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廣田緑

2010年神山アーティスト・イン・レジデンス 招聘作家 

廣田 緑
1989年愛知県立芸術大学美術学部デザイン科卒業後、インドネシア国立芸術院デンパサール校絵画科、国立芸術院ジョグジャカルタ校彫刻科で学び、18年間インドネシアで活動後、今年春に帰国。現在は作品制作の他、インドネシアの作家を日本に紹介する展覧会の企画にも携わる。
2005年から、第二次世界大戦を経験したフィリピン、インドネシアの人々を訪ねて作品を交換してもらう『Memory of Asia』プロジェクトを開始、昨年は東京HIGURE 17-15cars Contemporary Art Spaceでの個展中一ヶ月、日本の戦争体験者100名との交換プロジェクトを行った。今夏、徳島県神山レジデンスでも同テーマでの滞在制作を予定している。(2010年)

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■KAIR2010 作品

交換プロジェクト Memory of Asia
「神山八十八人巡り」

展示場所:名西酒造酒蔵
ビデオインスタレーション

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私の祖父は明治41年生まれ。第二次世界大戦の最中に徴兵され出征した。私の祖母や父を残して。
 お爺ちゃん子だった私は幼いころ、祖父と寝るのが好きだった。夜中に大声で叫び、うなされていた祖父に翌朝わけ聞くと、「戦場にいる夢を見たんだよ」と答えたのを覚えている。
 長くインドネシアで生活し、アジア諸国を訪ねるうちに、私は日本がアジアの中でも異質な歴史を辿ってきたことを感じるようになっていった。アジア諸国の多くが占領された歴史をもつのに対し、日本はその逆だった。私は日本兵の孫として、そのような過去を体験したアジアのお爺ちゃんお婆ちゃんと、太平洋戦争の記憶を共有できないかと考えた。そして自分で作ったヒト型の陶作品と彼らの私物1点とを交換をしてもらうプロジェクトを2005年に始めた。
 フィリピンで1000人、東ジャワで30人、バリで130人の交換プロジェクトを終えたとき、今度は日本のお爺ちゃんお婆ちゃんの記憶を知りたくなった。東京、名古屋でお爺ちゃん、お婆ちゃんの記憶とヒトを交換したのちに私は気づいた。それまでは第二次世界戦争の「加害者」である日本人として、慰霊の意味を含んだ交換プロジェクトをしてきたが、日本いながら家族の出征を見送り、空襲に怯えた体験をもつお爺ちゃんやお婆ちゃんもまた戦争そのものの被害者なのではないか。戦争を体験した人は国籍に関係なく、みな戦争とその時代の被害者なのだ。
 2010年8月末から10月中旬の神山アーティストインレジデンス滞在中、四国八十八ヶ所にちなんで88人のお爺ちゃんとお婆ちゃんを訪ね歩き、様々な記憶に出会うことができた。「交換プロジェクト~神山八十八人巡り~」では過去のプロジェクトと違うことがひとつある。それは私物と作品の交換ではなく、記憶と作品の交換だということだ。徳島市内は空襲にあったが神山は焼かれなかった。だからいまでも古い家屋の納屋や倉庫に貴重な品が眠っている。それらを交換して私がいただくことは困難だし、快く交換くださったとしても、私が今後保管するのももったいない。神山の皆さんと交換したのは戦争の「記憶」、そしてその証としての借用物を、歴史ある酒蔵の中で展示することにした。
 「神山八十八ヶ所巡り」では、協力くださったお爺ちゃんお婆ちゃんのポートレート、貸してくださった品、語られた記憶のビデオを合わせ、酒蔵の空間で一つの作品として完成する。我々戦争を知らない世代には想像もつかない時代を過ごしてきた方々(私にとっては祖父の時代を共有した人々でもある)の言葉、年齢を重ねてきた顔、身近な品、それらの集積から、酒蔵を訪れた方が「お爺ちゃんたちの時代」へ、ひととき想いを馳せてくださる機会となれば嬉しい。

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(廣田緑 / 2010)

トップ画像 撮影:小西啓三
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→アーティストインタビュー 廣田緑