神山町旧役場文書(3)「名西山分開発期成同盟会関係書類」

なんでも2009年3月24日

稲飯 幸生

投稿者:稲飯 幸生

神山町旧村役場文書を読む(その3)

【名西山分開発期成同盟会書類綴】
旧鬼籠野村役場文書・昭和21年

この文書は「徳島駅から上分まで運行しているバスを徳島バスの運営でなく、国の直轄事業にしょう」と要望するための協議会です。

昭和21年と言えば終戦直後で、徳島市などはまだ焼け野が原でしたが、名西山分は戦災も受けずまだ余裕がありました。 このような時代に地域を開発しようということでその主眼とするところが民営のバスを国営自動車の運行にしようということでした。このために当時の各村(当時は名西山分6ケ村といっていました。入田村・阿野村・鬼籠野村・神領村・下分上山村・上分上山村です)。

最初の協議会は昭和21年1月25日に鬼籠野村役場で行われました。昭和20年8月が終戦ですので、それからまだ半年も経過していない時期です。出席者は6ケ村の村長です。国営自動車の誘致に関しては全員が賛成し、各村から運動費として300円を拠出することが決定しました。その後、昭和23年頃まで各村長に議会議長が加わって協議がおこなわれました。

昭和23年4月3日には徳島陸運事務所・ 徳島バス会社・道路事務所・徳島県議会などを訪問して国営バス運行に理解を求めました。

同年4月6日には高松鐵道局へ陳情に行きました。

同年4月13日には徳島県出身である運輸大臣の岡田勢一氏を東京の運輸省へ訪問しこの運動について理解を求めています。

同年4月19日には四国鐵道局が名西山分の道路の実態と経済調査を実地調査をし、国営自動車運行に有望と認められました。

同年4月20日には役員が県副知事を訪問し協力を要請しました。

同年4月30日徳島バス会社・徳島陸運局へ同意を要請したが、考慮の上返答するということで同意の見込みは薄かったといいます。この頃から国営自動車の運行については疑問視されるようになりました。そして5月に入ってこの問題は決定的な結論がでました。

5月14日に役員は県議と同行して東京に赴き岡田運輸大臣を訪問しました。大臣の答えは次のようなものでありました。

「日本を占領している聯合軍の意向により、新設路線は許可しない方針であり、今回は悪しからず了承いただきたい。」

占領軍の名を借りてうまく断られたということでしょうか。終末があまりにも簡単すぎるような気がしますが、この問題は以後語られたことはありません。

稲飯 幸生

稲飯 幸生

神山町文化財保護審議会長。

稲飯 幸生の他の記事をみる

コメント一覧

  • 先人の大胆な考えと行動力に恐れ入ります。 DNAが受け継がれているといいのですが・・・(笑)

    2009年3月24日 23:55 | 大南 信也

  • 稲飯先生の昔の文書の解読、楽しみに拝見しております。 「民営のバスを国営自動車の運行にしようとした。」 との事ですが。 今は「官」→「民」の時代ですが、 昔は「民」→「官」だったのでしょうか。

    2009年3月26日 22:16 | ニコライ

コメントする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * 欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください