「まちの外で生きてます」#12 鍛 知宏 さん

なんでも2023年7月13日

アバター画像

投稿者:やままち編集部

〝やままち編集部〟です。現メンバーは、大家孝文・大南真理子・中川麻畝・海老名和、神山町出身の4名。大阪で働いていたり、東京で働いていたり、徳島市で働いていたり。

「まち」で暮らしているけど、心の中には「やま」があります。離れたところからでも神山にかかわれないかな…と思っていたら、ある流れで「広報かみやま」に参画することに。2021年の9月号から、町外にいる若手のインタビューと、その人にむけた学生のQ&Aのシリーズ記事、「まちの外で生きてます」が始まることになりました。

紙面の都合から一部分しか載せられないので、イン神山で、ロングバージョンを公開させてください。

町外で暮らす神山出身者の今を紹介する連載。第十二回は、神領出身で今は東京で暮らす鍛知宏さん(21歳)に話を聞きました。

 

―神山で過ごした少年期のことを教えてください。

鍛 僕は神領の寄井出身で、実家はクリーニング屋を営んでいます。四つ上の姉がいます。保育所は下分保育所。そこから神領小学校に。同級生は15人くらいだったかな。中学卒業するまでほぼ同じメンバー。小さいころはよくクリーニングの配達について行っていたなぁという思い出でした。お父さんと一緒に配達に行って、配達先のおじいちゃんおばあちゃんにお菓子もらったりしていました。可愛がってもらって楽しかった思い出です。近所には友達も多く、団地の脇の神社で毎日遊んでいました。当時は自分の三つ、四つ上の子たちが一緒に遊んでくれた記憶があります。野球をしたり鬼ごっこしたり。僕が高校生になったときにはあんまり神社近辺で遊んでいる子を見なくなったけど、僕のときはみんな神社に集まって遊んでいましたね。

鍛 三年生のときに少年野球を始めました。もともと野球をしようと思っていたわけではないけど、同級生の子にアイスクリームが食べられるからって言われて「行く!」って(笑)。体験で行ったらいつの間にか入っていました。でも楽しかったので、六年生まで続けました。でもビビリなので、球がずっと怖かったんですよ(笑)。一番バッターでショート。そんなに上手じゃなかったけど走るのは速くて、誰よりも速いんちゃうかなって思っていました(笑)。小学生のころの将来の夢は、牧場で働くこと。牛乳が好きだったので(笑)。いつでも飲めるだろうと思って牧場。まず一つがそれで、もう一つはレゴブロックが好きだったのでレゴの会社に入ろうっていうのもありました。学習発表会の発表でもレゴの仕事に携わりたいですって言った気がします。

(写真/小学三年生から少年野球に入った鍛さん。元旦の初練習での一枚。)

(写真/小学生のころは図工と体育が大好きだった。)

―どんな中学・高校生活を送りましたか?

鍛 神山中学校に入ってからは卓球部に入りました。部活の選択肢が野球か卓球で、入学したら優先順位を紙に書くんです。小学校で野球をやっていたメンバーが5人いたんですけど、その子たちは皆野球って書いて出して、僕は卓球って書いて出しました。何かもう野球いいかなって(笑)。お姉ちゃんが卓球をやっていて道具があったのもあって新しいことをしてみようかなと。皆に何しよんって言われましたけどね(笑)。でも卓球も楽しかったですよ。勉強はあまり得意じゃなかったのですが、唯一英語が好きだった。よく洋楽を聴いていたんです。そういうのもあって、僕のなかでは親しみがあった。だからとにかく英語はがんばろうと。

立志式では、ツール・ド・フランス(フランスのサイクルロードレース)に出る選手になりたいと書きました。趣味だけど自転車が好きでしたね。誕生日にお父さんが自転車を買ってくれて、それでかなり遠くまで自転車で行っていました。それもお父さんの影響。昔好きだったらしく、テレビで一緒に見て、こんな世界があるんやなって。

(写真/ツール・ド・フランスに出ることを夢見ていた中学時代。)

鍛 進路を選ぶのは時間がかかりました。ツール・ド・フランスに出たいっていう気持ちがあったので、高校の自転車の部活があるところに行こうかとも思ったんですが、突然、パンをつくってみようかなと思ったんです。中学三年の面談のとき「何がしたいん」って言われて、咄嗟に「パンつくりたいです」って(笑)。ものづくりはもともと興味がありました。それでフワッと浮かんできましたね。先生も「えぇやん」って。悩んだ結果、城西高校神山校に。市内の学校に行くことも悩みました。でも何かつくりたいっていうのがあって、そのとき“かま屋”ができるという話を聞き、かま屋でアルバイトするために城西神山に決めました。そこに行ったら自分のやりたいことができると思って。高校に入学してしばらくしてかま屋ができて、面接してもらって入りました。面接のときにパンがやりたいとは言ったけど、料理もしてみたいって言ったんですよ。かま屋では洗い物から始まって仕込みとかをしました。かま屋も始まったばかりで夜営業もあって忙しかったですね。でも貴重な体験。人生を変える経験でした。

 

鍛 バイトを始めて半年か一年くらいかな。ニューヨークからデイブという料理人が来て、その人がかま屋の夜営業をするっていうので僕もしたい!って手を挙げました。僕は炭を使った焼き場を任されていました。おにぎりやつくねを焼くのですが、焦がしてしまって怒られたり。炭の扱いが難しいんですよ。失敗して営業終わりにデイブに謝ったこともありました。そんなこともあったのでバイトに行きたくないって思ったこともありましたよ。家を出るときは、X JAPANの音楽を聴いて誤魔化しながら(笑)。楽しかったし良い経験だったけど、大変ではありました。高校三年生の春、デイブがニューヨークに帰るタイミングで、「一緒にニューヨーク来ないか?」って言われて即「Yes!」(笑)。かま屋の真鍋さんと夏休みの期間を使ってニューヨークに。迷いはなかったですね、何も。自信に満ち溢れていました。何でもいけるんじゃないかって(笑)。3店舗で働かせてもらいました。お肉やチーズも売っているサンドイッチ屋とピザ屋とレストラン。“ホープ”って呼ばれていました。苗字の“きたい(期待)”にかけて真鍋さんがつけてくれて(笑)。一週目はブルックリンとか市内で、もう一週間は郊外の田舎。デイブが暮らしている場所で。そこでパーティーがあって、それがデイブとの最後の料理。でもそこでも僕ちょっとやらかして、焼きおにぎりを焦がしてしました(笑)。並べすぎたんですよ、多分。デイブはすごく怒っていました。でも真鍋さんが間に入ってくれて、パーティーは成功。最後はデイブと肩を組み和解しました(笑)。かま屋に入れたのはラッキーでした。僕はあんまり先を考えずに行動しちゃうんですが、それが吉と出たって感じ。本当に、良い経験でしかなかったです。振り返れば、真鍋さんがいろんな縁を繋いでくれていたんだなと感じます。

(写真/かま屋で出会った師匠、デイブと。ニューヨーク郊外の農園でパーティーの準備。)

―そんな高校生活を経て、その後の進路は?

鍛 高校生活自体は、かま屋の方が比重は大きかったかも。でも、城西神山は先生との距離が近いので、卒業後の進路を選ぶときも先生が真摯に向き合ってくれました。先生には感謝しています。卒業後のことも悩みましたが、料理の道は確定していました。直接、行きたい料理屋さんに就職するか、専門学校に行くか。結局専門学校に行くと決めました。料理屋となると徳島を出なきゃいけなかったので、精神ももたなくてすぐ帰ってきてしまうかも、と。だから段階的にできればと思いました。都会にも慣れたいし、料理のことも勉強できるしということで大阪の調理師専門学校に。そこで二年間勉強しました。一年目は全種類の料理、二年目に自分が行きたいジャンル一本に絞って勉強します。それで僕は日本料理を選びました。自分の料理のベースは日本料理にあるなと思っていたので。専門学校を卒業して東京の日本料理屋は働くことに。最初はめちゃめちゃ怒られましたね(笑)。今は二年目です

(写真/専門学校のクラスの友達とは、家で一緒に料理をすることも。)

(写真/専門学校では料理人を志す同級生から多くの刺激をもらった。)

―神山から離れて、どんな風に神山のことを見ていますか?

鍛 神山が大好きなので、いつか戻りたいと思っています。一年目のときは親が恋しかったり心細かったりしました。帰りたいなぁって思ったりしましたよ。でも今は東京の生活を楽しんでいます。神山のことは、イン神山の神山日記帳を時々見て、おぉって思っています。町外から人が来てくれるのは嬉しい。僕が神山に戻るってなると、お店をしたいかな。でも先のことは分からないです。興味の先がぱっぱっと変わるので(笑)。実はラーメンをつくりたいという気持ちもあります。そこに日本料理の要素を取り入れたいなって。僕凝り性なんです。日本料理はコース料理になったりするのですが、一つを突き詰めてやってみたいので、ラーメン!って。ラーメンの食べ歩きもしています。

あと、完全に趣味なんですけど、対戦格闘ゲームを結構本気でやっています。東京に来た最初のころは忙しくて全然できなかったんですが、最近はまた休みの日にゲームセンターでおじさんとプレーするしています。東京にはたくさん強い人がいるので、高みを目指しています。

(写真/週末恒例のゲームセンター。ストリートファイター2Xを楽しんでいる。)

鍛 神山にいる人って“オタク”が多いですよね。それすごいなって。神山で起こっていることってそういう人たちの活動が大きくて、それが町を賑やかにしている。神山日記帳を見ながら、それってゲームセンターで起こっていることと似てるなぁと思うんです。ゲームセンターといっても、UFOキャッチャーがあるようなものじゃなくてレトロなゲームがあるようなところ。ゲームセンターは全国にたくさんあるけどどんどん減っていっていて。でもゲームをやっている人はそんなことはお構いなしにゲームに夢中になっている姿って、神山とダブる部分があるんですよね。

 

インタビュー・文:大南真理子


質問!まちの外で暮らす先輩にあれこれ聞いてみよう!(中学生)

Q:仕事のなかでやりがいを感じる瞬間はどんなときですか。
 自分の能力を活かせたときが嬉しいです。 “桂むき”という大根などを薄く長くひく切り方があります。自分はそれが得意でしたが、周りには隠していました(笑)。ある日仕込みで大根の桂むきをする機会があったので、先輩にやって見せると「今度から鍛がやってくれ」と。

Q:もしかま屋でバイトをしていなかったら、今何の仕事をしていると思いますか。
 自転車屋の店員、またはクリーニング屋修行。

Q:神山に戻ったら、どんな店を開きたいですか。
 小さくて入りやすい居酒屋みたいなお店。

Q: 料理店で働くときに、一番心掛けていることは何ですか。
 一つの仕事(作業)の終わりの時間を決めることです。 計画を紙に書くのも、それを見るのも面倒くさいので、自分の場合は時計を見て「この時間までにやる」というのを瞬間的に決めて、すぐやるようにしています。中学生の時の自分に勧めたい…!

Q:アメリカでの経験が生きているなと思うときはありますか。(あればどんなときですか。)
 経験が生きるという感じではないですが、 当時は社交的になったような気がしていました。

Q:仕事で失敗したことはありますか。
 失敗は何度もしています。自分自身、要領良くできる人ではないことを理解しているので、失敗をしても素直に受け止めています。また感情にも出さないです。 何度もやっていると自分の失敗するパターンを感じられると思います。 そこで止まって機転を利かせられるかが大事だと思います。

Q:東京で暮らしていて、どんなときに神山のことを思い出しますか。
 店の料理の味付けとか、香りとかが、ふと"ばあちゃん"を思い出させますね。みんなの頭の中で一度は”ばあちゃん”ってなっているはずです。それで、ばあちゃん=神山の式になるわけです。

 

Q&Aとりまとめ:中川麻畝・海老名和
編集部とりまとめ:大家孝文 

 

アバター画像

やままち編集部

やままち編集部は、神山町出身の5名(大家孝文・大南真理子・白桃里美・中川麻畝・海老名和)からなる編集部。「遠くで暮らしていても、神山にかかわることが出来れば」という想いから、「広報かみやま」で連載「まちの外で生きてます」の連載を企画・制作しています。(2021年夏より)

やままち編集部の他の記事をみる

コメント一覧

  • 現在、コメントはございません。

コメントする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * 欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください