かみやまの娘たち vol.15 「サービス」ではなく「親戚の家にごはんを持っていくみたい」に。

なんでも2018年2月26日

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投稿者:ウェブマガジン「雛形」 かみやまの娘たち

(hinagata)

ここ徳島県・神山町は、
多様な人がすまい・訪ねる、山あいの美しいまち。

この町に移り住んできた、
還ってきた女性たちの目に、
日々の仕事や暮らしを通じて映っているものは?

彼女たちが出会う、人・景色・言葉を辿りながら、
冒険と日常のはじまりを、かみやまの娘たちと一緒に。

写真・生津勝隆
文・杉本恭子
イラスト・山口洋佑


渋谷のぞみさん(「tomos ーともすー」プロジェクト)

今回、インタビューをお願いしたのは「tomosーともすー」プロジェクトの渋谷のぞみさん。

約束した日、13時半に神山バレー・サテライトオフィス・コンプレックス内にある「tomos」オフィスをのぞくと、ランチを終えた渋谷さんの姿がありました。

「みかん、食べます?」
「ありがとう」

初対面なのに、思わず手を出してしまった。

距離がない、というよりは、安心できる距離感を抜群の安定感で保ってくれる感じ。関係性に対する不安を感じさせない人だな、と思いました。

tomosの仕事は、お弁当の配達と回収、困りごとのお手伝い、「かま屋」パンの販売、など。渋谷さんたちは、一日のほとんどを町内を車で走りまわっています。私たちも、まずはその車に乗せてもらうことにしました。

神山町内を駆けめぐる
黄色いジャンパー「tomos」

tomosは、東京の代官山ワークスが徳島のリレイション(後述)のサポートを受けて立ち上げたプロジェクト。町内に一人暮らしの高齢者が増えているという背景を踏まえ、町の飲食店がつくるお弁当の配達に、家事支援と利用者の“見守り”を組み合わせたサービスです。

2017年1〜2月の実証実験を経て、5月からサービスを開始。
渋谷さんは、実証実験のときからtomosのスタッフをしています。

草刈りや重たい家具の移動、買い物代行などは有料ですが、「布団干し/取り入れ」「ごみ出し」「スマートフォンの使い方」など5分以内でできることなら無料。

お弁当は午前中に配達。午後はお弁当箱を回収しながら、家事のお手伝い、「かま屋」のパンの販売などをします。

この日、午後に訪問したのは11件。軒先に出ているお弁当箱を引き取るだけの家もあれば、チャイムを鳴らして「パンどうですか?」と声をかける家、カーテンの取り付けをお願いされた家、なかにはお茶を出してもらっておやつをいただく家もあり。

tomosスタッフの目印は「黄色いジャンパー」。

温かいお茶とういろうを出していただきました(お相伴に預かりました)

利用者さんには、話し好きな人も、お弁当だけ受け取りたい人もいれば、体に痛みのある人や認知症傾向がある人もいます。「こうしなければいけない」と決めるのではなく、利用者さんそれぞれに合う関わり方をつくっていく。特に休憩時間は設けていないけれど、時間に余裕があるときならお茶を一服いただくこともする。

tomosのサービスは、一人ひとりのスタッフの“現場感覚”に支えられているようです。

「私たちとしては、自分たちのじいちゃん、ばあちゃんちに行くみたいな感じです。雰囲気的に言うと、『おかずをたくさんつくったから、ちょっとばあちゃんも食べてくれる?』って。お弁当を持っていったら、『今日はどうなの?』『寒いけど、膝は痛くない?』と話します。

スタッフがそれぞれの感覚で見ていることは、『今日はこの人はこうだったけど、どうします?』『こうしようと思うんだけど、どう思う?』と持ち寄って共有し、話し合っています。

私たちには『絶対にこれをしないといけない』ということもないし、利用者さんの方も構えることなくいてくれる。サービスというと冷たい感じがしますけど、今は“接する”ことができているのかなと思います」。

すでにあるお店やサービスの
“すきま”を埋める存在になりたい

神山町の町域は広く、東西の端は「東京でいうと、新宿から立川ぐらい」の距離があります。町役場のある神領周辺には家も店舗もたくさんありますが、標高が上がるにつれて家と家の距離は開いていきます。

渋谷さんたちと訪ねた利用者さんのなかに、ポツンと離れた一軒家で暮らすおばあちゃんがいました。家族は徳島市内で働いていて昼間はひとり。立って歩くのもやっとのようす。介護保険によるサービスを利用していました。

一人で暮らす高齢者には、「ちょっと頼まれてくれへんか」と手を借りられる人が必要です。また、近所の人と交わしていたような他愛のない会話が減ってしまい、一日中誰とも話すことがないというのも寂しいこと。

tomosは、「ふつうの会話」や「ちょっとした手助け」を補う存在でもあります。

「民生委員さんたちに聞くと、今はみんなが高齢化してしまって、ご近所同士の行き来が減ってしまっているみたいで。そこの部分でもtomosが役に立てるといいなと思います。

tomosは、本当にいろんな人たちのおかげで成り立っています。地域包括支援センター、通所介護B「やまびこサロン」を開いているNPO法人生涯現役応援隊、社会福祉協議会などのみなさん、町役場やつなぐ公社のみなさんとも情報を交換しあっていて。

tomosのお弁当をつくってくれている『マスの家(神山スキーランド)』の地中誠さん。

地域包括支援センターにもお弁当を届けています。

今の利用者さんも、最初はみなさんが紹介してくれたんです。ただ紹介するだけじゃなくて『この人はこういうところに気をつけてあげて』と事前に情報を教えてくれるんです。周りのみなさんがすごくサポートしてくれていて。

私たちも、利用者さんの顔色が悪いとき、いつもと違うようすに気がついたら、地域包括支援センターに知らせています。住み慣れた地域で、最期まで自分らしくいられることは、理想です。そのためにも、tomosはすでにある支援サービスの間を埋める存在というか、潤滑油になったらいいなとすごく思います」。

この日の配達・回収はここ(NPO法人生涯現役応援隊)でおしまい!

初めての神山で「やります!」と
言ってしまったあの日

さて、このあたりで渋谷さん本人の話も聞きたいと思います。

渋谷さんは福島県生まれ。「栄寿し」を営むご両親のもとに育ち、いずれは店を継ぐつもりで、栄養学の勉強をしに神奈川県の大学に進学したそうです。ところが、数奇な出会いがU ターンの予定を塗り替え、渋谷さんの人生の冒険が始まりました。

いや、むしろ、いろんな人たちが渋谷さんをバトンリレーするようにして、海の向こうの四国、そして神山町へと連れて行ったと言うほうが近いのかもしれません。冒険が始まったのは、バイト先の先輩に連れていかれた東京・外苑前のレストランでした。

「学生時代にバイトしていた居酒屋の先輩が『京都のゲストハウスで、東京で野菜のレストランをやっている社長に会ったから一緒にお店に行こう。たぶん、のんちゃん好きだと思うよ』って、『南青山野菜基地』に連れて行ってくれたんです。

そのとき、『今、調理師のバイトを探しているんです』と社長に話したら、『お、うちでやってみる?』って。そのまま2年働いて、卒業後は就職することになりました。でも、私は食べ物のことしか知らないし、もう少し他のことも知りたいなあという気持ちもあったんですね。

そんなとき、野菜基地の社員のみなさんとの旅行で、小豆島と徳島・上勝に行きました。元々、野菜基地の社長が『神山塾』の発起人・リレイションの祁答院弘智さんと知り合いだったので、徳島市にあるリレイションのオフィスも訪ねていろんなお話を聞かせていただいて。

当時の私にとって、リレイションの仕事は本当に未知の領域のことばかり。『今後は食育の事業も考えている』と聞いて、『それ、めっちゃ楽しそうですね!』って言っていたら、帰り際に声をかけてくれたんです。『食育の事業はすぐにはできないけど、いろんなことをしてみたいなら、うちで働いてみる?』って。

『やります!』って即答しました。

そのときの自分の勢いが、いまだにわからないんだけど(笑)。なんか、リレイションの人たちと話していたら『この人たちとならお互いやっていけそう』と思ったし、とりあえずなんでもやってみたかったので『やります!』って言ってしまったんだと思います」。

この人たちのことを
もっと見ていたい

その後、ふたつの会社の社長は話し合い「のんちゃんが本当にやりたいなら」と渋谷さんの意思を尊重してくれたそう。2016年春、渋谷さんはリレイションのスタッフ研修を兼ねて「神山塾KATALOGコース」に参加します。

tomosの企画が持ち上がったのは、渋谷さんの「神山塾」の卒業が近づいたころ。今度は、リレイションと代官山ワークスの社長同士が話し合い、渋谷さんは代官山ワークスに所属するかたちで、tomosに関わることになりました。

「最初、tomosの話を聞いたときは『ふーん』って感じだったけど、実証実験でいろんなおじいちゃん、おばあちゃんに関わるうちに『やりたいな』という気持ちが湧いてきました。

高齢者の人たちは、いつ入院するか、亡くなってしまうかわからない。この人たちのことをもっと見ていたいなというか。もうちょっと関わって変化を見ていたいと思ったんですね。

tomosを始めてから、町役場やつなぐ公社はじめ、町の人たちとの関わりが増えたので、町の動きについていろいろ質問するようになりました。『今、町で何が起きているのか』をtomosの利用者さんに聞かれたときに、答えられるようになりたいと思って。

いろんな人が町に入ってきて、新しい動きがあるのは地元の人にも刺激的です。けど、自分の町で知らない人だけが盛り上がっていて「何が起きているのかわかりません」とか、知り合いの家に知らない若者が住んでいて何の挨拶もないと、やっぱりイヤだろうと思うんです。

やっぱり、おじいちゃん、おばあちゃんたちも新しい動きを知りたいんじゃないかなぁ。誰かが説明してくれたら「へえ〜!」ってなると思う。tomosは、町とおじいちゃんおばあちゃんの間に入れるかもしれない。おじいちゃん、おばあちゃんの感じていることも、役場やつなぐ公社の人に伝えたいと思います。

地元の人たちの噂は早いから、移住者の人が地元にちゃんと関わっていると『あの子たちはええ子やで〜』『ええ子らしいで〜』『ええ子なんやなぁ』みたいな。新しくきた人と地元の関わりが当たり前になっていったら、神山町って不思議に存続していくんじゃないかな。

たとえば、おじいちゃん、おばあちゃんを経由して、私が娘さんやお孫さんと仲良くなるのも楽しそう。私の友だちがおじいちゃん、おばあちゃんと仲良くなるとかも。若い人とおじいちゃん、おばあちゃんの組み合わせってすごくいいなと思います」。

いろんな人がごはんをつくり
一緒に食べる場所をつくりたい

もともと、実家を継ぐつもりで栄養学を学び、調理師のアルバイトをしていた渋谷さん。その頃は、ひいおばあちゃんが営んでいた「渋谷食堂」を復活したいと考えていたそうです。

今は神山に来て「実家を継ぐつもりはない」と言いますが、「お店を持つこと」「ごはんをつくること」については、いつかやってみたいと思っているのでしょうか?

今、渋谷さんはパートナーのへいへい(浅田亮平)さんと、tomosオフィスから車で30分以上かかる山中の家で暮らしている。

渋谷さんが果物を漬け込んでつくっているシロップ。お土産にいただきました(おいしかった!)

「今、『どうしてもごはんをつくりたい』とは思わないけど、気兼ねなく人が出入りできる場所があるといいなという気持ちはあるかな。

私の友だちには、お店は出していないけれど、料理やお菓子づくりが上手な人がいます。私の母も、お店では決まったメニューしか出せないけど、料理が好きでお通しに凝っていたりします。『この人とごはんをつくりましょう』とか、『お母さんが来たときにこういうごはんを出しましょう』とか、いろんな人が交わる場所はつくりたいです。

場所はまだ全然決めていなくて。

福島から神奈川に行って、徳島・神山に来たけれど、もう1県、2県くらい違う土地に行って、外国にも行ってみて、『この人たちと一緒にいたい』と思う人がいる場所に定住してみたい。でも、私はモノにも人にもすぐ愛着が湧いて、離れられなくなっちゃうから。

神奈川には、人生で一番好きで大切な友だちがたくさんいて。神山でもいろんな人に出会っていて、今はこの人たちともっと一緒にいたいと思っているから、まだまだ難しそう(笑)」。

「栄寿しののんちゃん」は、神山に来て「tomosののんちゃん」になり、またしても町の人気者になってしまったのだな……と思います。でも、本人いわく「地元と神山は全然違う。大人になって『自分はこういう人』というところから始まっているからいやすい」のだそうです。

この先ずっと、どこで暮らしても、のんちゃんは「○○の、のんちゃん」と言われ続けるんだろうな。みなさんも、そう思いませんか?

いつか、のんちゃんがお店を開くことがあったら、私も必ず訪ねたいと思います。


ライター/杉本恭子(すぎもときょうこ)
大阪府出身、東京経由、京都在住。お坊さん、職人さん、研究者など。人の話をありのままに聴くことから、そこにあるテーマを深めるインタビューに取り組む。本連載は神山つなぐ公社にご相談をいただいてスタート。神山でのパートナー、フォトグラファー・生津勝隆さんとの合い言葉は「行き当たりバッチリ」。

転載元:ウェブマガジン「雛形」

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ウェブマガジン「雛形」 かみやまの娘たち (hinagata)

神山に移り住んだり、還ってきた女性たちへのインタビュー・シリーズ「かみやまの娘たち 」。ウェブマガジン「雛形」で全44回にわたり連載された記事をイン神山にも転載させていただきました。

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