あゆハウス通信vol.24 町の人たちの安心感が、2人を成長させてくれた

学び2024年2月15日

投稿者:あゆハウス

(ayuhouse.yoriinishi@gmail.com)

こんにちは、あゆハウスです。あゆハウスをこの春、とうとう3期生6人が卒業します。
このうち2人の保護者に、お子さんの成長、お子さんを通じてこのまちと関わった3年間について伺いました。神奈川県出身の鶴田にこさんのお母さん、鶴田由紀子さんと、東京都出身の押塚八大君(通称・ハチ)のお父さん、押塚岳大 さんです。

インタビュアーは、あゆハウスを運営する神山つなぐ公社の理事の梅田學。梅田は、2人を入学時から見ており、進路指導も手伝っていた兄貴的存在です。あゆハウスの暮らしを寮生と共に作る大人、ハウスマスターの中村奈津子、兼村雅彦も一緒に参加。誰もが寮生への想いが深く、時に、あたたかな涙も流れるインタビューとなりました。

梅田 入寮して2年半、高校生活もあと少しになりました。まず親御さんとしておふたりが、入学前に寮についてどう感じていたか、聞かせてください。

押塚 ハチは当初、都内の学校に通うつもりでいたんです。希望校は見つけていたものの、学力で行ける範囲のところを選ぶという決め方でした。

僕は、そういう選択の仕方でいいのかなと思ってみていたんです。彼が中3の時はコロナの最中。学校側も手一杯だったのか、夏になってようやく進路を決めるという状態でした。不安感もあったのか、ハチ本人も煮え切らなかったんです。

ハチは小学生の時から、神山町とも縁のある神奈川県逗子市の「原っぱ大学」に顔を出していました。中1の時には、神山で野宿するキャンプがあって、1人で高速バスに乗って来たことがあるんです。それも本人にとってはよい思い出になっていました。

それで、神山校の話を聞き、オープンスクールに行って見たいと本人が言ったので連れて行ったんですね。実際に行って、心が決まったようでした。おばあちゃんちで、「あそこは俺の行く学校だから」と言ってたくらいです。それから12月に願書を出して一気に進んで行きましたね。

梅田 急に方向性が180度変わりましたね。保護者さんとして、どんな気持ちでしたか。

押塚 妻は「本当に家を出て手を離れてしまう」という寂しさがあったと思うんです。でも、彼の口から「農業系のことをやれそうだから、こういうことをやりたい」「こういう生活をしたい」といった言葉が増えていった。本人のやる気を感じて、子離れのタイミングかと徐々に考えるようになりました。

梅田 では、鶴田さんはどうでしたか?

鶴田 彼女が描いていた高校生活は、「スタバ」「プリクラ」「カラオケ」というようなイメージでした。受験は成績という数字で測れるもので決まりますが、彼女は中学の時は、お勉強は得意ではありませんでした。でも私は、常々、彼女の人柄ってすごいな、と思っていたんです。

もし私(母)が同じクラスだったら、にこちゃんと友達になりたい」とよく言っていました。にこは、学校大好き、友達は大好きな子でした。

だから、私の中では、数字で測ることのできない彼女の良さが、数字で測られる成績によって進路を決められるのは、すごく嫌だったんです。そういう時に、同じく原っぱ大学繋がりの知り合いが、神山校のクリアファイルをくれたんです。

それで、こんなところがあるんだ、と知って。ネットで見たら、2days(※)の募集が始まったところでした。

私も神山町を見てみたいと思って、「こういうのがあるんだよね、行かない?私が見てみたいから」と誘って行ったんです。

(※正式名称は「地域留学体験2days」。神山町に実際に来て、神山校とあゆハウス、町内を巡ることで相性を確かめる、神山校独自のオープンスクールの一形式)

彼女には「地域と関われるあゆハウスの環境って素晴らしいことなんだよ」と伝えたかったんですが、学校の先生と親以外の大人と関わることがなかった彼女に、その素晴らしさは、なかなか伝わらないかもしれないと少し悩みました。

私は、生活を楽しむことが人生を豊かにしてくれると思っているので、お野菜を作る、地域の方からいただく、振る舞う、そういった私では作り出せてあげられないような環境が神山にはある。

私の価値観をわかってもらうには、彼女の価値観をわかってからじゃないとと思って、彼女の好きなジャニーズを好きになろうと、まず私もジャニオタになったんですね(笑)。

最終的には、彼女も、その環境を知ってしまったのに、その環境に行かない選択肢はない、そこに自分がいないのは勿体無いと思ったのか、神山校への進学を決めました。

梅田 ここに来ると「暮らし」ができる、充実する、と感じたのでしょうか。

鶴田 はい、そうでしょうね。今、彼女自身も「日常が楽しい!」とすごく言ってます。彼女が家族に、神山での暮らしをまとめたフォトブックを作ってプレゼントしてくれたんです。ここに全て彼女の3年間が、入ってる。「行事も楽しいけど、楽しいのは日常」って書いてくれています。でも3年前は、入学式に来て、「農業高校」と知ってびっくりしていたんですが(笑)。

梅田 よくあることです(笑)。学科を考えないぐらい、地域と寮に可能性を感じてくれたんですね。

押塚 ハチも、神山は大好きですが、この3年間の暮らしが本当に宝物だと理解するにはもう少し時間がかかるのかなと思います。でも、彼がまた次のステージで生きていく中で、徐々に見えていくのかな、というのを今、にこの話を聞いて感じています。

ハチは、大学に行った時に、もしも何か気持ちがふらつくことがあっても、神山の暮らしで関わってくれた色々な大人の顔が浮かぶだろうなと思うんです。「あの人たちに心配かけないかな」という気持ちが出てくるんじゃないかな。彼にとっても宝ですし、私にも安心材料です。

梅田 色々あった時に、考え直す存在、ほとんど家族ですか。

押塚 はい。そうですね。帰りたいと思うところは、神山なんじゃないかなと思うんですね。「親父ごめん、謝ってくれ」という時には、僕んところにくると思うんですけど(笑)。

進路を選ぶ時も、彼は一つの進路として神山に残る、ということも考えていたんです。良い残り方はできなさそうだね、という結論になって。大学へ進む道を選びました。

梅田 神山に残るという選択肢もあったんですね。

押塚 はい。夜な夜な(あゆハウス同期の)キクとオール(徹夜)で話してたりしてたそう。

梅田 3年間でのお子さんの変化をどう感じているか、お聞かせください。

鶴田 私は心理的安心感が生きていく上で大事だと思っているんです。にこは、ここでそれを感じてる。

アルバイトさせていただいていたWeek神山でのインタビューで、「安心できる人たちと毎日暮らしていくこと」について語っていました。「人」っていう一番大事な環境にとにかく恵まれ尽くした期間だったと思います。

彼女は、進路に大学進学を選んだんですが、もし、地元・神奈川の高校に行ってたら、そういう選択はなかったかもしれません。彼女が今目指しているのは、農業の先生なんです。「農業の先生ってみんな楽しそう!」っていうのが理由。背伸びもしようとしないで、その年齢、その年齢を生ききっているのを側で見せてもらっている感じがします。

梅田 10代を全力で楽しんで懸命に生きている。すごいな、と思います。中学校の時はそんな感覚は?

鶴田 中学校の時は、思春期の女子のちょっとした緊張感のある中で輪から弾かれないようにしていたように思えます。なんでも話せる気の合う友達もいたんですが、学校の規模も大きいと、たまに「本心なんて話してない」と呟くこともあって。それが中学生らしいと言えばらしいという時期なのかもしれないですが。

梅田 神山に来て、安心できる仲間ができた。

鶴田 ハウスマスターや食育スタッフ、バイト先の方、それだけじゃない、色々な人たち。

まちを歩いていると、みんなが彼女に声をかけてくれるんですが、これと同じことを自分のまちでできるかどうか。実家に帰ってきて一緒に歩いてたら、「神山のくせで会う人みんなに挨拶しちゃう」って言っていました(笑)。

押塚 ハチも同じようなことがありましたね(笑)。神山での人との関わりによる成長って大きかった。みんなが毎日議論していて、先輩が圧倒的存在に見えて、友達たちもしっかりしていることにプレッシャーを感じている時もあったようです。でも、何かきっかけがあったのか、特に2年生の秋以降、変わりましたね。

対面でもLINEでもズームででも、僕と話している時、自分の言葉で自分のことをちゃんと伝えてくれるようになった。

中学は聞いたことに関して「はい、いいえ」で答えていて、何か飛び抜けたことがある時だけバーって話すような子でした。でも、今は、飛び抜けたことがなくても自分の言葉で話せるようになってきた。

何か言葉が出なくてもディスられることもなく、話を聞いてくれると言う環境が毎日どこに行ってもある。そんな安心感が、成長させてくれたんだと思います。

梅田 寮でも、町でも、学校でも。安心感が、重層的にある環境だからこそですね。

押塚 本当に、その通りです。それって、実際にはなかなかあり得ない環境じゃないかなと思います。

中村 心理的安全性ってチャレンジする土台になりますよね。2年生の中には、中学時代、学校に行きづらさを感じていた子もいたんです。それが今、神山校の真ん中で活躍している。

寮に安心感のベースがあるのは、先輩たちがハチに対してやってきてくれたことも、大きくて。それが循環して、ハチも自分のお家や、ここで積み重ねてきたことを、後輩たちにしてくれています。いい寮といい町だなと思って聞いていました。

鶴田 今の世の中って、規範に反したことをやったら、バッサリ切る、排除する社会が多い世の中だと思うんです。でも、あゆハウスは違う。

対話を重ねて、もっと聞いてあげる。切り捨てない。包み込む。そういう大きな何かに包まれて日々を暮らしているんだろうなと思います。

押塚 高校生は難しい年齢だと思うんです。寮のハウスマスターや関わる大人の人たちは、1人1人を見守ってくれている。でも、寮生がやり過ぎた場合は一気に入り込んで関わる。それって、簡単じゃないことだと思います。話し合いの中では寮を出て行くかも、というところまで。向き合う。それがこの寮の凄さだなと思います。

運営されている皆さんのものすごい力と柔軟さ、そのエンジンはどこにあるのかな、と不思議ですね。ただ、親としては本当にありがたい。

僕らは保護者としてサポートできることがあるなら、全力でさせてもらいたいな、と思っています。

梅田 鶴田さんと押塚さんのお二人はお子さんと話し合いを重ねるときに、実際に足を運んでくださっていましたね。

押塚 でも、皆さんが子どもと向き合ってくださっているところに、親がどこまで踏み込んでいいのかな、と考えながらですね。

見守りながら、ぐっと控えておかないといけないと思っています。線引きは必ず必要だと思います。寮での子どもは、親に見せる顔と全然違う。親の見てないところだからこそ、見せないところがよりたくさん出てくるので、そこもわかっておく必要がありますね。

中村 お二人は、あゆハウスを信じて、手放し・預けっぱなしじゃなくお子さんとも関わってくださっている。

兼村 いつも温かく見守ってくださっていて、ありがたいと思っています。おっしゃる通り、寮と保護者の距離感が近過ぎてもダメで一定の距離感は必要かもしれません。とはいえ、今年度ようやく神山で保護者や関係者をお招きしての現地交流会を開催することができました。今回、寮と保護者との連携の一歩目が踏み出せたのは嬉しいです。


あゆハウス交流会の様子

梅田 ところで、あゆハウスの面接、神山校の受験はどうでしたか?今、神山校・あゆハウスへの地域みらい留学を考えている親御さんのためにも聞かせてください。

鶴田 一番困ったのは、徳島の受験の時期が遅かったことですね。卒業式の前日が試験だったんです。神奈川では受験が終わって、卒業まで羽を伸ばす時期。とにかく徳島と神奈川の受験のシステムが全然違ったので、中学校の先生方が、お互いに確認確認しながらで。

押塚 中学校の卒業式が終わった後に、合格発表だから、卒業式でもハチは一人、学校決まってなくて。信じて待つしかなかったですね。

梅田 神山校は、農業科の高校です。普通科の高校へ行くよりも進路が狭まる可能性もあります。その辺の不安はありませんでしたか?

鶴田 全くなかったです。絶対に大学に行ってほしいという思いもなかったから。だって、難関と呼ばれる大学や高校に行くよりも、ここで過ごせる確率の方がすごく低いと思います。私もたぶん、マジョリティの考えじゃないと思うんですけど(笑)。

押塚 進路の広がりとか、進路を決める力は、あゆハウスの方が圧倒的につくと思う。間違いなくハチはそうだったと思う。私もマジョリティではない(笑)。

鶴田 にこの大学受験の時の面接の練習で書いたものを見せてもらうと、卒業してからもファームステイ(農場内に宿泊しながら、農作業、家畜の世話などを手伝うプログラム)をして世界を見てみたいと言う。それは、親が介入していない、純粋に、神山の大人たちから聞いたことが元になっている思いがある。

梅田 3年前、何が信頼に足ると思ってお子さんを預けてくださったんですか?

鶴田 びって。反応したみたい(笑)。

梅田 ハチは?

押塚 オープンスクールの時に、当時の寮生が、自分の言葉で話していたのが大きいと思いますね。

3つの「暮らしをつくる」「互いに関わり合う」「自分を広げる」、そして「一歩踏みだす」。暮らしの方針を、子どもたちの声から実現されているなと言うことをなんとなく感じたんですね。

寮生たちは「自分たちが暮らしを作る」ということを楽しんでいて、今、その時点で思うように暮らしを作ることができなくても、まちの色々な人に支えられて、叶えていく様子が見えました。

色々な経験、色々な想いを持って神山に住もうということを決めた、大人たちが彼らを支えている。大人たちも含めて「自分も不完全である」ということをお互いに認めながら過ごしている。
寮生の成長を、まちがふわっと支えているんですよね。
当時、そういうことを感じたと思うんです。

ただ、3年前に感じたもの以上のものが得られた3年間だった。それは間違い無いですね。

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保護者の方から、あゆハウスへの想いをじっくり伺うのは、初めての試みでした。

親子で進路を見据えた時に、暮らしを通じての人間としての成長を最も重視してあゆハウス、神山校を選んでくださったお二人。
このお話が、受験を検討している方の元にも届きますように。

あゆハウス (ayuhouse.yoriinishi@gmail.com)

城西高校神山校の寮は、鮎喰川の「あゆ」をとって、「あゆハウス」と呼ばれています。 「あゆハウス通信」では、あゆハウスで暮らす高校生・ハウスマスターが日々の活動を定期的に発信しています。 「地域で学び、地域と育つ」をコンセプトに、神山でさまざまなことにチャレンジする私たちを温かく見守っていただけたら嬉しいです。

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コメント一覧

  • 良い記事です。 子供さんを「あゆハウス」に来させる親御さんも (マジョリティじゃないけど)  立派!!

    2024年2月19日 08:59 | 河野公雄(ニコライ)

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