神山町旧役場文書(7)「動員日誌」

なんでも2009年6月3日

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投稿者:稲飯 幸生

− 神山町旧村役場文書を読む(その7)−
昭和十二年度
旧鬼籠野村役場文書

「動員」とは軍隊へ入る命令のことです。この時代の日本国民の男子で20歳以上の者は軍隊へ入る義務がありました。召集令状が来るとすべてを捨てて軍隊へ入らなければなりませんでした。
動員令は村役場を通じてそれぞれ個人へ知らされるようになっていました。
動員令が来た日の状況が日誌に書かれています。

【昭和12年7月27日】

○ 午後3時 :石井警察署長から鬼籠野村長宛に鬼籠野村へ一名の動員があるかもしれないと言う連絡があった。
○ 午後5時 :鬼籠野村へ一名の動員が確定したので、その準備をするようにと言う連絡があった。
○ 午後7時45分 :召集令状を持参した使者が役場到着。 村長・役場吏員は緊張して受け取る。
○ 午後8時15分 :村長は役場吏員に令状を持たせて該当の家へ行くよう命ずる。
○ その後、村長代理として収入役がその家庭へ挨拶に行く。
○ 収入役は役場へ帰って状況を報告。

家族一同、名誉であると喜んでいた。親類・近所・在郷軍人などが大勢集まって激励し、留守の援助を誓っていた。

中国北部で戦争が始まったのはこの年の7月7日でした。それから10日あまりで鬼籠野村の若者が戦場に駆り立てられたのでした。昭和12年度に鬼籠野村だけで45名の召集がありました。

この文書は淡々と事務的に書かれていますが、その裏には戦争に突入する日本の状態が秘められていると思われます。

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稲飯 幸生

神山町文化財保護審議会長。

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コメント一覧

  • 最初の連絡は、警察署長→村長のルート。知りませんでした。 召集令状を持参した使者は、どこから派遣されるんでしょうか?

    2009年6月3日 21:29 | 大南 信也

  • 私が生まれた鬼籠野村だけで、昭和12年、45名の召集があったのですか・・。あの小さな村で。

    2009年6月5日 00:10 | ニコライ

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