「まちの外で生きてます」#19 阿部 真さん
なんでも2024年9月16日
〝やままち編集部〟です。現メンバーは、大家孝文・大南真理子・中川麻畝・海老名和、神山町出身の4名。大阪で働いていたり、東京で働いていたり、徳島市で働いていたり。
「まち」で暮らしているけど、心の中には「やま」があります。離れたところからでも神山にかかわれないかな…と思っていたら、ある流れで「広報かみやま」に参画することに。2021年の9月号から、町外にいる若手のインタビューと、その人にむけた学生のQ&Aのシリーズ記事、「まちの外で生きてます」が始まることになりました。
紙面の都合から一部分しか載せられないので、イン神山で、ロングバージョンを公開させてください。
町外で暮らす神山出身者の今を紹介する連載。第十九回は、阿川出身で今は徳島市で暮らす阿部 真さん(42歳)に話を聞きました。
―神山で過ごした幼少期、どんな子どもでしたか?
阿部 四人兄弟の二番目です。神山での思い出は、だいたい川で遊んでいるか、サッカーするか……。神山ってだいたいこんな感じですよね(笑)。同級生は13人。人数が少なかったので、いろんな学年が交じって遊んでいました。阿川にはサッカークラブがありますが、僕が小学6年生のときにできたので、所属したのは何ヶ月か。神山中学校(神中)を選んだ理由は、やっぱりサッカー部があったからかな。二つ上にサッカー部の兄がいました。神中の同級生は69人で、そのうちサッカー部は15人くらいだったと思います。大きな大会などで勝ち進むほど強くはなかったですね。でも新人戦で石井に勝ったり、郡の大会では優勝したかな。小学校のときからサッカーチームがあった石井に比べて、神山は中学に入ってサッカーを始めたようなメンバーなのでね。ようやったなって感じ。
(写真/2歳くらいの阿部さん。阿川の実家で二つ上のお兄さんと)
(写真/小さいころはほとんど川遊び。魚を獲ったり泳いだりしていた)
阿部 中学校では、僕は寮に入らず自転車で通っていました。入らなかった理由は、恥ずかしかったのかな、みんなと生活するのが(笑)。兄も入ってなかったです。中3くらいでちょっと入っとったら良かったかなと思いましたけど、1、2年のときは絶対嫌って思っていました(笑)。
駅伝は2年生の終わりまでやっていました。サッカーをした後、夏は陸上、冬は駅伝なので、中学校は走っている思い出しかない。小学校のとき陸上大会ってありましたよね。そのときの流れで1年生のときは、高跳びをしていました。でも夏の大会で記録ゼロに。前日のサッカーの試合で足を痛めて跳べなかったんですよ。記録ゼロでテントに戻ったとき先生に「お前は来年からもう駅伝な」って言われました(笑)。しかも、高跳び選んだくせに、背面跳びが怖くてできなかったんでね(笑)。自分でも高跳び向いてないなと思いながら、大会に出ていました。
(写真/神中祭での一枚。同級生は69人で2クラスあった)
阿部 サッカーを中心に考えていた時期なので、駅伝は体力がつく練習だと思って走っていました。キャプテンをしていた僕は、ぐうたらのくせに負けず嫌い。先生も頑張ってくれていたので期待に応えないと、とはいつも考えていましたね。フィジカルでいうと先輩がすごかったんです。それを引き継いでいかなあかんなと思いつつ、自分に足りない部分を埋めるために、とにかく声を出して走ることをしていました。走るにしても技術的なところも、自分が一番をとっておかないと。そうでなければチームってまとまらないのかと思っていましたね。キャプテンとしてまわりの子たちに「おぉ」って思われることが大事。一番悔しがって、一番勝ちにこだわって。人より長く練習していました。一回変にネジを緩めたら緩んでしまうっていう自覚もありましたね。
(写真/神山中学時代、サッカーに明け暮れていたころの阿部さん。郡の総体にて)
―中学から高校へ。進路はどのように選びましたか?
阿部 当時バス釣りにはまっていました。そのころ、バスプロが流行っていて、有名な人もいたほど。多分適当に書いた、バスプロになりたいという作文が立志式のときに選ばれて、みんなの前で読みました。ノリで書いたやつが選ばれてしまったっていう感じですね(笑)。先生としても、珍しいこと言いよるなと思ったのでしょう。中学3年生になるまで進路のことは考えたことがなかったです。高校ってあるんや、みたいな(笑)。進路を選ぶことになって、とりあえず総選(総合選抜高校)を選びました。そのなかでも、神山の人が誰もいないところに行きたかった。結果的には第六希望の城南高校に。神山の人、めっちゃいました(笑)。
阿部 兄も市内の高校に行っていたので、アパートを借りて二人暮らし。親元を離れて暮らすのも、楽しかったですね。僕は、中学校のときも休みの度に駅前に遊びに来ていたんです。小学校のときは村という枠組みに縛られていたけど、中学生になると800円で駅前まで行けるので一人でこそっと市内に遊びに行っていた。ウインドーショッピングや本屋で漫画を買って帰っていました。神山のことが嫌いというではない。誰かと一緒に遊びたいときと一人でいたいときが極端だったのです。高校でもサッカーを続けていましたが、サッカー熱が冷めていた。
阿部 勉強はあんまりしていなかったです。2年生に上がるときに理系か文系か選ぶのですが、僕は思いっきり理系脳なのに、何か理系が嫌で文系を選びました。まぁまぁ知ってる人が多い方が楽しいかもと思って(笑)。成績は学年でちょうど真ん中くらい。まだ就職はしたくないので進学はしようと考えていました。でも担任の先生に「行ける大学ないよ」と言われて、それ以来、テスト期間は絶対に人と会わない、遊ばないと決めて勉強。その期間だけめちゃくちゃ集中してやることによって成績が上がり、クラスで2・3・4番くらいにはいました。
(写真/幼少期からやっていた釣りは高校生になっても楽しみの一つだった)
(写真/親元を離れて暮らした城南高校での三年)
―高校卒業後のことを教えてください。
阿部 いざ進路を決めるとき、自分は世の中のことを知らなさすぎると気が付きました。どうやって社会が回っているか何も知らない。ここで、特殊な業種の世界に入ってしまうと視野が狭くなりそうだったので、社会の真ん中にあるものは何かと考えたときに、法律だと思ったのです。そこで法学部のある龍谷大学の法学部法律学科に入学しました。法律を勉強するからには何かの資格がないと法律家といえないので、資格は取りたかった。弁護士は無理かなと思ったけど、司法書士の資格は取りたいと思い、入学してすぐに京都駅の近くの専門学校とダブルスクールに。大学は本当に勉強しました。そのときは、司法書士になって働くのかなとぼんやり思っていたかも。
阿部 でも、その大学生活の先に就活があることを知らなかったんです(笑)。就職氷河期だったので、就職自体が難しい時代でした。なので、同期は早めに就活する流れだったみたい。3年生後半には就職先が決まっているような状態で、僕は4年生の4月くらいにあれって思った。学校は必要な単位だけをとりに出席していて、講義は一人で受けて、あとは図書館や家で勉強していたので情報交換がちゃんとできていなかった。やばいってなって(笑)。でも夏に司法書士の試験があるので、それまではほかのことを考えずに勉強しようと思いました。春の模試は良かったけど、その後、ちょっと鬱ゾーンに入って、7月の試験が思ったようにできなかったんです。同級生は就活が終わっているので、親にもう一年大学に行かせてほしいと頼み、それで就職活動をしました。
―社会人としてどのような経験を積みましたか?
阿部 就活は金融機関一択。法律のことはだいぶん勉強できたので、次はお金の動きを知りたいという単純なものでした。全国の銀行を受けましたが、最終的には徳島銀行に入行。10年くらい働きました。ここまで話したように、僕はルールに縛られずに生きてきました。自分では真面目にやってきたつもりだったけど、振り返ってみれば、僕って常識はずれだったんやなって。銀行はルールがたくさんあるので、その点大変でした。自分ではそれまで法律の勉強をかなりしてきて自信もあったので、知らない世界だけど物おじせずにできるのかなと思っていた。でも現実はそうではなかったですね。支店に配属。半年くらい窓口業務をした後は外に出て営業。銀行は書類の内容精査に厳しいのですが、そういったことを全く知らずにいたので、現場で覚えて行くような。相変わらず情報収集の下手さはあり、最初苦しかったです。2・3年目で営業の全店一位に。その後、県外も含め3店。おもしろさはあったものの、体調を崩したことや、行内の試験など、いくつかターニングポイントがあり、33歳で銀行を辞めました。
(写真/初めて就職した徳島銀行の同僚と、ソフトボール大会にて)
阿部 今は訪問看護の会社を経営しています。業種としては知っていましたが、看護に関しては素人。でも、経営的な視点で見ると、国がお金を出すので不良な債権にはならず堅実な商売。自分の立場でできる事業を考えたときにこれだと思いました。今この業界に入って9年ですが、良いことも悪いこともあります。最初の3年は、手探りでいろいろ教えてもらいながらやって。人の役に立っているなと感じることもありあすが、自己満足かもなと思うことも。
阿部 この業界は入れ替わりが激しいので、従業員は設立当初からほとんど入れ替わりました。僕は看護の資格者じゃないので、分からないでしょって思われている時期も。今は30人くらい従業員いますが、彼らは僕が社長として自信をもって、信頼を得てから雇った人がほとんどです。ちょっと心理ゲーム的な一面もあるのですが、どうすれば人が伸びるか、それが分かるようになってきてからは経営も楽しいですね。その基盤になっているのが、法律。これまでやってきたことが血となり肉となっていると思います。
(写真/阿部さんが立ち上げた、訪問看護 りぶら。現在は従業員30人をまとめる)
―これから、神山とどうかかわっていきたいですか?
阿部 故郷なので協力できるようなタイミングがあればとは思っています。神山って山じゃないですか。そこが良いところなのですが、昔から何か特徴がほしかったなと。昔は一次産業しかなかったでしょう。今では、たくさんの方が集まってくれて、さまざまな取り組みが実施されているので、いつか協力したいなと。神山の名を汚さないようにするために、最小限の活力と人の流入が良いのではないかと僕は思っています。来るのは誰でも良いわけじゃない。神の山なので、選ばれた土地という神話感が僕にはあって、それに相応しい町になってほしい。町が大きいとか財政が良くなるとかだけでなく、特色が変わらずにもっと豊かな町になったら良いなぁと思っています。
阿部 僕は、医療と障がい者に携わる仕事をしているので、ハンディキャップのある方が生きる場所として、神山という選択肢を考えていたことがあります。まるごと高専で学べるIT等は障がい者の仕事ともすごく相性が良いと考えています。PCは指一本で操作できますから。たとえば、ハンディキャップがあっても、幼稚園から大学まで一貫して教育と医療を受けることができ、専門的な知識と技能が習得ができる。IT、農業、加工業、販路開拓など、町をあげて人材を育てるところから始めて、住まう人に合わせて、産業と町をリメイクするのはどうだろう。医療機関と支援学校等の組織を中心に、障がい者が安心して産業を担うことができるような町として発展していくことができれば、全国でも例をみないと思うので、とても話題性があると思います(笑)。神山は、そういうことを夢見ることができる町だと思います。
インタビュー・文:大南真理子
質問!まちの外で暮らす先輩にあれこれ聞いてみよう!(中学生)
Q: やりたいことやなりたい職業はどうやって決めましたか?
阿部 今の仕事や前職を決めた時も、興味があって、経験として価値があるかどうかで決めてきました。 今は、社会に必要とされる仕事かどうかを基準に考えています。
Q: うまくいかないとき自分のモチベーションをどう上げていますか?
阿部 とりあえず、寝ますね。 睡眠を摂ると気持ちがリセットされるし、ストレス解消になります。僕みたいに運動しない人にはお勧めです。 それでダメなら、好きなものを食べたり、買い物したりして、自分を甘やかします。
Q: 好きなことを仕事にすると楽しいと思いますか? どんなことを仕事にすると楽しいと思いますか?
阿部 好きなことが仕事になる方が楽しいと思います。頑張れるし、努力もできます。自信にもつながるでしょう。 顧客から直接「ありがとう」を言ってもらいやすい仕事は楽しいと思います。仕事と顧客の距離感が近いほど感謝や成果につながりやすいです。ただし、トラブルになる可能性も高くなります。
Q: 不安なことや困ったことは誰に一番相談しますか?
阿部 雑談や愚痴程度に話せるうちに、友人や同僚と話します。 基本的に困ることがないように知識を高めるか、すぐ調べるので相談はしないです。 不安なことは、あまり表に出さないですね。ただし、態度や表情に出るらしいので周りにはバレてるみたいです。
Q: 同じ職場の人と意見が対立したとき、どんな風に接するようにしていますか?
阿部 真摯に相手の意見をよく聞くことから始めます。相手の立場や環境を考慮し、意見の本質を理解するように努めています。 しかし、会社は同一基準の労働条件、同一サービス、同一報酬の中でライバル会社と競争していることが多いです。従業員満足と顧客満足はその上で達成しなければなりません。 感情論では個々の意見に寄り添うよう配慮をしているのですが、現実問題として、対立意見には対応が難しいのが実情です。
Q&Aとりまとめ:中川麻畝・海老名和
編集部とりまとめ:大家孝文
やままち編集部
やままち編集部は、神山町出身の5名(大家孝文・大南真理子・白桃里美・中川麻畝・海老名和)からなる編集部。「遠くで暮らしていても、神山にかかわることが出来れば」という想いから、「広報かみやま」で連載「まちの外で生きてます」の連載を企画・制作しています。(2021年夏より)
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