神山町旧役場文書(1)「行旅病人」
なんでも2009年3月10日
【神山町旧役場文書】
神山町の郷土資料館には合併以前の旧役場文書が約8千冊保管されています。このように沢山の役場文書が保存されていることは全国的にも珍しいことといわれています。市町村にはほかに例がなく都道府県でも京都府・山口県にみられるだけだそうです。
神山町では昭和30年代後半から当時の先覚者によって集められ整理せられ保存せられ現在に至っています。明治10年代から昭和30年の5村合併までの文書です。読みにくい部分もあるし、理解できない文章もありますが、読んでいるとそれぞれの時代の神山の様子が分かり興味津々たるものがあります。ごく一部ですが文書を読んでみました。
【行旅病人取扱ニ関スル往復文書】
自:明治45年
至:昭和20年
旧下分上山村役場文書
行旅とは現在では旅行のことで、旅と行が反対になっています。この文書は旅人が途中で病気になったときのことに関することを記録しています。
下分上山村には四国巡拝第12番の焼山寺があり、参拝のお遍路さんのなかに病気になる人がありました。この時代は現在と違って家庭事情とか本人の状況で家に居られなくなって遍路にでる人が多かったようです。そのような人はたいてい一人旅で88か所を回っていましたが途中で病気になったり亡くなってしまう人もありました。この文書によると1カ年に最低2名、多いときは5名のお遍路さんが死亡しています。出身地も徳島県内はもとより西日本全域にわたり、宮崎県・愛知県・広島県・大分県出身の人名前がでてきます。
これについては市町村役場が世話をすることになっていました。たとえば焼山寺の一本杉のお堂で病人がでると近所の人が役場へ通知します。役場では係の職員が医師や警察の巡査を同伴して現場へ行き、死亡の場合は地域の人の世話で近所の墓地へ埋葬します。そのことは村役場から遍路さんの出身町村へ通知し、家族に知らせてもらいます。
知らせを受けた家族は死亡の現場や役場で事情を聞き、医師に対する費用、埋葬人夫賃、棺桶代などを支払いしたようです。ところがお遍路のなかには家族が分散していて責任をとる人が居ない人もあったようです。
現在のように旅行は楽しいという時代ではないようようで、暗い淋しい旅の様子がこの文書から窺えます。
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コメント一覧
その昔、いろいろ身体の弱い方々も、四国八十八ケ所を回られていたと聞いたことがあります。 本当だったのですね。 鴨島との境の峠にある流水庵のあたりのお話も聞いたことがあります。 建立にあたって、尽力をされた女性の方がいらっしゃったとか。 御身体の弱いお遍路さんのお話と少し関係するところがあるのでしょうか?
2009年3月12日 11:14 | サスケ
「お接待」の一つの「かたち」だったのでしょう。きっと! こんな気持ちやこころ、いつまでも大切にしたいもの。
2009年3月12日 11:23 | 大南 信也
14日付徳島新聞文化欄「生きる」の記事を拝見。 素晴らしいご功績に感銘を受けました。 さらに、今回のお写真!特に男前に写っております・・・(笑) おめでとうございました。
2009年5月14日 18:08 | 大南 信也
84才ですって。すげぇ~。 勉強好きの人は、そうでない人に比べて、平均的に、 元気で長生き、できるそうです。 稲飯先生を見ていると、まさに、実感致します。
2009年5月15日 00:58 | ニコライ