神山町旧役場文書(6)「時局匡救」

なんでも2009年5月21日

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投稿者:稲飯 幸生

−神山町旧役場文書を読む(その6)−
時局匡救事業関係
昭和7年6月
旧上分上山村役場文書

時局匡救(きょうきゅう)とは世の中を救うという意味です。
昭和の始め頃は世の中が不景気でした。現在(平成21年)と同じように世界的にも経済的に活発な動きがない時代でした。

日本では特に農村の疲弊が著しく、米麦の生産・養蚕・家畜・農産加工・山林などの分野において生産物価の暴落があり、逼迫した経営状態でありました。対外的には昭和6年には満州で日本と中国の軍隊の衝突があり(満州事変)、翌7年には上海事変がおきています。

このような世の中を生きるため、農村はどのような事をすればよいか、というのが匡救事業ということであります。
この文書は国や県から事業についての計画が示されています。

【公益質屋の設置】
設備費として2000円、貸付(運転)資金として5000円を昭和7年8月27日にこの村から県へ補助金を請求しています。 この公益質屋とはどんな事業であったかの具体的な様子は分かりません。分かればおもしろいとおもいますが資料が残っていません。

【時局匡救農村振興町村道工事】
県よりの補助5850円、地元寄付金2178円、計8028円で村の人を雇って道路工事をする事業です。
[支出]
・道路修繕費(3線)3886円、
・荒廃地復旧及林道開設費(3914円)
・人夫の労働
日給 男子 80銭
女子 50銭
時間外勤務・臨時出役などに詳しい規約があります。
10月、11月、3月:労働時間  10時間30分
12月、1月、2月: 労働時間 9時間
※4月から9月までの農繁期は避けたようです。

この土木事業は村民が多数雇用され、農村振興に役立ったと思われます。村内の土木業者も大いに歓迎しているようです。しかし、数年を経過して昭和12年には中国で日中戦争が始まり、同16年には世界を相手にして大東亜戦争に突入します。こうなると村振興どころの話ではなく、国の存亡を懸けた戦争に全国民が必死になって参加し、昭和20年の終戦を迎える事になります。 人間の歩み、人間の歴史とはなにが起こるか分からない摩訶思議なものであるという感じがします。

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稲飯 幸生

神山町文化財保護審議会長。

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コメント一覧

  • 面白いし、興味深い!記録に残すことの重要性を痛感させられます。

    2009年5月21日 16:17 | 大南 信也

  • 歴史って、後から振り返れば、“あれが、時代の分岐点だった・・・ ”とか よくわかるようですが、まっただなかにいるときは、わかりませんね。

    2009年5月21日 23:31 | ニコライ

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