かみやまの娘たち vol.11 私の仕事は、コミュニティに命を吹き込むこと。

なんでも2017年9月8日

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投稿者:ウェブマガジン「雛形」 かみやまの娘たち

(hinagata)

ここ徳島県・神山町は、
多様な人がすまい・訪ねる、山あいの美しいまち。

この町に移り住んできた、
還ってきた女性たちの目に、
日々の仕事や暮らしを通じて映っているものは?

彼女たちが出会う、人・景色・言葉を辿りながら、
冒険と日常のはじまりを、かみやまの娘たちと一緒に。

写真・生津勝隆
文・杉本恭子
イラスト・山口洋佑


高田友美さん(「神山つなぐ公社」community animator〈コミュニティ・アニメーター〉)

神山つなぐ公社で働く、高田友美さんが選んだ肩書きは「community animator(コミュニティ・アニメーター)」。
日本では、まだあまり聞き慣れない横文字です。

「animate」の語源は、「息」や「命」を意味するラテン語「anima」。
つまり、「community animator」とは「コミュニティに命を吹き込む」仕事。

community animatorは、地域で暮らす人と人、あるいはグループの間に橋を架け、コミュニティに変化を起こしていく存在。みんながお互いに学び合い、それぞれが自分自身の求めや願いに基づく行動ができるよう、そっと背中を押すような役割をします。

神山つなぐ公社で働きはじめて1年4ヶ月*。
community animatorとして、高田さんは今どんな仕事をしているのでしょう。
*インタビュー当時(2017年7月)。

「しごとづくり」と「community animator」

前回のインタビューでは、神山に来るまでの世界を股にかけた道のりをご紹介した高田さん。

当時の名刺の肩書きは、日本語で「しごとづくり担当」、英語では「community animator」でしたが、半年ぶりにいただいた名刺の日本語での肩書きは空白になっていました。

お仕事の内容に変化があって、「しごとづくり担当」という肩書きを使わなくなったのでしょうか。

「最初から英語の肩書きは「community animator」でしたから、そういう意味では軸はぶれていないと思います。

前職の滋賀大学ではキャリアデザイン系の授業を担当していましたし、何か新しい仕事や活動を生み出していくことにはもともと興味を持っていて。神山町の創生戦略『まちを将来世代につなぐプロジェクト(以下、つなプロ)』を構成する、『すまいづくり』『ひとづくり』などの分野に当てはめて、『しごとづくり担当』の肩書きでどうだろうかっていうことになっていたんですね。

去年の段階では、『しごとづくり』の枠のどこにどういう形で触れていくのか、神山の状況を探りながらいろいろやっていました。そのなかのアイデアとして、各自が何かやってみたいことを発話して、みんながいろんなかたちで応援するしくみをつくれたらいいなとも思っていて。

たとえば、趣味の範囲でやっていたことを『鮎喰川コモン』に持ち込めばパブリックな企画になります。続けていけば、やがてお金を払いたい人が現れて仕事になっていくかもしれない。そういう動きをつくることも、community animateだと私は思っていたから、仕事の中身がゴロっと変わったわけではないですね。

イメージで言うと、community animatorという仕事は、自分自身が舞台に立つというよりは、舞台にいる人がもっと輝くような光の当て方を考えたりする感じ。

舞台に興味を持つ人がいたら『どんな関わり方をしたいのかな?』と思いながら、試しに配役してみたり。大道具づくりを頼んでみたり。舞台そのものも一緒につくっていたら、役者だと思っていなかった人が舞台に上がってきたり。そんなのを楽しみながら見守っていくのかなと思います」。

「鮎喰川コモン」から
町の公民館も変わるかもしれない

来春以降、「鮎喰川コモン」にオープン予定の「みんなのリビング・読書室」は2階建ての建物。1階は人がワイワイ話しながら集ったり、子どもたちが宿題したりできるスペース、2階は本棚もあって静かに自習したり読書したりするスペース。まちの人たちは自由に立ち寄ることができる文化施設です。

鮎喰川コモンにつくられる「みんなのリビング・読書室」の立体図イラスト。

「鮎喰川コモン」でのコミュニティづくりも高田さんの仕事。

今のところ、朝9時から夜9時まで、週6日間の開館を想定しており、「それぞれの時間帯にどんな利用者が来てくれるだろう」と、高田さんはまちを見渡して可能性を探っています。

でも、できたばかりでなじみのない「鮎喰川コモン」に、まちの人たちが気軽に立ち寄ってくれるようになるには、どんなアプローチをすればいいのでしょうか? 高田さんたちは、参考になる事例の視察なども行いながらイメージをつくってきました。

たとえば、東京・二子玉川にある「放課後たまり場自習室」。小学校のPTAで活動していた保護者が中心になり、地域の「たまりば」づくりの第一歩として、昨年3月開室されました。1年間でのべ900人以上の利用があり、自習をしに来た中高生が見守りボランティアに勉強を教わったり、進学先が違う地元の友人と交流したり、地域のつながりを生みはじめているそうです。

また、東京・港区と慶応義塾大学が恊働運営する「芝の家」は、赤ちゃんからおじいちゃんおばあちゃんまでがやってくる“まちの居場所”。子どもたちの成長を見守り、住民同士が親しく井戸端会議をするような「あたたかい人と人のつながり」を育んでいます。

高田さんもまた、子どもたちを起点にコミュニティを描こうとしています。現段階で、高田さんがイメージしている「鮎喰川コモン」のコミュニティ予想図を聞かせていただきましょう。

「もし、子どもが『鮎喰川コモンに行きたい』と思えば、送り迎えのために親が来たり、おばあちゃんも一緒に来たりして、連鎖していくこともあると思うんです。たとえば、子どもを連れてきたおばあちゃん同士が、孫を見守りながら『鮎喰川コモン』でおしゃべりするのを楽しみにするようになるかもしれない。

平日の昼間は、未就学の子どもや赤ちゃんを育てているお母さんに来てもらえるかも。神山町には児童館など気軽に親子連れで遊べる場所がないので、平日の昼間は、どうしても赤ちゃんとふたりきりで家にこもりがちになるそう。『鮎喰川コモン』に来て、スタッフと言葉を交わしてほっこりしたり、1階の「まちのリビング」の小あがりスペースで、赤ちゃんを遊ばせながら、ママ友に会える場にもなったらいいなと思っています。

鬼籠野にあるすみはじめ住宅「西分の家」。「窓から石垣が見えるところがお気に入り」と高田さん。

「西分の家」の共有スペースも、コミュニティづくりの拠点に育てていく予定。

平日放課後や休日昼間には、小学生たちが一緒に宿題をしようと1階の「まちのリビング」に集まったり、それを終えたら、そのまま外の草はらで遊びだしたり。たまには、その場にいた大人が先生になって、昔の遊びを教えてくれたり、もしかしたらプログラミングを教えてくれる人もいるかもしれない。

夜も2階の『まちの読書室』を積極的に利用してほしいと思っていて。徳島駅前の塾に通って勉強して帰ってくる高校生たちに、早めのバスで帰ってきて『まちの読書室』に来てほしい。そうしたら、親御さんも終バスの後まで勉強をしている子どもたちを、往復一時間以上かけて迎えに行かなくて済むし、子どもたちとまちのつながりも続きますから。

やってみないとわからないことばかりだけど、まちの人にとっては当たり前になっていることがひとつひとつ変わっていけば、流れが変わっていくと思うんです。まちの人たちも今はまだイメージが湧かないと思いますが、ここでひとつ新しいコミュニティのモデルができたら、他の集落の公民館が新しい拠点としての機能を持ち始めるかもしれません。

神山つなぐ公社が目指しているのは『多様な人がいて、いい関係と、組み合わせが生じやすく、いろいろな活動(仕事)がほどよく生まれている』という感じのこと。『鮎喰川コモン』のような、まちの人が立ち寄れる場所があることで、子どもの間に新しい遊びが生まれたり、大人同士で新しい仕事や集まりが始まったりするといいなと思っています」。

プロセスを共有すれば
みんなのものになる

集合住宅や『鮎喰川コモン』をまちのコミュニティに育てていくには、まちの人たちが「自分に関わりのある場所」「自分の居場所」だと感じられるかどうかが鍵になります。

そこで、神山つなぐ公社では、これからの暮らしや住まいづくりについてみんなで学びつつ、集合住宅づくりの状況を報告するために「鮎喰川すまい塾(以下、すまい塾)」を2016年8月からこれまで6回開催。この勉強会のコーディネートも高田さんの担当です。

これからはじまる集合住宅の建設のプロセスでは、ひとりでも多くの人に、建物や場所への愛着を持ってもらうワークショップも計画しているそうです。

「集合住宅は、地元の人が思い入れを持っていた青雲寮(神山中学校の元寄宿舎)の跡地を利用してつくっています。「私たちが何を大事にしてどんな住宅をつくろうとしているのか」をていねいに伝える必要があると考えて『すまい塾』を開いてきました。

鮎喰川すまい塾 第2回「その場所らしさを、あらたにどうつくるのか?」のようす。

鮎喰川すまい塾 第2回、講師のランドスケープデザイナーの田瀬理夫さんと聴き手・西村佳哲さん。

『すまい塾』には、毎回30〜50人の参加者がありますが、町民人口5300人からすればごくわずか。まだ全然伝わっていないところもあります。昨年からは『町民バスツアー』も始まっているので、見学可能な段階になったらルートに組み込んでもらうことも考えています。

バスツアーには、まちのおじいちゃん、おばあちゃん世代の参加が多いんです。参加者の子どもや孫世代に『神山にいい住宅ができるよ』と伝わったら、町の外に出ている若者が、子育てする年頃をきっかけに帰ってこようと思ったり、また新しい流れができていくかもしれない。また、参加者自身が『鮎喰川コモン』に遊びにきてもらえるといいですね。

2016年9月15日「神山町職員研修」にて話す高田さん。

これから、住宅が建ち上がっていくプロセスでは、大工さんの家づくりの様子を見学したり、鮎喰川コモンの『壁塗り』のワークショップも企画したいと思っています。実は、鬼籠野の古民家を改修した、すみはじめ住宅『西分の家』では、私も壁塗りを手伝いました。やっぱり、自分が塗った壁って愛着が湧くんですよね。そこに住むわけではなくても、明らかにその家に対する思いが変わります。

鬼籠野のすみはじめ住宅「西分の家」で壁塗りをしている高田さん。ものすごく真剣な面持ちです!(神山つなぐ公社提供)

大工さんの仕事も、見たことがなければ子どもたちの将来の選択肢に入りようがないけれど、手刻みの柱を組み合わせる瞬間を見れば『すごい!』と思って興味を持つかもしれない。山林を見に行けば、『木を伐って手入れしたら山はこんなに変わるのか』と興味を覚える子もいるかもしれない。山に入って、植物や昆虫が好きになる子もいるかもしれませんよね」。

「ふいご」と「うちわ」を持って歩く

高田さんのお話を聞いていると、「かもしれない」「なったらいいなあ」「してみよう」などと、可能性を探ろうとする言葉がとにかくたくさん現れます。

「小さい子どもたちはこうしたいかもしれない」

「この場所がこんな風に使われたらいいな」

「あの人に声を掛けてこんな企画をしてみよう」

高田さんはまちで出会う関係のなかに、「鮎喰川コモン」で育まれるかもしれないコミュニティの種を見つけていこうとしています。同時に、コミュニティを育む土壌を耕しながら、タイミングを見計らって手のなかの種を蒔こうとしているのではないかと思うのです。

「すっかり神山に馴染んで見えるせいか、他の移住者のひとからは「え?高田さんってまだ神山に来て1年ちょっとなの?」とよく驚かれます。神山に遊びにきた友だちにも、行く先々につながりのある人がいるので「すごいね」と言ってもらったり。

だけど、「鮎喰川コモン」を考えていると、もっと地元の人やいろんな世代の人とつながりたいのに、まだ全然つながれていないなぁという気持ちもあります。

東京「芝の家」を育んできた坂倉杏介先生との共同研究では、大埜地の馬場さん宅にて神領地区の自治組織についてヒアリング(坂倉先生提供)。

仕事を進めるなかでも『自分の力を発揮できていないじゃん』と思うこともある日々だったけれど、集合住宅のプロジェクトで共同研究を行っている、東京都市大学の坂倉京介先生が8月に来てくださったときに『あれもこれも進んでいてすごいね』と言ってくださって。ふだんとは違う目線でちゃんと話を聞いてもらうと『必死に取り組んでいると自分では見えなくなっていること』が改めて見えて、ありがたいなと思いました。

そう考えると、自分では『まだまだ』と思っていても、つながれるようになった地元の人もたくさんいるのかなと思います。地域を見るレイヤーが増えるにつれて、ちょっとずつ解像度が上がって豊かなものができていくのかもれません。

少なくとも、こうして『鮎喰川コモン』について楽しく語れる段階まで来たのはうれしいです。

2017年8月11日に開催した「鮎喰川すまい塾」は、川遊びの注意点と楽しみ方を実地で学びました。(神山つなぐ公社提供)

『コミュニティに命を吹き込む』といっても、ピンポイントでふいごを吹いているだけじゃくて、うちわでぱたぱたすることもある気がします。

神山には、いい意味でヘンな人が多いし、先生になってくれそうな人もいっぱいいます。今の暮らしの動線で出会わない人たちが、偶然に出会う場所があるだけで何かが起きる可能性があると思うんですね。

『鮎喰川コモン』に、地元の遊びを知っているようなおじさんがふらっと現れて、子どもたちに教えてくれるにはどうしたらいいのかな、とか。いろんなことを考えますね。神山で求められている“何か”と、それを“できる人”をつなげたら、後は起きるべきことが勝手に始まるんじゃないかなって。

私たちがどんどん企画を主催をする場所ではないと思っているんですね。『次は何をしてくれるの?』と楽しみにしてもらうよりも、『ここで、こんなことをしませんか?』とまちの人たちに声をかけてやってもらえるようにしたい。人が集まるきっかけをつくったら、何かやってみたくて話しかけてくれる人が出て来ると思うから、『じゃあ、こんなことを企画してみますか?』と一歩踏み出せるようにちょっと背中を押してみるというか。

私はたぶん、誰かが一歩を踏み出すきっかけをつくるのがすごく好きなんです。
私自身、学生の頃も社会人になってからも、一歩を踏み出すきっかけをいろんな大人にもらったと思うから。

私は、できれば神山にずっといたいと思うし、神山の将来の暮らしが楽しくなればいいなというだけじゃなくて、今ここに住んでいる私自身もそうありたいと思う。みんなが、実は興味があったけれど今までできていなかったことができるようになったり、気になっていた人と知り合えて生活が広がったり、それを一緒に私も楽しむ機会が増えたり。私がけしかけたことだけじゃなくて、最初は背中を押した人が仕掛ける側に回って行くのを見ると『ふふふ!』と思いますよね。

「基本、私の生活も仕事も、自分のやりたいことで成り立っているんです」

まちの人たちや場所の可能性をあらゆる角度から見て、「今だ!」というタイミングでつないだり、人の気持ちが動くタイミングをつかまえて背中を押す。「community animator」というのは、日本語でいうと「気の効いたお世話役」みたいな感じになるのかもしれません。

次に、高田さんにお話を伺う頃には、鬼籠野のすみはじめ住宅「西分の家」の利用も始まり、入居者の募集もはじまり集合住宅の建設も進んでいるはず。高田さんが耕してきた土にも、いろんな芽が育ちはじめているでしょうか。

高田さんのお話の続きはまた、半年後に。


ライター/杉本恭子(すぎもときょうこ)
大阪府出身、東京経由、京都在住。お坊さん、職人さん、研究者など。人の話をありのままに聴くことから、そこにあるテーマを深めるインタビューに取り組む。本連載は神山つなぐ公社にご相談をいただいてスタート。神山でのパートナー、フォトグラファー・生津勝隆さんとの合い言葉は「行き当たりバッチリ」。

転載元:ウェブマガジン「雛形」

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ウェブマガジン「雛形」 かみやまの娘たち (hinagata)

神山に移り住んだり、還ってきた女性たちへのインタビュー・シリーズ「かみやまの娘たち 」。ウェブマガジン「雛形」で全44回にわたり連載された記事をイン神山にも転載させていただきました。

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