かみやまの娘たち vol.7 ロースターを回すとつながる世界がある。

なんでも2017年4月17日

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投稿者:ウェブマガジン「雛形」 かみやまの娘たち

(hinagata)

ここ徳島県・神山町は、
多様な人がすまい・訪ねる、山あいの美しいまち。

この町に移り住んできた、
還ってきた女性たちの目に、
日々の仕事や暮らしを通じて映っているものは?

彼女たちが出会う、人・景色・言葉を辿りながら、
冒険と日常のはじまりを、かみやまの娘たちと一緒に。

写真・生津勝隆
文・杉本恭子
イラスト・山口洋佑


千代田孝子さん (「自家焙煎コーヒー 豆ちよ」店主)

千代田孝子さんは、神山で珈琲豆を焙煎している人。屋号は「豆ちよ」。お店は持たず、県内外のカフェなどでの珈琲豆を販売しているほか、定期・不定期のイベントで珈琲を淹れることもあります。

インタビューは、丘の上にある千代田さんの家で。待ち合わせた県道沿いから細い道に入り込むと、あっという間に鬱蒼と木が生い茂る山道がうねりはじめ、暗い道にきらめくような木漏れ日が落ちていました。明るいほうへ、明るいほうへと車は走り、視界がぽっかりと開いたとき、「ひかりの国」とでも呼びたくなる世界が待っていました。

向こう側の山にもこちらと同じような集落が見えます。そこには、千代田さんの友だちが住んでいて、ときどき大きな声で呼びあったりするそうです。小学校のとき、国語の教科書で読んだ「岡の家(鈴木三重吉)」のことを思い出してしまいました。

千代田さんを神山に呼び寄せたのも、この景色だったそう。

「神山に来ようと決意した理由は、とにかくこの家の景色です。空気がとにかく美味しくて、山の連なりが美しく、鳥の声にナチュラルリバーブがかかっていました」

これからはじまるお話は、この風景のなかから届けられている、千代田さんの珈琲のお話です。

千代田さんに珈琲を淹れてもらう。

インタビューをはじめる前、千代田さんは私たちに珈琲を淹れてくれました。

挽いた豆にふわりとお湯をかけてしばらく蒸らした後は、すっ、すっと手を動かして手早くドリップ。そのようすを見ていると、千代田さんはどんな味の珈琲をつくろうとしているのか、聞いてみたくなりました。

「私は、珈琲を毎日飲みたいので、とがっていない、まあるい味が好きなんです。あまり酸味がなくて、甘味もあって、やさしい味。やさしいけどボディもあるというか。好きな豆はグアテマラです」

千代田さんが淹れてくれたグアテマラは、たしかに「まあるい味」に感じられました。重さはないけれどボディがあり、酸味がやわらかく甘味に寄り添うような味です。

「私、ずっと東京に住むのかな?」と思って。

千代田さんは、横浜生まれ横浜育ち。20代の頃は男女ツインボーカルのソウル系バンドで歌っていたそう。「コンクリートジャングルで育った都会っ子」だった千代田さんですが、2004年に房総半島の南側にある千葉・いすみ市に移住。いなか暮らしをはじめたいきさつは?

「当時、結婚はしていたけど子どもはまだいなくて。ふと、将来的にずーっと東京に住むのかなと思うことがあって。近くにできたマンションを見に行ってみたんです。マンションってどんなんだろう?って。

そしたら、4000万円もするマンションなのに窓の外はすぐ隣の建物。営業の方がオススメポイントとして、『こちらのトイレは自動でフタが開きます』っておっしゃったんですけど、私にはそこは響かなくて(笑)。生活を、人生を送っていく空間なのに、なんかおかしいなあと思いました。

その頃、夫の大学時代の同級生が、東京から葉山に引っ越して、自然食や自然農をはじめていたので、どんな暮らしをしているのか行ってみたんですね。彼らは、畑を借りて自分たちで育てたゴーヤで夜ごはんをつくってくれて。ささやかな食事をお弁当箱に詰めて、すぐ裏にある秋谷海岸に連れて行ってくれたんです。そのことがすごく贅沢で豊かなことに感じました。

自分たちの手で自分たちの暮らしをつくっている彼らを見て、スイッチが入ったんですね。ちょうどその頃、夫が釣りを始めて、千葉によく行っていたこともあって『歳をとったらこんなところでのんびり暮らせたらいいな』と思っていたし、その時期を早めてもいいんじゃないかって。

わりとすぐに、いすみでとてもいい土地に出会って『ここなら暮らしていけるかも』と、田舎暮らしに入っていきました」

阿波踊りまでに、徳島に引っ越そう。

いすみで暮らした8年間のあいだに、千代田さんの夫・裕樹さんはフリーランスになり、宇太(うた)くん、美橙(みと)ちゃんの2人の子どもにも恵まれました。友人や仲間も増えて、とりわけ自主保育を共にした人々と紡いだ関係性はかけがえのないものになっていたそうです。

2011年3月に起きた東日本大震災は、そのすべてを変えてしまう出来事でした。

「震災が起きた時、生きる価値観が大きく変わったのを感じました。そのときの自分にとって何が一番大事なんだろう?を問いかけたとき、『生きるって楽しいんだよ』ということを言葉ではなくて一緒に体感しながら、まだ小さい子どもたちと過ごせることなのかな、と。

そんななかで、ふと思い出したのは徳島でした。昔、バンドで四国をツアーしたときに、徳島出身のメンバーの実家にお世話になったことがあって。食べ物はおいしいし、みんなやさしいし、『なんていいところなんだろう!いつか住んでみたいなあ』と思ってたんです。

『とりあえず徳島に行ってみよう』と、4月から5月半ばまで1ヶ月半、バンドメンバーの実家のお世話になりました。そこのお母さんやご家族に暖かく迎えていただいて、子供達ものびのび過ごせました。

すごい楽しかったし、夫もネット環境があれば仕事ができるから、『阿波踊りまでに徳島へ!』と、急遽市内の小さなアパートを借りて引っ越してきたんです。そのときは、神山のことは全然知らなくて。翌年明けに昔の友人からこのお家の話が舞い込んできて、3月からこのおうちに移りました」

ハンドロースターに導かれて
歩みはじめた珈琲の道。

千代田家のキッチンの真ん中にある作業台には、あめ色のハンドロースターが置かれていました。なんだかとても特別なものとして扱われている感じ、ポンと置かれているというよりは、そうっと持ち上げてここに降ろされたという感じ。すごく気になる存在感です。

「手元に来たのは徳島に来る直前の、2011年の7月。というか、珈琲豆の焙煎をするようになったのは、このハンドロースターと出会ったからなんです。

いすみで一緒に自主保育をしていた仲間の引っ越しを手伝っていると『これはどうぞ』というコーナーのほんと片隅にこれが置いてあるのが気になって。なんでかわからないけれど『これほしい』と思ったんですよね。もともと、夫も私も珈琲がすごい好きでよく飲むし、夫も『やってみよっか』って。

それで、これを引き受けて、自分のために、自分が珈琲を飲むために焙煎を始めたらすっごく面白かった。豆なので焼くとはぜるんですね。そのはぜる音がすごいかわいくって。はじめは、ほんとにこんなにシンプルに焼くだけで焙煎できるんだなぁ、楽しいなって、あまり深く考えずにやっていました。

しばらくはずっと、自分たちのために焙煎していましたが、徳島はマルシェや手づくり市が多いし、ふと『何かできるかな』と思って。珈琲で出店してみたら、思いのほか喜んでいただけたんです。それまで、全然知り合いもいなかった徳島に友だちも一気にできました。

今は、なんて道に入っちゃったんだと思っています。まさか、こんなに難しい道だとは思わず、先にはじめちゃったから。

珈琲豆を焼くときは、ほんとに引き上げるタイミングが何秒か違うだけで味は変わります。火力や温度の上がり方、気候、排気など、条件が変わると全然味が違う。同じ豆を使っても淹れ方が違えば味は違いますし、100人いたら100通りの珈琲があります。

そもそも、珈琲豆は自分でつくれるものではないので、たくさんの人の手のつながりみたいなものというか。それを受け取って自分がロースターを回すことで、なんかつながるものがあるのかな、なんて思いながら。……いすみで一緒に自主保育をしていたみんなとの暮らし、すごい良かったんです。このロースターは、そのときの世界と徳島、神山に来てからの世界をつなぐ、私にとってはシンボリックなものでもあるんです」

相手を大切に思う気持ちを
ていねいに伝える一杯を。

グアテマラ、ブラジル、コロンビア、エチオピア。珈琲豆に冠される国の名前は、もちろん豆の原産地を意味しています。その国のどこかにあるコーヒー農園で、誰かが育てて収穫したコーヒーの実の種子が、海を渡って日本へ、徳島の千代田さんのもとで焼かれるまでにも、とても長いプロセスがあります。カップに注がれる一滴一滴は、とてつもない距離と時間がつながっているのです。

そして、千代田さんは自分を通過していく珈琲を、どんな気持ちで手渡しているのでしょう。

神山・チーノ農園で行われる『Sunday picocino』にて、珈琲を淹れる千代田さん。

「世の中に“ほっと一息”の時間がもっと増えたらいいなと思っています。

ていねいに焙煎したり、淹れてお渡ししたいのは『目の前のあなたを大切に思っています』という気持ち。ただ単に珈琲を売るというより、そういう一杯でひとときほっとした後に、それぞれのスイッチを入れて、それぞれの次につながって行くイメージです。

一杯一杯淹れていると『お待たせして申し訳ないな』と焦ることもあります。でも、思いのほかみなさんじっと待ってくれて、『そんな風にていねいにしたことないわ』って喜ばれるのはとても嬉しいですね。

手探りで始めたことが『豆ちよ』として形になってきたのは、今までのご縁や徳島、神山で暖かく迎え入れてくださった皆さんのおかげなので、そういう温かい気持ちのバトンを珈琲という形で渡していきたいという思いもあります。

たとえば、私はどこかのお店でしっかり修行した経験はないのですが、珈琲の第一線で活躍されている方々が親身に相談に乗ってくださり、技術や仕入れの面でも大変お世話になっています。そんな諸先輩方がいなかったらここまで続けられませんでした。

毎週火曜日は、神山「Cafe on y va」で千代田さん自身が珈琲を淹れています。

「Cafe on y va」オーナーの齊藤郁子さんと一緒に。

イベントで珈琲を飲まれた方がご自宅を開放して『月イチ豆ちよデー』を開いてくださったり、それらがきっかけで店舗さんへの卸が始まったり。大南信也さん(注:グリーンバレー理事長)に初めてお会いしたときも『珈琲を焙煎している』と話したら、すぐに『カフェ・オニヴァ(Cafe on y va)』の郁子さんをご紹介いただきました。

当時は、まだ『カフェ・オニヴァ』お店を改装する前。郁子さんに『滝の水で珈琲を淹れましょう!』と誘われて、シェフの浩代さんと3人で雨乞いの滝に道具を背負って登り、滝のおいしい水で珈琲を飲みました。その出会いが、『カフェ・オニヴァ』での週一カフェタイムにつながりましたし、この地で飲んでくださる方々の顔が見えたからこそ、神山でもっとしっかりやっていこうと思えたんです。

また、珈琲のラベルはタカミヤユキコさんというイラストレーターで、実は私たちが田舎暮らしを始めるきっかけになったあの葉山の友人なんです。音楽をやっていた時「いつかソロアルバムを出したらジャケット描いてね」なんてお願いしていた話が、違う形で実現したラベルでとても気に入っています。

『豆ちよ』の珈琲豆ラベルは、タカミヤユキコさんによる“オオハシ”のイラスト。

去年、神山町の地方創生のワーキンググループに参加したのも気持ちの転機となりました。休憩時間に『豆ちよ』の珈琲を片手にみんなが語らうのを見て『こういう珈琲のあり方もすごくいいな』と素直に思えたんです。最初大きなマシンで淹れることに不安がありましたが、楽しんでもらえるのであれば、小さいことにこだわらなくていいのかなって。

歩みは遅いけど、ご縁とともにそうやって自分の中でもひとつひとつがゆっくりとしっかりとつながってきているという実感はあります。だから、このバトンは大切にしたいんです」

千代田さんのインタビューを終えてから、珈琲を飲むときにふと「今日も千代田さんは、あの丘の上の家でロースターを回しているのかな」と思い出すことがあります。そして、焙煎をしたり、珈琲を淹れたりする千代田さんの手が世界をつないでいるように、私自身の手もきっと世界をつないでいるのだと考えたりもするのです。

もし、神山を訪ねることがあったら、毎週火曜日の『Cafe on y va』や、毎月第二日曜日の『Sunday picocino』で、千代田さんご自身が淹れてくれる、千代田さんの笑顔そのもののような珈琲を一杯、飲んでみてほしいと思います。

 


 

「自家焙煎コーヒー 豆ちよ」
カフェメニュー・珈琲豆の取り扱い店は以下の通り(2017年4月現在)

神山町内
『Yusan pizza』(カフェメニュー)
『かまパン&ストア』(珈琲豆販売)

徳島市内
『nagaya』(カフェメニューと珈琲豆販売)
『chitree』(珈琲豆販売)

東京
ワタリウム美術館内『on Sundays』(カフェメニュー) 


ライター/杉本恭子(すぎもときょうこ)
大阪府出身、東京経由、京都在住。お坊さん、職人さん、研究者など。人の話をありのままに聴くことから、そこにあるテーマを深めるインタビューに取り組む。本連載は神山つなぐ公社にご相談をいただいてスタート。神山でのパートナー、フォトグラファー・生津勝隆さんとの合い言葉は「行き当たりバッチリ」。

転載元:ウェブマガジン「雛形」

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ウェブマガジン「雛形」 かみやまの娘たち (hinagata)

神山に移り住んだり、還ってきた女性たちへのインタビュー・シリーズ「かみやまの娘たち 」。ウェブマガジン「雛形」で全44回にわたり連載された記事をイン神山にも転載させていただきました。

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