「まちの外で生きてます」#11 佐古 有希さん

なんでも2023年5月15日

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投稿者:やままち編集部

〝やままち編集部〟です。現メンバーは、大家孝文・大南真理子・中川麻畝・海老名和、神山町出身の4名。大阪で働いていたり、東京で働いていたり、徳島市で働いていたり。

「まち」で暮らしているけど、心の中には「やま」があります。離れたところからでも神山にかかわれないかな…と思っていたら、ある流れで「広報かみやま」に参画することに。2021年の9月号から、町外にいる若手のインタビューと、その人にむけた学生のQ&Aのシリーズ記事、「まちの外で生きてます」が始まることになりました。

紙面の都合から一部分しか載せられないので、イン神山で、ロングバージョンを公開させてください。

町外で暮らす神山出身者の今を紹介する連載。第十一回は、神領出身で今は徳島市で暮らす佐古(旧姓:一宮)有希さん(42歳)に話を聞きました。

 

―今、佐古さんがどんな暮らしをしているか、簡単に教えてください。

佐古 2021年に結婚して、それまで住んでいた神山から出て、徳島市内で住み始めました。’22年の7月に娘を出産。今は育休中です。

 

―長く暮らした神山の思い出は?

佐古 私は上角出身で、三人兄弟の真ん中。兄と妹がいます。小さいころのことで覚えているのは、母方の祖母の家が神領の中津にあったので、中津の川で遊んだり、改善センター(神山町農村環境改善センター)のあたりで遊んでいたことかな。そのころは中津にも同じ年代の友達がたくさんいましたね。神領小学校に入ってから少女バレーをしていました。あとは登下校の記憶。遊びながら帰っていましたね(笑)。家が温泉に近かったので、よく遊びに行っていました。

(写真/地元で開催された神領大会。ライトアタッカーでした。)

 

神山に対して、小学生のころは何も考えてなかったけど、中学校入ったらいろいろと考えるように。なぜか分からないけど、「私が神山に対して何かせなあかん!」っていう気持ちがあったんですよ(笑)。多分、すごく好きだったんでしょうね、もちろん今も好きですが。それで「ほな町長はどうやろう」と思ったり……。中学校一年生のときに父が亡くなって、「私が家を守らなあかん」っていう気持ちもありましたね。神山の人口が減っていっているし、そういう情報が耳に入ってきていたので、そう思ったのかもしれません。

あと覚えているのが、テレビが面白いなぁって思っていたこと。「笑っていいとも!」のモノマネをして芸能人ごっこをしたり、漫才してみたり……。地方出身の人が芸能人になって帰ってくるみたいなのがありますよね。今でいう聖地巡礼みたいに、芸能人の出身地にみんなが集まるみたいな。だから私が有名になって観光客を呼ぶのはどうかなと(笑)。「外貨を稼いでこないと!」と思っていました。中学校の立志式の夢には、テレビも動物も好きだったので、「ムツゴロウ王国に行く!」と書いていました(笑)。

 

―そんな中学時代を経て選んだ進路は?

佐古 高校は、総合選抜校を受けました。大好きな先輩が城東高校に行っていたこともあって城東に行きたかったのですが、城北高校に(笑)。三年間バスで通っていました。私の記憶では、母が神山から通ってほしいって言ったような……。なので、高校時代もずっと神山にいました。

高校に入学すると急に生徒の数が多くなって。なかなかクラスメートに話しかける勇気がなかったです。そうしたら担任の先生が見かねて、先生が顧問だったテニス部のマネジャーをしないかと誘ってくれました。先生としては土日の試合のスコアをまとめたりしてほしいというのがあったんだと思うのですが、マネジャーっていったら何かせなあかんなぁと思って、部室の掃除をしたりしていました。でも全体的に静かな学生生活だったかな。新しく友達をつくるという初めの一歩が分からなかった。友達すぐできそうって言われるけど、そのときはしんどかったんでしょうね。

(写真/高校時代。当初、カルチャーショックで塞ぎ込んでいたけれど、みんなが優しかったので持ち直した。)

 

その後、大学に進学。受験のときに、普段風邪なんかひかないのに熱が出てしまって、第一希望には受からず。浪人の選択肢はなかったので、私立大学に行き県外で生活をしていたのですが、費用面と受験時のバッドコンディションに納得がいかず、再度受験して、茨城大学に入学。人文学部で財政学を勉強しました。神山の活性化を考えてそういうゼミをとっていました。何かを決めるときはいつも神山のことを考えていましたね(笑)。

ただ、土地勘もないまま茨城大学に決めたので、思ったより遠かった(笑)。バスに乗った瞬間に、高校生の会話がめっちゃ訛っていてびっくりしたことを覚えています(笑)。でも東京に遊びに行ったり、楽しい学生生活でした。神山や徳島から離れることに特に不安もなく。若いって素晴らしいですよね。何も考えずに行けました(笑)。でも長期の休みは全部神山に帰っていましたよ。

(写真/大学の卒業式の写真。自由を謳歌した。)

 

―卒業後、就職して、今はどんな仕事をしているか教えてください。

佐古 大学4年通ったら、絶対徳島に帰ってくると決めていました。なので、就職も徳島に。最初に就職したのは、内装の会社。カーテンや壁紙の卸をしている会社で勤めました。父が大工をしていたので住宅になじみがあったのと、衣食住は人間の基本なのでそれを選んでいたら良いかなと。営業で6年勤めて、そのあとは工務店に転職して4年。前職の関係でインテリアのコーディネートをしていました。

その後、転職して今は住宅を専門にする工務店、エソラハウスで働いています。9年目です。仕事の内容は、家づくりのアドバイザー。施主の相談にのって家づくりを進めていく営業の仕事です。それまで住宅営業ってどこか自己中心的な印象がありました。自分のノルマのためにしているような。でも今の会社は、施主のお金の不安とか家づくりで大事なことを話し合い、納得して建ててもらう。押し売りがなかったので、これなら嘘をつかずに仕事ができると思いました。

(写真/エソラハウスで勤務している様子。)

―今の暮らしと、これからの目標は?

佐古 今は育休中。産休・育休を取得するのは会社で初めてのこと。小さい会社ですが、いろいろみんなが協力してくれてできています。娘が生まれてから毎日楽しいです。正直、大変さは全くない(笑)。あまり泣かないので手のかからないということと、旦那さんが協力してくれるので助かっています。仕事をしているときはストレスもたくさんあったので、今こんな生活していて良いだろうかというような時間を過ごさせてもらっています(笑)。

仕事には7月末くらいに復帰する予定。子どもができて分かったことも多いです。今まで分かったつもりでいたけど、実際経験してみないと分からないこともあるなぁと改めて思います。道を歩いていてももっとこうだったらバギーでも使いやすいのにとか。目線が変わってきました。

ゆくゆくは、神山で子育てできたら嬉しい。結婚するまではずっと神山にいたのですが、今は市内に住んでいるし、家族がいるので自分だけの意思では決められないけど、団地が空いたら行こうかななんて考えたりしています。でもそこに行くときは、ずっと神山に住むつもりで行きたい。子育てのときだけ行ってやろうというではなくて(笑)。

神山には、月に一回くらい実家に子どもを見せに行っています。兄の子どもたちが娘を可愛がってくれるので。そのとき、かまやなどにも行きますが、神山の人おらんのちゃうかなって思うぐらい、聞こえてくる言葉が違う(笑)。移住の人は、ずっと神山におってくれるのだろうかと勝手に心配したりもしています(笑)。あとは高専がどれだけ神山に動きをもたらしてくれるか。今回こうやって話ができて、遠くから神山にできることをもう一回考えてみようかなって思いました。今後もっと関わっていけたら良いなと思います。

仕事を通じてお金のやり取りを学んだり、産休・育休をとるにあたって社労士にお世話になりました。そのとき、社会の制度は身近なはずなのに知らないことが多いと気づいたので、これからはそういったことを勉強していきたいです。それで自分の成長ができたら嬉しい。あとは、子どものためにも、自分の健康も大事!

インタビュー・文:大南真理子


質問!まちの外で暮らす先輩にあれこれ聞いてみよう!(大学生)

Q:仕事の原動力・モチベーションは何ですか。
佐古 これまで転職も経験しましたが、初めは必死に取り組んで、途中からは周囲の評価と給与、3年を超えると自分の思うように脳と体が動くようになります。だから、楽しいです。楽しさを感じなくなったら、その原因を見極めたうえで、次へのステップアップ(転職や資格取得、何かへの挑戦等)も良いと思います。 どんな仕事でも、給与が上がる、楽しい、周囲に認められ、必要とされることが私の働くモチベーションですね。

Q:どんな時に仕事のやりがいを感じますか。 
佐古 一番は、必要とされること。そんなときは自分の技量も伸びると思います!

Q:私も将来建築関係の道に進みたいのですが、女性だからこそ大変だと感じることはありますか?
佐古 今は営業で室内作業がメーンですが、以前は現場で体を動かすのが好きでした。自分に合った業務内容を選べば、男女で大変さは変わらないと思います。自分にできないことは誰かに手伝ってもらう。真面目に働いていたらみんな協力してくれますよ。現場は男性が多いので、チヤホヤしてくれる事も多々あります。
大事なのは、どうしたいのかを自分の意志として強く持つことですね! 言われてみれば、負けん気強い人が多い気がする(笑)。

Q: 町外に出たからこそ気づいた神山の魅力はありますか。
佐古 私にとって神山は魅力ばかりなので参考になるか分かりませんが、神山は都です。最高。人との繋がりが一番良いかな。どこの誰とかすぐ分かるし、色々あげたりもらったり。両親や祖母の苦労話を近所のおっちゃんから聞くのも好き。私は両親、祖母を深く知れたし尊敬するようになりました。
 あとは安全面。市内に出てすぐは、家も車も鍵をかけるのが面倒やなぁと思いました。これも繋がりの問題で、知っている人で悪いことする人やおらんだろうってことなんですかね。せめて同じアパートの人とは顔見知りになって仲良くしたい今日この頃です。

Q:新しい取り組みにどんどん挑戦している神山のことをどのように思いますか?
佐古 
尊敬します! 素敵です。自分も神山のために何かしたいとずっと思ってきましたが、まだ何もできていない。神山のことを好きな人が、神山をより良くしようと思って動いているところが嬉しいです。

Q:今後どんなまちになっていってほしいですか。(あるいはどんなまちにしていきたいですか。)
佐古 時代や世界情勢の中で必要な変化を恐れず取り入れつつも、やはり神山らしさを残して成長してほしいですね。 あと、元々住んでいた人も移住してきた人も、もっとグチャっと神山町民として絡んでいきたい。私が知らないだけで、もうグチャっとしているんですかね?(笑)また町民グラウンドで、神山町全体の夏祭りをしたいです!

 

Q&Aとりまとめ:中川麻畝・海老名和
編集部とりまとめ:大家孝文 

 

 

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やままち編集部

やままち編集部は、神山町出身の5名(大家孝文・大南真理子・白桃里美・中川麻畝・海老名和)からなる編集部。「遠くで暮らしていても、神山にかかわることが出来れば」という想いから、「広報かみやま」で連載「まちの外で生きてます」の連載を企画・制作しています。(2021年夏より)

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