国際交流プロジェクト 海外ツアーin Kamiyama ミャンマー編

学び2021年11月10日

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投稿者:松岡 美緒

2021年度の国際交流プロジェクトは、「海外ツアーin Kamiyama」と名づけられ、コロナの影響で海外の往来ができない中で企画されました。神山つなぐ公社が神山町教育委員会から受託して実施しているもので、私は企画の段階から通訳・ファシリテーターとして関わらせていただくことになりました。

もともとこのプロジェクトは、「自分と他者と世界を学ぶ」ことを大切にしているのですが、結果的に言えば、神山にいながらもこのコンセプトに辿り着くことが出来る新たな発見ばかり。

ツアー先の国と内容を考える上で配慮した点は、神山/徳島と関係の深い国であること、そして子どもたちが実際に身体を動かすアクティビティを伴えること。

プログラムをデザインする上で個人的にフォーカスしたのは、「美味しい」「楽しい」「美しい」「自分らしい」を体験できるかどうかということ。私のパーマカルチャー(循環する暮らしのデザイン手法)の先生が考案したの大切な4原則でもあります。

そんなこんなで、教育委員会の井上さんと、つなぐ公社の森山さんと話し合い、ツアーを行う3ヶ国は、ミャンマー、アメリカ、イタリアに決定しました。

1つの国につき2日間のツアーがついてきます。1日目のツアーは神山/徳島で身体を動かすアクティビティ、2日目はオンラインで海外と繋ぎ対話します。参加者は、より深い理解と交流のため両日参加することが薦められました。参加対象は神山に住む、もしくは神山の学校に通っている小学校高学年から高校生まで。

11歳から17歳までの幅広い年齢層の子どもたちが参加し、共に学ぶ機会になりました。その様子を少しご紹介します。

 

ミャンマー編「ミャンマーの今と昔にタイムトラベル」

みなさんは徳島市内にある眉山に登ったことがありますか?眉山の頂上には徳島市内のどこからでも見える白い塔が建っています。

出典ウィキペディア

塔の名前はパゴダ。ミャンマーの言葉で寺という意味です。なぜ徳島にミャンマーのお寺があるのでしょうか?実は、第二次世界大戦中ミャンマー(当時のビルマ)に徳島から1万人近くの兵士が送られています。そして大多数の兵士が徳島の地を再び踏むことなく、現地で亡くなりました。兵士らは、激しい戦禍の中でというよりも、ジャングルの中で生活物資が届かず、マラリアなど伝染病などが原因で亡くなったと言います(出典NHK)。

兵士らを率いていた隊長の1人、守住徳太郎さんは多くの隊員を亡くしました。「帰国してからは魂の抜け殻のようになってしまった」と息子の守住九一さん(80)が話してくれました。徳太郎さんは、仲間への供養と平和への願いを込めて、戦後の物資が極めて少ない中、そして当たり前だけれどロープウェイもまだない眉山に材料を運び、仲間とともにパゴダを建てたそうです。

こんな話を子どもたちと共有できたら、と企画したツアーです。

1日目

集まった子どもたちはチェックイン(その時の気持ちや期待することを共有する時間)で、「教科書に載っていないことが知りたい」「日本で起きた戦争など大きな括りは学校で学んだが、徳島で何が起きたのかまだ知らない」と話してくれました。キャラバンに乗り込んだ一行は眉山に向かう途中で色鮮やかなミャンマーの民族衣装ロンジを選びます。埼玉に住むミャンマー人の女性が送ってくれたもの。

真夏の朝の空気を吸いながら、パゴダを目指して歩きました。パゴダの中には資料の展示があり、戦争中兵士らがどのようにミャンマーやタイ付近を移動したのか学べたり、大河を渡る時に命を守ってくれた水筒や国宝の楽器を見ることができます。

パゴダでは守住九一さんの話を聞きます。

「戦争中は本当に物資が何もなかった。みんな我慢して生きていたよ」

「空襲の前に徳島で雨が降ったとみんな思っていたが、それは町をもっと燃やすために撒かれたガソリンだった。空襲の爆弾には、飛行機が認識できるように色がついていたので、遠くから空襲の攻撃を見た時、赤や緑など花火のように光っていた」

「パゴダには戦争で亡くなった人やパゴダ建設に関わった人の骨が祀られているんだよ」

パゴダはテレパシーの交信地点。徳島市内のどこからでも見えるだろう?何をしてても先輩たちが見守ってくれているんだ。見上げたらそこにいる。私たちが頑張っていることをちゃんと見てくれている。」

ミャンマーの民族衣装ロンジは筒状に縫われた布。とてもシンプルな作りですが、布の種類は様々でシルクのようにテカテカ光る素材でできたものや、細かい刺繍やレースがあしらわれているものなど。子どもたちは普段来たことがない形なので着るのに苦労していましたが、お互い手伝いながらロンジを腰に巻きつけていきます。教育委員会の井上さんも最初は戸惑っていましたが、みんなと一緒に身にまといました。いつもと違う感覚に飛び込むのって少し勇気がいりますよね。

献花として、前日に鳴門の蓮根農家さんの畑から摘ませていただいた蓮の花を準備しました。蓮は泥の中から美しく咲く仏教を代表する花。実際私がミャンマーを訪れた際も、パゴダの周りでは蓮の花を売る親子が歩いていたり、パゴダに捧げられていたりしました。

部屋の中心にある螺旋階段を3階まで登ると金と赤が印象的な仏壇があります。思いがけない場所に登場した迫力ある仏壇に圧倒される子どもたち。少し桃色の筋が入った蓮の花を高校生が生けてくれて、みんなで手を合わせました。

神山に帰ってきて、東京・高田馬場にあるミャンマータウンから取り寄せたミャンマーのお菓子を蓮の葉に載せて、ほっと一息おやつタイム。ココナツの香りが漂います。

子どもたちは「今まで身近に戦争の話をしてくれる人はいなかったが、戦争は絶対にしてはいけないと改めて思った」「今まで見えなかった徳島とミャンマーの繋がりを感じた。今ミャンマーで何が起きているのかもっと知りたくなった」と話してくれました。


2日目

三本指で帰国しない意志を表明した日本在住のミャンマー人サッカー選手のニュースを覚えているでしょうか?2日目のツアーはこの選手が帰国できない理由、2021年2月に勃発したミャンマーのクーデターについてです。

眉山から、場所は打って変わって、鮎喰川コモン。オンラインで繋ぐのは、ミャンマーから日本に移住後、帰化している新井明音さん(ミャンマー語の名前はチーピャ)です。

彼女は日本に移住した時、あまりミャンマーについて興味を持てていなかったそう。しかし、今回のクーデターが勃発し、家族や友人がミャンマーで命の危険に晒されているのを見て、ミャンマーについてもっと理解したいと感じたそうです。現在は日本の大手企業で働く傍ら、より多くの人にミャンマーの実態について知ってもらうため活動しています(詳しくはこちら)。

チェックインで子どもたちは、日本語が堪能なチーピャにびっくりしながら、「ミャンマーの文化や歴史について知りたい」「クーデターで経済的影響を受けている山間地の民族に冬服を送る活動に家族で参加したことがある」「自分達に何ができるか考えたい」などそれぞれの期待を共有しました。

100種類以上の民族がいることや、美しいパゴダ(寺)が町中にある風景を写真で見せてもらう中で小学生からの質問が止まりません。「民族がそんなに分かれているということは、まだ研究されていない文化が存在する可能性があるのでは?」「宗教間差別はあるの?」「パゴダはなぜそんなにも点在しているのか」一つ一つの質問に丁寧に答えてくれるチーピャの姿が子どもたちの興味を引き立てます。

「ミャンマーは世界一の寄付文化を誇る国。目の前にいる人が幸せになれば、自分も世界も幸せになれると信じているの」

歴史の中で自由が奪われ、何度もクーデターが起きているミャンマー。無差別に武装していない住民が殺されているのが実態です。非暴力なストライキを続けている市民、そして新しい政治システムを自分たちで作り出そうとしている人々。悲惨な現状と、暮らしを立て直すムーブメントについて話してくれました。

「サッカー選手が立てていた三本指は、民主主義を返して欲しいという願いを表している。私たちから自由や平和が奪われているということを訴えているよ」

病院や学校、すべての公共施設が閉鎖されていることを知った子どもたち。

「病院がストライキで閉まっているなら、病人はどこにいけばいいのだろう?」という質問に対し、「医師たちは個人的に病人を診る活動をしているが、軍に見つからないように大っぴらにはできない実情がある」と教えてくれました。

「母親からクーデターの話は聞いていたが、詳しく歴史まで知ることができた」「本当に起きてはいけないことが、今この瞬間に起きている」子どもたちは身近に戦争を感じることがない場所に住みながら、他の世界を覗くことができたよう。

「自分もできることをしたい」という参加者の声から、私たちもフォトアクションに参加しました。クーデターが1988年8月8日にも起きたことを覚え、ちょうどイベント前日に現地ミャンマーでは8本の指を立ててフォトアクションが行われていました。子どもたちは、クーデターに自分たちと同い年のZ世代が立ち向かっていることを聞き、彼らへの応援の気持ちも込めたようです。

最後に、ミャンマーの伝統料理、お茶の葉サラダを神山風にアレンジして食しました。現地では、お茶の葉っぱを徳島の名産、阿波晩茶と同じように発酵させ、塩や唐辛子で味付けして揚げたナッツや生野菜と和えて食べる料理。こんなところにも意外な共通点の発見です。

私たちは、平和というテーマのもと、着る・食べる・手を動かす、を通して、この2日間の時間を子どもたちと過ごしました。毎日の衣食住に関わることで、「生きる」と直結する体験を作り出せる。彼らの記憶の色んなところに、平和の足跡を残せたのではないかと思います。ただ教える、ただ覚える、ではなく、みんなで体験することで、その記憶は身体に長く留まり、いつか彼らのタイミングで花を咲かせてくれるでしょう。

 

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ほかの海外ツアーの様子もぜひご覧ください。
▶︎ アメリカ編「みちくさレストラン」
▶︎ イタリア編「マルゲリータと石を積もう」

 

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松岡 美緒

1992年東京生まれ。家族の転勤のおかげで、沖縄や石川など日本各地の自然の中で時間を過ごす。日本の難民問題、消費社会に搾取され続ける第三世界の現状を知り、イギリスで国際開発学を専攻。平和構築を目指したパキスタンのNGOに従事するなど、世界中の農村を旅するうちに、食を中心にいのちの手触りを学ぶ学校菜園(Edible Schoolyard)に出会う。日本帰国後、子どもたちと自然を繋ぐパーマカルチャーデザイナーに。現在、東京から徳島県神山町に移住し、「play garden」を屋号に、循環する暮らしを実験している。社会の枠にハマらなくてもいいと決めた子どもたちとの出会いをきっかけに、森の中に「おいしい」「楽しい」「美しい」子どもの居場所づくりを計画中。みっけ主宰https://note.com/mapisfullofknots/n/ndc81adf20d16 鮎喰川コモンでスタッフしています。神山で古民家を改築中。

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