「まちの外で生きてます」#13 瀬川 奈保 さん
なんでも2023年9月12日
〝やままち編集部〟です。現メンバーは、大家孝文・大南真理子・中川麻畝・海老名和、神山町出身の4名。大阪で働いていたり、東京で働いていたり、徳島市で働いていたり。
「まち」で暮らしているけど、心の中には「やま」があります。離れたところからでも神山にかかわれないかな…と思っていたら、ある流れで「広報かみやま」に参画することに。2021年の9月号から、町外にいる若手のインタビューと、その人にむけた学生のQ&Aのシリーズ記事、「まちの外で生きてます」が始まることになりました。
紙面の都合から一部分しか載せられないので、イン神山で、ロングバージョンを公開させてください。
町外で暮らす神山出身者の今を紹介する連載。第十三回は、広野出身で今は東京で暮らす瀬川(旧姓:赤尾)奈保さん(34歳)に話を聞きました。
―神山での思い出を教えてください。
瀬川 私は広野の五反地出身で、姉と兄の三人兄弟です。27歳で結婚するまで神山にいたので、神山歴は結構長かったですね(笑)。小さいころは実家のすぐ裏が山なので、上の方まで友達と行って葉っぱを摘んできて料理ごっこしたりとか……。神社が近くにあるんですが、そのあたりで皆で集まってかくれんぼをしていた記憶がありますね。
(写真/1歳半。お母さんにつくってもらったたんぽぽの花の冠をつけて兄弟と。)
同級生は20数名。皆、幼稚園から中学校までずっと一緒に過ごしていました。半分兄弟って言ったらちょっと大袈裟かもしれないけど、友達の家族構成なんかも知っていてすごい仲良い感じでした。これは私が今神山から離れているので思うのですが、体育の授業で川で泳いでいたのは印象に残っています。スイミングで泳ぎを覚えるのではなく、体育の授業で泳ぎを覚えるような感じ。
(写真/大好きなお父さんと、お姉さんの運動会の応援に行ったときの一枚。)
広野小学校から神山東中学校に進学しても、メンバーは特に変わらない。でもやっぱりちょっと恥ずかしさとか出てきたり……。思春期には、周囲も含め皆のことをよく知っているからこそ、ちょっとのことも噂になるので悩み事なんかを言ったら結構バーっと広がったりして。その辺は当時、結構苦労していたことかもしれません。中学校の部活はバレーボールと卓球と野球しかなかった。私はバレーボールだったのですが、バレーボールの顧問の先生が陸上も担当していたので、陸上とバレーをしていました。小学校4年生ぐらいから少女バレーをしていたのでその流れ。陸上の練習で7、8㎞走ったあとにバレーボールみたいな感じで、もうヘトヘトでした(笑)。
(写真/神山東中学校時代はバレーと陸上を兼部。写真は名西郡の駅伝大会で賞をとったとき。)
小学生のときから職業としては保育士なりたかったですね。結果的に大学もそういった関係のところに。中学校ではそこまで将来の夢を気にしていなくて、高校も特にそこまで考えていなかったのですが、いざ大学受験で進路について考えるときに、やっぱりそっちが良いかなと思って選びました。何で保育士になりたかったのかは全然覚えていないです(笑)。小学校のとき、少年自然の家に行くじゃないですか。そのレクリエーションで皆の前で将来の夢を発表することがあって、将来の夢は保育士ですと言ったのは覚えています。その後、数年あまり気にしてなくて高校のときに、やっぱりそうなったらなりたいかなって。
―中学卒業後、どのような進路を選びましたか?
瀬川 姉と同じ城南高校に進学しました。結局姉が行ったから私もそこに行こうかなと思い志望校を選んだような記憶があります。でももう一つ、弓道部に興味があったのでそれで城南高校にしようかなと……。実家からバスで徳島駅前まで行って駅前から自転車で高校まで通っていました。当時、多分私を含め5人くらいは同じ中学の子がいたんじゃないかな。
高校では弓道部に所属。中学校であまり部活の選択肢がなかったので、それは楽しみでした。結構いろんな部活がありますよね。でもやっぱり入る前から弓道に興味があったので、見学に行ってそのまま弓道部に入りました。楽しかったです。集中力が高まるし体幹も良くなった気がします。高校時代はバイトもしたいと思っていたのですが、父が「今しかできない青春を味わえ」って言ってくれて部活を続けていました。でも二年生の途中、父が他界したこともあり、しばらく学校が行けなくなった時期があってそこから辞めてしまいました。
(写真/高校で夢中になった弓道。高校二年生では副キャプテンに。)
―そのころの将来の夢と、高校卒業後の進路はどのように選びましたか?
瀬川 高校生活のなか、保育士以外にもう一つ良いかなと思っていた職業がブライダルコーディネーター。何の影響か全然覚えてないのですが、そっちの道も楽しそうだなと。見学をしたり先生と相談したりとかと相談して、でもずっとなりたかった保育士の道に進みたいと、最終的には四国大学の児童学科に進学しました。
大学も神山から通っていたんです。そもそも県外にも憧れはありました。自分で全部生活費や家賃をまかなえるなら良いよとお母さんに言われて、でもちょっと無理かもしれんなと思って徳島に残ったというのもあります(笑)。大学では、体育でプールがあったりダンスとかピアノの練習など、子どもたちが授業でするようなことを勉強します。あとは地元の幼稚園に研修実習も。子どもは昔から好きだったので、すごいかわいくって。その反面、少し目を離したら何が起こるか分からないという責任も感じましたね。ちょうど地元の幼稚園の実習のときには、自分を見てくれていた先生がいて、ちょっと気恥ずかしさもありました。
(写真/大学生のころに入っていた阿波踊りサークル。真ん中が瀬川さん。)
(写真/四国大学児童学科を卒業。仲が良かったゼミのメンバーと先生。)
―新社会人になったときどのような感じでしたか?
瀬川 結局、保育士は実習で挫折したんですよね。この仕事の責任の重さとかも考えて、そういうなかでやっていくのはちょっと難しいかもしれないなと思い、一般企業に就職しました。それがブライダルジュエリーを扱う会社。就職説明会に行ってそのなかから自分に合いそうなところを探していきました。集団面接が苦手だったので、あまりそういう試験じゃないところが良いなとか(笑)。そのなかで一つすごく興味がもてたところがあったんです。ここを落ちたらもういいやっていうくらいの勢いで。ありがたいことに、受かりました。
営業をしたり事務をしたりメーカーとコンタクトを取ったり、いろんな仕事に携わりました。店舗に立って接客することもありましたね。県外のほかの店舗の人や取引先の人と関われるのは楽しかったし、同年代の女の子で頑張っている子を見ると刺激にもなりました。大好きな会社だったので、結婚する27歳まで続けました。
結婚してすぐ、主人について大阪に。一人暮らしもしたこがとなかったし、神山から出て暮らすのも初めてでした。徳島から大阪に行くとき、母と姉が徳島駅まで見送りに来てくれて……。数年、女三人で暮らしていたので、それはもう涙の別れですよ(笑)。寂しかったですね。1年近く大阪にいて、その後は主人の転勤で東京に3年、兵庫に1年半で、2年半前に徳島市内に戻ってきましたが、8月にまた東京に引っ越しました。今、7歳と4歳の息子がいます。どんどんやんちゃに(笑)。遠かったときは年に1回くらいしか神山に帰れなかったのですが、徳島市内にいたころはよく帰っていました。子どもにとっても変化になるので良いですね。
正直私、子どものときは神山がすごく苦手でした。もっと都会に行きたい!みたいな。でもやっぱり大人になると、神山に帰りたいって思うようになりました。まず子どもを連れていると移動が大変。電車だと目的地に行くまででもう一日終わってしまうくらい大変です。あと、都会にいるとせかせかしてしまうけど、徳島とか実家に行くとのんびり過ごせるので、大人になってからは穏やかなそういう感じが良いなと思っています。
―今の神山についてどう思いますか?
私は姉が神山で仕事をしていることもあり、随時いろいろ情報を教えてくれますね。市内の友達からも「神山のどこどこに行ってきたよ」と聞きますし、何だろう、何か誇らしいというか……。神山良いなって言ってくれる人が多いかも。そういうのを聞くとやっぱり嬉しいですよね。神山では、野生動物は何がおるかなって話しながら車で走るのが、子どもたちとのブーム。あとは神山温泉の公園の下の川で石投げして遊んでいます。本当、自然については神山で経験していることが多いです。
都会にいたらマンションや社宅での生活が多くて、あまり子どもをのびのびと庭で遊ばせる機会がない。だから神山の実家では、庭でちょっとした夏祭りごっこをしたりしています。結構工作が好きなんですよね、ヨーヨー釣りとか射的とか。あと、サプライズが好きなので当日まで子どもたちには黙っていて、ちょっと出掛けてもらってその間に準備。帰ってきたら庭が夏祭り会場になっている!みたいな。今後はそういう趣味を仕事にできたら良いかなと思っています。自分の子どもだけじゃなくいろんな人が参加できるイベントができれば嬉しいですね。
(写真/神山の実家で、お兄さん家族とお母さん、お姉さんと瀬川さんの子どもで手づくりのハロウィン祭り。)
インタビュー・文:大南真理子
質問!まちの外で暮らす先輩にあれこれ聞いてみよう!(中学生)
Q:神山をひとことで表すとなんですか。
瀬川 「癒し」です。 旦那さんの仕事の関係でいろいろな県に住む機会が多いのですが、疲れたときも悩んでいるときも、いつも変わらずに迎え入れてくれるところが私にとっての神山の魅力です。
Q:神山町の好きなところはなんですか。
瀬川 自然はもちろんですが、一番は人との関わりです。 自分が子どものころ、見守ってくれていた近所のおじちゃんやおばちゃんが、地元に帰ると「なほちゃん」と声をかけてくれたり、自分の子どもに「大きくなったね」と話かけてくれる繋がりが好きです。 自分が子どもだったころから、今は自分の子どもが地元の方々に見守ってもらえているようで感慨深いです。
Q:神山町外に出て、恋しくなったものやことはありますか。
瀬川 やっぱり神山の自然かなと思います。どこにいても神山の自然の中に帰りたいなぁという瞬間がたくさんあります。子どもの頃はそこまで神山の自然を感じて過ごしていた記憶はないのですが、大人になり子どもが生まれて自分にとっての一番の癒しの場所だと思っています。 野生動物と遭遇することもたまにあるのですが、今この瞬間に山の緑が消えるとどれだけたくさんの動物が隠れているのかなとか空想したりします(笑)。
Q&Aとりまとめ:中川麻畝・海老名和
編集部とりまとめ:大家孝文
やままち編集部
やままち編集部は、神山町出身の5名(大家孝文・大南真理子・白桃里美・中川麻畝・海老名和)からなる編集部。「遠くで暮らしていても、神山にかかわることが出来れば」という想いから、「広報かみやま」で連載「まちの外で生きてます」の連載を企画・制作しています。(2021年夏より)
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