにできることをやろうと力強く一歩を踏み出したスタッフや、その熱意に共感し応援する人、そして、その場所を必要とする人。さまざまな思いが重なるところに、新たな学びの場が広がっていました。