「まちの外で生きてます」#10 千田航也さん

なんでも2023年3月14日

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投稿者:やままち編集部

〝やままち編集部〟です。現メンバーは、大家孝文・大南真理子・白桃さと美・中川麻畝・海老名和、神山町出身の5名。大阪で働いていたり、東京で働いていたり、徳島市で働いていたり。

「まち」で暮らしているけど、心の中には「やま」があります。離れたところからでも神山にかかわれないかな…と思っていたら、ある流れで「広報かみやま」に参画することに。2021年の9月号から、町外にいる若手のインタビューと、その人にむけた学生のQ&Aのシリーズ記事、「まちの外で生きてます」が始まることになりました。

紙面の都合から一部分しか載せられないので、イン神山で、ロングバージョンを公開させてください。

町外で暮らす神山出身者の今を紹介する連載。第十回は、神領出身で今は徳島市で暮らす千田航也さん(30歳)に話を聞きました。

 

―神山で過ごした少年時代のことを教えてください。


千田 1992年生まれで今30歳です。実家は、神領でお豆腐屋さん「千田豆腐」を営んでいます。生まれたときは確か広野の高瀬団地だったんですが、そのことは何も覚えてないですね。幼稚園も小学校も神領でした。当時の思い出は少年サッカー。阿川FCに入って、毎週木曜日にサッカーをしていました。兄が始めたタイミングで僕も一緒に。小学校のときはディフェンダーをしていました。それまで、憧れの選手がいたわけではなかったけど、サッカーを始めてからJリーグとか日本代表の試合とかを観るようになって、中村俊輔選手とかは世代ですね。あと海外選手も。サッカーを一緒にやっていて仲良くなった友達もたくさんいます。その子たちとは小学校も一緒なんですけど、そういう時間を共有したので今でも遊んだりしてます。

(写真/阿川FCの思い出。おそらく、吉野川河川敷のグラウンド)


小学校のときは、休み時間や放課後は晴れていたらサッカーをしたり、友達の家に遊びに行ったり、ありがちですけど河原で遊んだりそういう田舎の少年の遊びもしていました。自転車に乗って神領から上分まで行ったりしていました。同級生は27、8人だったかな。確か小学2年生のときに上分・下分・鬼龍野・阿川が合併したんですよ。そこからのメンバーは神山中学校卒業式まで一緒でした。当時の夢は、サッカーをしていたので、サッカー選手だったかな。


兄と妹の三人兄弟だったので兄弟で遊んだりもしました。テレビゲームをしたりもっと小さいころはブロックで遊んだり。仲は良い方だと思います。というか、二つ上の兄が高校で実家から出ているので、実際三兄弟で過ごした時間ってそんなに長くなくて、仲が悪くなる時期一緒にいなかったのかも(笑)。

 

―中学時代の思い出は何ですか?


千田 神山中学校では同級生も変わらず。そのまま兄も入っていたサッカー部に入っていました。阿川FCの先輩もいましたが、中学校に入ったらちょっと上下関係が変わるっていうか(笑)。このインタビューでほかの人も言っていたと思うんですけど、阿川FCのときはフラットな関係だったのが、中学に上がった途端ちょっと違うなって(笑)。先輩も中学に入ったときに同じことを感じたはずですよね(笑)。でも楽しかったです。部活以外の神中祭や修学旅行、立志式もよく覚えています。印象的だったのは、沖縄に行った修学旅行かな。マリンスポーツをしたり国際通りで食べ歩きをしたり、そういうのも楽しかったんですけど、大人になって思い返せば平和学習が思い出深いです。僕は「黙祷」って言う係。それすごく覚えていますね。あぁいう平和学習とか人権学習とか、神山って結構力を入れてるじゃないですか。そういうのが、今になって響いていますね。香川・大島にあるハンセン病の療養所に行ったことも、よく覚えています。大人になって今までいろんな人たちと出会ったり別れたりしてきたけど、いろんな人がいたので。中学校のときに学んだことやそういった経験を思い出したりしています。

(写真/中学修学旅行。沖縄、ひめゆりの塔にて、一人離れて黙祷を言う係に)

神山にいるときから、神山のことはずっと好き。でも中学校を卒業したら市内の高校に進学するのは自然なことだと思っていました。市内に憧れがあったとか、山(田舎)が嫌だったとかそういうのはなかったです。立志式のとき、将来の夢……。何て書いたかな。特に明確に、こういう職業に就きたいというものはなかったと思う。こういうふうな大人になりたいとか言ったんじゃないかな。責任感があるとかそういう。


高校は城北高校に。城北を選んだのも兄が行っていたので(笑)。高校生になってからは親元を離れて寮に住んでいました。最初は徳島寮で、兄が卒業した後は兄の後の部屋を借りるかたちで川人寮に移りました。寮生活は楽しかった。特に徳島寮は集団生活だったので、毎日が修学旅行みたいで(笑)。門限があったり掃除当番があるのだけは面倒だなと思いましたが、楽しく過ごしていましたね。確か僕が高校生のときに田宮街道に「アソビバ!」ができたので、寮の友達や先輩とそこに遊びに行ったり……。まぁでもそういうのも楽しかったけど、寮でみんなでワイワイしていたことの方が思い出深いです。

(写真/高校でもサッカー部。新調されたユニフォームで記念撮影)


高校三年生、しっかり受験勉強を始めたのは部活が終わってから。僕は理系のコースを選んでいたのですが、その理由も数学の方が英語よりもできたからっていうくらい。具体的に職業を決めたのは、本当に就職するくらいときで、大学を選ぶときは自分が得意なことを勉強したいと思っていました。あと、県外に出てみたいっていう気持ちもありました。

 

―大学で初めて徳島を出て感じたことは?


千田 愛媛大学に進学しました。工学部機械工学科。設計図を描いたり力学の勉強をしたのですが、子どものころにブロックで遊ぶのが好きだったので、今思えばそういうところからもつながっているのかもしれないです。勉強は大変だったけど楽しかったですよ。今でも松山は大好きな街。お酒を飲むようになってからは飲み会をしたり、アルバイトをして人間関係を築いたりと、いわゆる大学生活を過ごしました。大阪や神戸のようにもっと都会だったらしんどかったかもしれないです。松山の規模が良かったのかな。居心地が良かったです。

(写真/松山で大学生活。工学部で男だらけだったけど、楽しんでいた)


大学卒業するころには、徳島に戻りたいという気持ちがあって徳島の企業の求人に応募しました。愛媛の居心地が良くてもやっぱり徳島に戻りたいって気持ちがあって、それが故郷ってことなんでしょうね。求人のなかに今働いている日亜化学がありました。

(写真/大学時代はバイクに乗っていろんなところへ。鹿児島で嵐の中でキャンプツーリングしたのは良い思い出)

 

―今、どんな仕事をしていますか?


千田 設備設計の部署で勤めて今年で8年目です。メーカーなので製品をつくるわけなんですが、その製品をつくるためには設備が必要ですよね。実際に設備をつくるのは製造メーカーですが、僕がしているのはその設計図を描く仕事。タンクの大きさを決めたり機械の能力を決めたりします。そして、メーカーがつくったものを実際に工場に設置する工事の管理も。自分で設計したものが形になって動いているのを見ると達成感があるし、職場の人とも仲良くなっているので楽しいです。担当する設備って仕事ごとに違うから、やりとりする部署の人が毎回違っていろんな人と接したりできるのも楽しい。でもクリエーティブかって言われるとそうでもなくて、ある程度正解が決まっていて、いかにその正解に早く辿り着くかっていうところ。地道にコツコツ進める仕事ですね。

 

―千田さんにとって今の神山はどう映っていますか?


千田 いろんなお店をやっている人が増えて、神山に遊びに来てくれる人も増えたかな。実家にバイクを置いていて、月に何回かバイクに乗るため神山に帰って、町内を探検したりするんですよ。そのときお店ができたり移住が多い場所って結構決まっているなと感じています。そういうのが盛んじゃなく、昔に比べて寂しくなっている場所もあって。そこで住んでいる人が困っていないなら良いんですけど、明るい部分とそうじゃない部分があるのかなって思ったりしてます。話したわけでもないので、分からないですけどね。

(写真/現在進行形でバイク乗り。そのおかげで全国に仲間ができた。一番前にいるのが千田さん)


お正月には神山の友達で集まっています。今まで毎年夏に同窓会をしていたんですが、皆結婚したり子どもができたりとそういう機会も少なくなって……。でも一部の友達は定期的に集まっていますね。今こうしている間にも、グループLINEが動いているはず(笑)。

(写真/サーキットへの搬入。趣味を超えてライフワーク)

いずれ神山に戻って実家のお豆腐屋さんを継ぎたい気持ちもあります。今の仕事が辛くて、逃げ出したいというわけじゃないんですが、クリエーティブな仕事をしていそうでそうじゃないというところが、少し引っかかっているのかも。そういう身からすると、神山で自分のお店をしている人を見ると、やっぱりかっこう良く見えるんですよね。僕もやってみたいなって。もちろんお豆腐屋さんが大事で残していきたい気持ちもあります。あくまで僕の思いですが……。

(写真/昨年、初めて神通滝の氷瀑を見た。地元でも知らない景色はたくさん)

このインタビュー、中学生も読んでくれるんですよね? 今大人になって後輩たちに伝えたいのは、自分の好きなことに熱を出してほしいということ。仕事だけじゃなくて、自分がかっこう良いって思えることを大事にしてほしいです。それが僕にとってバイクや革ジャン、ピックアップトラックなどのカルチャー。自分がかっこう良いと思えることって“楽しさ”がついてくるんです。仕事でしんどいこともあるけど、そういうものがあれば頑張れる部分があります。そうした自分の好きなことを通して知り合う人もいて、僕は兄貴分と呼べるような人にも出会えました。大人になってからですよ。だから、中学生や高校生の後輩たちに、将来やりたいことが見つかってなくても焦らずに、大人になってからも楽しいことがあるよというのを伝えたいですね。

インタビュー・文:大南真理子


 

質問!まちの外で暮らす先輩にあれこれ聞いてみよう!(中学生)

 

Q:高校時代、寮生活で寂しかったり心細かったりしませんでしたか?

千田:環境が変わるときは多少不安になるものです。だけどすぐに慣れますよ。周りには友達がいたし、楽しかったです。


Q:高校や大学を選ぶときに大切なことはどんなことですか?

千田:将来なりたい仕事ってありますか? まだ分からない人が多いと思います。どこかの会社の採用ページを見てもらうと、どんな学校を出た人が求められているか分かると思います。これからも皆さんは将来のことを問われ続けると思いますが、そんなことは忘れて一日一日を全力で駆け抜ける学生生活を過ごしてほしいです。だから、答えは「制服の可愛い学校」です。


Q:サッカーはいつまで続けましたか? 大学では、何かサークルや同好会に入っていましたか?
千田:
サッカーは高校三年まで続けました。大学でも最初のうちはフットサルサークルに参加していましたが、バイクにハマってからは行かなくなってしまいました(笑)。


Q:バイクに乗ってどんなことをしていますか? また、バイクを好きになったきっかけは何ですか?

千田:20代は、バイクで知り合った人たちに会いに全国いろんな場所へ。最近はサーキットで腕試しが多いですね。モテたくて乗り始めましたが、今は楽しさに夢中です。皆さんもそんなことを見つけてくださいね。


Q:アルバイトは何をしていましたか?

千田:居酒屋でお酒を作っていました。お酒を飲める歳になったら訪ねに来てくださいね。


Q:今の仕事を続けたい気持ちと神山で仕事をしたい気持ち、どのくらいの割合ですか?

千田:これは割合の話じゃないですね。現在与えられている仕事は責任を持ってやり遂げる、自分がどうしたいかはその後ですね。


Q:神山でお気に入りの店はどこですか?

千田:山びこによく行きます。お薦めはレッドホットチキンです。


Q:豆腐を一番おいしく食べられる料理を教えてください。

千田:シンプルに冷奴。神山産のすだちを絞ってね。神山産、これが大事です。

 

Q&Aとりまとめ:中川麻畝・海老名和
デザイン:白桃さと美
編集部とりまとめ:大家孝文 

 

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やままち編集部

やままち編集部は、神山町出身の5名(大家孝文・大南真理子・白桃里美・中川麻畝・海老名和)からなる編集部。「遠くで暮らしていても、神山にかかわることが出来れば」という想いから、「広報かみやま」で連載「まちの外で生きてます」の連載を企画・制作しています。(2021年夏より)

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