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スチュアート・フロスト

Stuart Frost
2014年 神山アーティスト・イン・レジデンス 招聘アーティスト

「場所」の観念や発想というものがスチュワート・フロストの芸術活動においての核となっている。それは作品のコンセプトともなり、制作の出発点としての役割を担っている。
サイト・スペシフィック・プロジェクトという行く先々の国で特定の場所を見出し、その場所に応じた作品制作を行う。制作する上で、歴史、地形、構造物、文化、素材など、その場所特有の性質や特性を選別しながら、「場所」を模索していく作業を行い、それらの多様な関係性が元となり、風景の特殊性、そこにある自然、物理的特性、環境への排他性や、その土地の文化、昔から伝わる神話、歴史などの関連性が作品に表現されている。さまざまな素材を用いて、それらの持つ独自性や性質を活かしながら制作を進めていっており、鑑賞者は作品を通じて素材の新しい一面を見ることとなる。本来の使用法を無視することにより、人々の物の見方をいっそう研ぎ澄ますこととなる。
イギリス、バース生まれ。ロイヤル・カレッジ・オブ・アート修了。現在はノルウェーの大学にて美術教授を務める。(テキスト・2014年)

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■KAIR2014  作品

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おくり
展示会場:大粟山
サイズ :240 × 300cm

(※現在修繕中のためご覧になれません)

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2014年、「おくり」と名付けられたこの作品は、八十八カ所霊場をつなぐ遍路道があることで有名な四国・神山の土地に作られた。四国遍路と信仰心の繋がりに導かれたスチュアート・フロストは、知恩院大鐘楼を参考に鐘をかたどった立体作品を制作した。作品は、町の中心部に位置する山の中腹に存在している。
建具や装飾材など多様な建材として、また伝統工芸にもよく見られ、素材として余すことなく利用される竹に着想を得て、「おくり」は構築された。フロストの彫刻作品の特徴は、地域特有の自然素材を用いる事で、作品は土地に馴染み、同時に独自性を持つ。制作はこの工程を主点としており、また地元住民の関与を要とし、共に膨大な量の竹を集めた。この点において、作品はパフォーマンスとして捉える事もできるのだ。この作品を作り上げる全ての工程で、たくさんの住民が手を貸してくださった。

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カミヤマカプセル
展示会場:大粟山
サイズ :53 × 352cm

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一見すると、自然から離反しているような姿形である事がフロストの立体作品の特性である。その独特な視覚的特徴に反して、作品は自然界の周期と共に存続し、近似性、類似性、規則性が色濃く組み合わされた環境と馴染むアートとなっている。土地への問いかけは常に作品の中心にあり、神山でも身の回りの自然素材や地元の方々の協力を得る事で、作品がその場所を自然に引き立てる存在になった。
W.J.Tミッチェルは言った。
「彫刻は場所を必要とし、また場所に成ることを望んでいる。」
その通りに、「おくり」は彫刻としての望みを叶える事が出来たと信じている。

(スチュアート・フロスト / 2014)

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イギリス生まれのスチュアート・フロストは、ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートを卒業し、現在はノルウェーの大学で教授を務めている。ランドアートやパブリックアートと呼ばれる野外彫刻作品を数多く手がけてきたアーティストである。それらの多くは通常の彫刻とは異なり、野外の環境や周囲を意識したサイトスペシフィック(設置する場所に呼応すること)による作品を制作してきた。アーティストにとって『場所』とは、実質的には作品を置く位置であり、その土地の様子を指すが、実のところ制作過程において思考の中枢となり、作品をかたち造る上での基盤となる概念なのである。つまり、場所は、地形、構造、空間といった物理的な要因だけではなく、精神的バックアップともいうべき見えない力を持ったコンセプトそのものなのだ。アーティストは、その設置する場所を通して社会的背景や文化、歴史、地域の特性を紐解いていくことになり、そこに創造性の種子を植え付けていくになる。したがって、観客はアートが放つエネルギーを確信しながら、フォルムという実体に触れつつ、その背後にある創造的文脈を手繰り寄せていく必要がある。
森のなかで異常な存在感を醸し出すフロストの作品は、その作品の大きさや力強いかたちによって視覚的光彩を放っている。山の麓から作品に近づいていくと、遠目で見ていたものと近寄ってディテールを確認した時では、異なる印象を受ける。この釣鐘型の「おくり(okuri)」という作品は、大量の竹筒を半分に割って、その弧の切断面を凹凸に積み重さねたものだ。地元で手に入れた竹材を石積みのように裾から上部まで丁寧に崩れないように重ねている。大きくどっしりとした姿だが、竹筒の半弧を利用したことで表層には無数の風穴があり、そのことで軽量感を見出せる。注目すべきは、竹という東洋の素材を使いながらも、特性である節々を持った円筒の形状を用いるのではなく、青竹というさっぱりした涼感を感じることもない。むしろ弧形のフォルムと石積みの技術を活用して西洋的なフォルムがそこにある。
その作品から程ない距離に横たわっている大木の作品は、黒丸が無数に配列されたミニマルな形態の木彫作品である。大木に残る黒い部分は、焼却による墨であるが、始めに円形の突起を特殊な工具を使って浮き出しておいて、全体をバーナーで焼成後に上層部を削り、木肌をむき出しにする方法である。工具を用いているものの手作業で作られ、表面に並んだ円形がきちんと整列していることで、まるで工業製品のようにも見える。それは、木製という暖かいな素材とシステマチックな円形の配置がギャップを与えている。そして、それが豊かな自然のなかに設置されることで、さらに異彩を放つのである。
ふたつの作品は、自然素材を用いているが、ミニマリズムというべき単純で強固な形態を表現することで、アーティストによって創造されたものと顕示している。この整然としたかたちは、時間の経過とともに苔むして朽ちて崩れていくことだろう。そうした変化の行く末も含んでいることが、アートの永劫といえるだろう。
(嘉藤笑子 跡見学園女子大学/武蔵野美術大学兼任講師)


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