神山の何に
アート2008年3月14日
#上の写真は大南さん撮影
じぶんは神山の何に、勝手に共感しているのか。
アーティスト・イン・レジデンスについていえば、その健やかさにある。では逆に、健やかでないとはどういうことだろう。
貨幣の最初の形は、石貨ではなく塩だった。人にとって欠かせず希少性があり、長期間の保存が可能で、時間が経過しても価値が減りにくいもの。
冨を保存するための媒体。
財閥に象徴される超資本の本懐は、どのように自分たちの冨を維持し増やしつづけるかにある。
彼らは、インター・ナショナルというよりスーパー・ナショナルで、国という枠組には最初から納まっていない。ロスチャイルド家の仕事が国家間を越えて成長していった過程を振り返ると、ここ十数年の経済のグローバリゼーションはその大衆化のように見える。
資本が扱っているのは冨。お金はあくまでその一つであって、ある基軸通貨が使えなくなれば国ごと乗り捨てるし、貨幣のほかにも鉱物資源としての金やダイヤ、水、様々な媒体を使い分ける。
アートもそのひとつだ。
ニューヨークの現代美術館の多くはユダヤ資本によって建てられている。彼らはアフリカのダイヤモンドの相場をコントロールするように、アート・マーケットを育み、それを管理している。
それが文化と称され、マーケットの下にいくつもの教育機関がつくられて、毎年数え切れない「アーティスト」をところてん式に輩出しているわけだが、その枠組の中で優れてあることがアーティストとしての成功なのか?
そもそも「アーティスティックである」というのは、どういうことなんだろう。
人の心を震わせること、精神を自由に解き放つことがアートの本質だとしたら、アーティストを名乗っていなくても、そのような働きを示す人は沢山いる。
ある人は科学者としてそれをやり、ある人は町のおっさんとしてそのように在る。
いわゆる「アート」に自分はなんの信頼も期待も持ち得ていないのだが、神山のいとなみに共感する理由のひとつは、彼らがいわゆるアートの世界の方をまったく向いていない(ように自分には見える)点にあるのだと思う。
彼らは、アート市場において価値あることではなく、自分たちの住む町で価値のあることに興味がある。
アートをつくっているのではなく、アートを通じて、世界各地から集まった人たちと感情の交換をしている。
健やかであることは、ここではない余所とか、今でないいつかのために自分を生かすのではなく、いまここで自分を生かすことにあると思うのだが、神山の人たちがこの十年間重ねてきた試みに、自分はその健やかさを感じているのだと思う。
以上、知り合ってまだ半年の門外漢から見た、神山所感です。
西村 佳哲
にしむら よしあき/1964年 東京生まれ。リビングワールド代表。働き方研究家。武蔵野美術大学卒。つくる・書く・教える、大きく3つの領域で働く。元神山つなぐ公社 理事(2016〜21)。著書に『自分の仕事をつくる』(晶文社/ちくま文庫)、『ひとの居場所をつくる』(ちくま文庫)など。
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コメント一覧
ふむふむふむ ↑日本語って絵みたいですね >彼らがいわゆるアートの世界の方をまったく向いていない(ように自分には見える)点にあるのだと思う。 アハハハ 大当たりかも。。。 まったく向いてないってことはないですが、かなり、非常識なまでに薄いですよね それよりも、アートのまわりにわき起こるエネルギーの波のようなものに、ひたすらフォーカスしているというか。。。 とにかく、かなり「オリジナル」だと思います。 でも、そろそろアートそのものをリスペクトする姿勢も求められているような。。。 これから、ニューバランス、育てていきたいものです。
2008年3月24日 9:52 AM | chan